2011年4月13日水曜日

8  ポンペイの壁画第1様式

平面図によるとサルスッティオの家(Casa di Sallustio)の邸宅は広い。そして、鉄格子の扉が開いていたところがD玄関(矢印)だった。
A南側の店舗との壁がなくなっているのか、狭いはずのポンペイの家のD玄関は広々としていた。そして、北側の壁面には壁画がよく残っている。
実際には壁画というよりも、四角形の区画に彩色してあるだけというのが第1様式だ。
『完全復元2000年前の古代都市ポンペイ』は、第1様式は「化粧張り様式」または「構造的様式」ともよばれ、ポンペイに残る装飾の年代(前200-80)からみて、最も古い様式である。スタッコ(化粧しっくい)を用い、コーニス、片蓋柱、ルスティカ、円柱といった建築要素を模倣し、大理石風に装飾するという。
第1様式以前の邸宅には、実際にこのような色の違う大理石を積んでいたのだろうか。
Iタブリヌム 前2世紀末-前1世紀初期
『光は東方より』は、前2世紀中広く流布した第1様式は、大理石による切石壁を浮彫と彩色によって再現した壁面装飾で、実際絵画とはいいがたいという。
L居間
『完全復元ポンペイ』は、浮彫装飾によって、同じ大きさの切石を積んだ真積みの壁にみせかけている。いちばん下には高さのある黒い腰板、その上に白い石板、彩色した切石の粗面積み3段、平らなフリーズがえがかれ、いちばん上にはスタッコの立体的なコーニスがあるという。
どの部屋にも第1様式のシンプルな装飾だったらしい。
しかし、ただ壁面の四角い区画を彩色していたのではなく、壁面の仕上げに使ったストゥッコ(漆喰)を浮彫にして、立体感を出ていたようだ。
同書は、ファウヌス(ヌァウノ)の家やサルスティウスの家など、気品があって厳粛とした雰囲気の住宅に用いられており、えがき直された形跡はまったくない。これらの家の主人たちは流行に流されることなく、自分の家の壁画をたいせつに守り、ことあるごとに修復していたのである。第1様式がポンペイで生まれたものでないことははっきりしており、本物の大理石装飾が用いられたオリエントから伝わったものと思われるという。
ファウノの家は色鮮やかな水だめのあった邸宅だ。

また、「ナポリ考古博の図録」は、ギリシア起源で前2世紀の間よく採用されたという。
オリエントでは実際に色大理石で壁面を飾るということが行われ、それがギリシア、さらにローマへと伝わったということだろうか。色大理石の代わりに壁面に彩色するようになったのは、ギリシアにおいてか、それともローマなのか。同館図録は前者としていると考えてよいのだろうか。

当時はどこの邸宅にも見られた壁面装飾かも知れないが、現在はほとんど残っていないようだ。そんな第1様式の貴重な遺例を一瞬でも見ることができたのは運が良かった。

※参考文献
「NHK名画の旅2 光は東方より」(1994年 講談社)

「完全復元2000年前の古代都市 ポンペイ」(サルバトーレ・チロ・ナッポ 1999年 ニュートンプレス)
「musée archéologique national de naples ナポリ国立考古学博物館図録」(2001年 Electa Napoli)
「ポンペイの遺産 2000年前のローマ人の暮らし」(青柳正規監修 1999年 小学館)
「ポンペイ 今日と2000年前の姿」(アルベルトC.カルピチェーチ 2002年 Bonechi Edizioni)