2011年8月11日木曜日

1-15 アヤソフィア1 聖堂に入るまで

すぐ近くに見えていても、公園や工事のおかげで迂回しながらアヤソフィアに来た。結構時間がかかった。

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アヤソフィアは今はキリスト教会でもモスクでもなく博物館となっている。
入口に人がいるので、中は大混雑ではと心配だ。
アギア・ソフィア大聖堂の建物はこれだけだが、後世にミナレットだけでなく、敷地内にはいろんな建物が造られた。(下図は東が上)
この八角形の建物は、モスクになってから造られた洗い場。
奥に切符売り場があって、2011年現在20TL。
セキュリティ・チェックを通ると、早速ビザンティン時代の円柱や柱頭が並べられている。
こっちと向こうの柱は、両側に柱頭のある半円柱を付け柱にしている。
円柱などが終わると、もっと大きな遺物が現れる。そんな中にカフェもある。過去の遺物に囲まれて、木陰で休憩するのも良いのだが、午後から考古学博物館の方でお茶することにしているので、パス。
今用事があるのは奥のトイレ。西洋式かトルコ式か忘れたが、無料で清潔だった。
トイレを出たところに、アヤソフィアの北面が見える。工事用の壁があるので、見上げるしかない。
その左側に小さな建物があった。いつ頃建てられたものなのか、ここにもロンデル窓がある。
アップするとガラスはロンデルではなく、ウロコのようなカットの入ったものだった。しかもそれぞれが色んな方向を向いているので、1つ1つ嵌め込んだことがわかる。
しかし、アギア・ソフィアの窓はロンデルではなかった。白い四角い格子窓だった。
左はミナレットの根元に当たる場所、右にはバットレスが4本並んでいる。ゴシック様式のフライング・バットレス(飛び梁)に近いがどの時代のものだろう。
入口の左前にこのような遺構があった。左の石は一列に並んだ羊の浮彫がある。
手前には列柱跡。
『世界歴史の旅ビザンティン』は、この聖堂はバシリカ建築として、360年にコンスタンティウス2世(在位337-361)によって献堂された。404年に反乱で焼けたあと、テオドシウス2世がやはりバシリカ形式で再建するのが415年のことである。これもまた532年のニカの乱によって焼失し、第三次の聖堂が今日に伝わるものであるという。
この415年に再建された教会の遺構が一部発掘されていて、当時の聖堂を想像することができる。アトリウムを囲む列柱廊の端の部分だろうか?
※参考文献
「世界史の旅 ビザンティン」(益田朋幸 2004年 山川出版社)