2011年1月21日金曜日

7-2 フォロ・ロマーノ、クーリア・ユリア(Curia Julia)

次にクーリア・ユリアに入った。
『ROMA』は、煉瓦でできたこの大きな建物は元老院があったクーリア・ユリアで、カエサルが着工し、アウグストゥス帝が完成させた。また、ディオクレティアヌス帝が再建し、7世紀には教会に姿を変え、1930-36年に修築がおこなわれた。内部は高さ20m、幅18m、長さ27mと壮大で、木造の屋根で覆われている。段席にはおよそ300名の元老院議員の席があったという。
それで外から見ると新しそうに見えたのか。

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ところが、南側の入口から入って正面に見えたのが、なんと秦の始皇帝の兵馬俑だった。入口のポスターはこの展示を示していたようだが、非常に違和感があった。
普段は中央には何も置かれず、大理石の舗床モザイクが一面に見られるらしい。これはオリジナルの再現(『ローマ古代散歩』より)らしい。中央の大きな正方形の周りに長方形と小さな正方形が配置され、それぞれの区画には形に応じたモチーフが用いられている。
兵馬俑は中央奥に置かれていたが、中央前の空間の両側には立派な腰壁があった。内側には高浮彫がある。
この建物の中には、トラヤヌス帝の柵といわれるものが保管されている。フォロの囲いの一部ではないかと考えられる。この柵には、市民への税制上の借金を帳簿を燃やすことで免除したり、低利息の農業系の貸しであるアリメンダAlimehdaを設置するなど、実生活をありありと語る連続したレリーフがあり、表現テクニックが高いという。
左側が帳簿を集めて燃やす場面だろう。高浮彫の右端には当時の神殿が並んで表されている。
周壁には長方形の壁龕と上が半ドーム形になった壁龕がある。この壁龕にはフレスコ画が残っているが、よく見ると、上部中央にはマンドルラ(アーモンド形の光背)と人の顔があるし、それを囲む人々にも頭光がある。7世紀以降のキリスト教時代のものだろう。
その前に細い円柱があった痕跡が残っている。
周壁にも何ヶ所か高浮彫が展示されていた。
中央の腰壁の外側には、半身くらいは出ていそうな家畜の浮彫があった。牛や羊はよく表されるが、豚は珍しい。
また、兵馬俑の展示の両側には石獣が置かれていた。兵馬俑とは時代が違うのでは。
尻尾の先が補強されている。これは陝西省咸陽市西郊沈家村付近出土の石獣(後漢後期、2世紀)そのものではないか。西安の碑林博物館所蔵の品だが、昔同博物館に行った際には見なかったと思う。中国でもなかなか見られないものが、フォロ・ロマーノにあるなんて。
せっかくなので左側の石獣も撮っておこう。
こちらは舌が口先まで出ている。
クーリア・ユリアは幅18mある。屋根は切り妻だが、創建当初もそうだったかわからない。天井は木製の格天井で、それぞれの格間には3段階の刳りがある。これも創建時のものを伝えたものかどうか疑問だ。いくら軽量化を図ったとはいえ、このような平天井をローマン・コンクリートで築造するのは不可能ではないかと思う。
※参考文献
「ROMA ローマの昔の姿と今の姿を徹底的に比較する!」(2001年 Electa)
「ローマ古代散歩」(小森谷慶子・小森谷賢二 1998年 新潮社)