西の端からフォロ・ロマーノを眺める。中央広場の中央の位置に㉓フォカス帝の記念柱があって、基壇は数段の階段状になっているのがよくわかる。右に縦に並んだ円柱や円柱の基壇も、いろんな人たちの記念柱だったのだろうなというのがわかってきた。角度を変えて物を見るというのも大事だなあ。
そして道を挟んで南側に見えてきたのがバシリカ・ユリアだ。
『ROMA』は、フォロでは最高に大きく(101mX49m)豪華な建物で、ユリウス・カエサルが建てた後、アウグストゥス帝が再建したが、283年の火事の後、ドミティアヌス帝が修復した。中央の大きな会堂(82mX18m)は4辺を煉瓦とトラヴァーチン石の石柱の二重列に囲まれていた(一部は後に建て直されたもの)。会堂は5つの廊に分割されていた。エトルリア人の地区があったことを物語るエトルリア街VICVS TVSCVSの反対側には、ディオスクーリの神殿の巨大な基壇があり、3本のすばらしい円柱が今も残っているという。
ディオスクーリの神殿の右向こうにはパラティーノの丘。
⑲サトゥルヌス神殿からの巻き道を下ると西は立入禁止。奧に見えるのはサンタ・マリア・デッラ・コンソラツィオーネ(S.M.della Consolazione)教会。
バシリカ・ユリアは遺物の並んだ背の低い遺構だ。レンガで造った四角い台座のようなものが等間隔で並んでいる。レンガの角柱が2列並んでいたのだろうか。
上から見ると柱跡が整然と並んでいる。その南側は崖になっていて、ぎりぎり一杯に造られた巨大なバシリカだ。
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現在は柵があって入れないが、中は広大。ディオスクーリの神殿はこのバシリカよりずっと基壇が高い。
フォロ・ロマーノは東に行くほど低くなっているので、バシリカ・ユリアを囲む石段も、途中から段数が増えていく。フォロ・ロマーノ見学の終点は向こうに見える㊸ティトゥスの凱旋門(Arco di Tito)。まだまだこれからだ。
これがバシリカ・ユリアの一番北側の列柱の最後に残った1本。トラヴァーチンの切石で角柱に半円の付け柱がある。半円柱の頂部は連珠が見られ、珍しい柱頭だ。その両横にはアーチ列になっていた痕跡が認められた。
この柱から振り返るとバシリカ・ユリアの南西の壁面が残っていた。
東端は石段は8段か9段にもなっている。そしてその先にはディオスクーリ神殿とはまた違った基壇がある。
※参考文献
「ROMA ローマの昔の姿と今の姿を徹底的に比較する!」(2001年 Electa)
「ローマ古代散歩」(小森谷慶子・小森谷賢二 1998年 新潮社)