2011年8月17日水曜日

1-18 アヤソフィア4 大ドーム

『世界歴史の旅ビザンティン』は、ユスティニアヌス帝は「地中海を内海」とする帝国の威信にかけて、足かけわずか6年で大聖堂を完成させ、537年12月27日に華やかな献堂式を執り行った。建築家トラレスのアンテミオスとミレトスのイシドロスが最も苦労したのは、巨大なドームをいかに支えるかということであった。建築史的にこの建物は「ドーム・バシリカ」の系譜に属するが、分類が意味をなさないほど、アギア・ソフィアは歴史の中で孤立している。このような聖堂は今まで存在しなかったし、ビザンティン人は多少なりとも似た建築をつくろうともしなかった。帝国各地に「アギア・ソフィア」の名を冠した聖堂が建てられるが、いずれも全く異なる。帝国陥落後のオスマン・トルコ人が、次々とミニ「アギア・ソフィア」をつくったことと好対称であるという。
スルタンアフメット・ジャーミイ(ブルーモスク)もその一つ。
ドームを見上げると、四隅のペンデンティブのセラフィム(熾天使)が大ドームを支えているようだ。
『イスタンブールが面白い』は、現在のドームは南北約33m、東西約31mのやや楕円をなしている。地上54mという。
しかし、それは6世紀のオリジナルのままではない。
『建築巡礼17イスタンブール』は、557年12月14日に地震があり、翌558年5月7日に東側のアーチの半分が倒壊し、中央ドームの約半分が崩落した。 
再建工事はただちに開始された。ドーム全体が建て替えられたが、資料からは新しいドームの頂部は崩壊した旧ドームのそれより高い位置(差は約20ビザンティン・フィート、6.4m)に設定されたことが知られる。
再建されたハギア・ソフィア大聖堂の献堂式は562年12月24日に行われた。
現在のドームは、562年竣工の第2ドームの形態をほぼ正確に残しているが、建設年代は6世紀、10世紀、14世紀の3時代にわたっているという。これは、第2ドームの一部が10世紀(989年10月26日)と14世紀(1346年5月19日)に崩落し、その都度補修されたからである。最近の研究によれば、10世紀の崩落はドームの西側約1/3部分、また14世紀の崩落は東側から南東にかけての半分であったことが確認されている。したがって、6世紀に建設された最も古い部分は南側および北側、すなわち半円形の大テュンパヌムを下部構造とする部分になる
という。

大テュンパヌム(長いので、私は仏語のタンパンを使う)は半ドームのかかっていない半円形の壁面のことで、この写真では左右にある。
見上げると、中心から放射状に出た文様帯と金地部分が割合残っている。
しかし、ドームの中央にはイスラームの文字。これを剝がせばどんなモザイクが現れるのだろうか。
『世界美術大全集6ビザンティン美術』は、6世紀にはドームに十字架のモザイクが施されていたらしいが現存しないという。
この主ドームは、長期にわたって高い足場を組んで修復されたので、その報告で明らかになることを期待している。
正方形平面の四隅に置かれたピア(大支柱)それぞれが、2つの大アーチの起拱点となっている。大アーチの頂部の高さに水平面を円形にしてドームの基部とするのだが、その時にできるのがペンデンティブ。
奥に大ドームを支える大半ドームがあり、更に3つの小半ドームが大半ドームを支えていて、小半ドームの中央が後陣となっている。後陣には聖母子像。後陣の両側にも柱があって、2本のピアと後陣両側の2本の柱とで3つの小半ドームを支えている。そこにも2つのペンデンティブができている。
大ドームの東北のペンデンティブにだけ残る顔のあるセラフィム。セラフィムはよく見ると、手足が描かれず、何枚かの羽をまとっている。
後陣側から大ドームを見上げる。入口の上には大きな窓があるが、創建当時こんなに大きな窓をあけることができたのだろうか。
大ドームの下。後光の差した人たちが歩き回っているようだ。
北階上廊のピアの間の円柱は6本、地上階には4本。これでは上の荷重をそのまま下の柱に伝えることはできないだろう。
南階上廊と大タンパン。
『トルコ・イスラム建築』は、ペンデンティブは6世紀にアルメニアで発明されたという。このドーム架構技法を直ちに用い、ローマで実用化されていたコンクリート技法と融合させて、前例のない構造と規模のアヤ・ソフィアの主ドームが実現されたという。
アルメニア教会は小さいが、その最新の構法で、よくこんなに大きなドームを架けることができたものだ。
※参考文献
「世界歴史の旅 ビザンティン」(益田朋幸 2004年 山川出版社)
「イスタンブールが面白い 東西文明の交流点を歩く」(小田陽一・増島実 1996年 講談社)
「建築巡礼17 イスタンブール」(日高健一郎・谷水潤 1990年 丸善)
「トルコ・イスラム建築」(飯島英夫 2010年 株式会社冨山房インターナショナル)