2011年1月19日水曜日

6-3 フォロ・ロマーノの前にフォリ・インペリアーリ(Fori Imperiali)

今度はフォリ・インペリアーリ通をフォロ・ロマーノに沿って歩く。レンガのヴォールトやアーチがまた見えてきた。⑫入口はもっと先。
ずっと歩道を歩くものと思っていたら長い横断歩道のあと登り坂の道路、サン・ピエトロ・イン・カルチェレ通(Via di San Pietro in Carcere)があったりした。気がつかなかったが、登ったところがカンピドーリオの丘(Campidoglio、カピトリーノCapitolinoとも)だったようだ。

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道路のすぐ横にあるのはフォロ・ロマーノではなく、⑧カエサルのフォロ(Foro di Cesare)だった。
『ローマ古代散歩』は、ガリア在任中から新しいフォロを着工させていた。二重の柱廊に囲まれた長方形の広場で、中央にはカエサルの騎馬像が置かれ、、突き当たりには南東を向いた後陣をもつウェヌス・ゲネトリクス(祖神ヴィーナス)神殿が前48年に奉献された。
遺跡は三分の一が掘り起こされ、神殿の基壇上に3本の柱がそびえているという。
カエサルのフォロと付かずに、フォロ・ロマーノ(Foro Romano)の端だと思って行くへと急いだ。

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朝行き損ねたパラティーノ(Palatino)の丘のファルネジアーニ庭園(Orti Farnesiani)が遠くに見える。その他の遺構は、どれが何か全くわからない。
案内図を見つけた。今いるのは⑨フォロ・ネルヴァ(Foro di Nerva)あたりらしい。
『ローマ古代散歩』は、ウェスパシアヌスの次男ドミティアヌス帝が、64年と80年の相次ぐ大火に見舞われたローマの再建に躍起となっていたが、帝が暗殺された後、元老院に推挙されて即位した老帝ネルウァの治世下に竣工した(97年)ので、ネルウァのフォロとも呼ばれているという。
しかし、その遺構は真下を見下ろさないとわからない。舗床(Pavimentazione del Foro di Nerva)が僅かに見えた。
その向こうの建物の遺構は9世紀の柱廊式住居(Casa porticata del Ⅸ sec.)らしい。何層にも時代の重なった複雑な遺跡だ。
柵や通路などがあるので、この辺りも中から来て見学できるのだろう。しかし、雨のせいか、観光客がほとんどいない。
右の方には何の装飾もない⑭クリア・ユリア(Curia Iulia)とサンティ・ルカ・エ・マルティーナ教会(St.Luca e Martina)という建物が並んでいて、廃墟の中に建物が建っているのは違和感がある。
左の方にはこの遺跡とは全く時代の違う建物が幾つか見えてきた。サン・ロレンツォ・イン・ミランダ教会(S.Lorenzo in Miranda)と白いサンティ・コスマ・エ・ダミアーノ修道院(Convento dei St.Cosma e Damiano)かな。
金属の橋を渡ったところには基壇のようなものがある。Portico e gradinata、グラディナータとは何だろう。

角を曲がるとまた違った風に見えた。
⑩平和のフォロがここまで続いているらしく、舗床がところどころに残っている。Portico e gradinataと道路の間には3本のレンガ積みの区画がある。
午前中にフォロ・ロマーノの出口を通った時、本屋はなかったので、入口の東にある本屋に入る。車が横に数台並んでいる前の壁のようなところに小さな入口がある。それが本屋だった。小さな本を2冊買って入口へ。

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実は入口に向かいながら心配なことがあった。ローマ・パスは2箇所まで無料で入ることができるが、すでにパラティーノの丘とフォロ・ロマーノの2箇所で使ってしまっている。以前はローマ・パスを持っていると3箇所の共通チケットをくれたらしいのだが、今年は変更があったらしく、共通チケットはもらえなかった。なくても3箇所は無料なのか、別料金になってしまうのかがわからない。

※参考文献
「ROMA ローマの昔の姿と今の姿を徹底的に比較する!」(2001年 Electa)
「ローマ古代散歩」(小森谷慶子・小森谷賢二 1998年 新潮社)