2013年10月24日木曜日

デルフィ2 アポロンの神域1  シキュオン人の宝庫


次に向かうのはアポロンの神域。
アポロンの神域は山の中腹にあるアポロン神殿とその参道の両側に設置された奉納像や奉納品を収蔵した宝庫群から成っている。

入口では入場券のバーコードをかざして入って行く。
斜面にあるのでいきなり坂道が待っている。
すぐに参道の向きが変わり、やがて列柱廊のある広場のような所に出る。

ローマ時代のアゴラ 
右(山)側だけが復元されている。
後のキリスト教時代の石棺の蓋らしきものや、十字架の刻まれた柱頭などが並んでいる。

そして、ここからが本来のギリシア時代のアポロンの神域。
現在は石が敷かれ整備されている参道を通ってアポロン神殿へ。
神域の建物と奉納物の想像復元図(『DELPHIより』)
遺跡を見学していても想像しにくいが、当時はこのように奉納物がずらずらと並んでいて、にぎやかだった。

1 ケルキュラ(コルフ)島の人々の牡牛 前4世紀
『ギリシア美術紀行』は、マグロの豊漁の10分の1税として奉納した「青銅の牡牛」。牡牛自体はこれが作られた前580年頃活躍したアイギナの彫刻家テオプロテスの作で、前4世紀にいまの台座がここに設置された際に移されたと考えられるという。

2 アルカディア人の奉納物 前369年頃
同書は、アルカディア人がスパルタに対する戦勝を記念して奉納した9体の青銅像-アポロン、ニケ、アルカディアの半神たちという。
4 奥 解明されていないストア

3 ガイドのジョージアさんが示している石碑(下の写真)

3 フィロポイメン アカエア人の奉納物 前182年頃
同書は、アカエア同盟の将軍の青銅騎馬像。同盟によって建立、前207年のマンティネイアの戦いでスパルタの将軍マカニダスを殺害するところが造形化されていたという。

5 ラケダエモン人の奉納物 前405年頃
同書は、スパルタ人がペロポネソス戦争を事実上終結させたアイゴスポタモイの戦いでアテナイ人に勝利を収めた記念に奉納された37体の青銅群像-ディオスクロイ、ゼウス、アポロン、アルテミス、リュサンドロスに冠を捧げるポセイドンのほか、28提督と2将軍という。

6 アテネ人の奉納物 前460年代
同書は、前490年マラトンの戦いで獲得した戦利品の10分の1税として彫刻家フェイディアスがアテナイ人のために作った13体の青銅群像-アテナ、アポロン、アテナイの半神たちおよび将軍ミルティアデス。但し制作年代はミルティアデスの名誉が回復されたキモンの時代と考えられる。後にマケドニアの一つ眼(モノフタルモス)のアンティゴノス1世とその子デメトリオス1世、およびプトレマイオス2世が付け加えられ計16体となったという。
フェイディアスは、オリンピアのゼウス神殿のゼウス像を制作した彫刻家。
フェイディアスの仕事場についてはこちら、その出土物についてはこちら

7 アルゴス人の木馬 前414年頃 青銅製
同書は、テュレアの戦いでスパルタ人に対するアルゴス人の勝利を記念して、彫刻家アンティファネがアルゴス人のために制作したという。

8 アルゴス人の神話上の英雄とエピゴノイ(後継者たち) 前456年頃
同書は、アルゴリスのオイノエにおけるスパルタ人に対するアルゴス人の戦勝の10分の1税として制作した奉納群像、全部で20体という。
半円形の壁に沿って青銅像が並んでいた。前に置かれているまっすぐな台座は不明。
いや、復元模型を見ると、中央に戦車のようなものが置かれているので、その台座の一部かも。

9 アルゴスの神話上の王たち 前369年頃
同書は、スパルタから解放されたメッセネの建国を記念してアルゴス人のために制作した10体の青銅群像。本来は20体の群像になるはずだったという。
途中で中断するような出来事でもあったのかな。

続きの奉納品の想像復元図
宝庫群が多い。

10 奉納像の壁龕

ある程度幅のあるものは複数の像が奉納されていたのだろうと思っていたが、復元図を見ると、鼎が中央に一つ安置されていたらしい。
半円形の平面のものや長方形のものなど。また、別の石で作られた台座が置かれたものもある。
半円形の壁龕。割合高い像が置かれていたのだろう。
まだまだ続くが、失われた箇所にいつの時代にか壁が築かれた壁体があって紛らわしい。
半円形の壁龕には3段の台座がある。小さな群像が置かれていたのかも。
横長の3段の台座が残っているが、当初は台座がこちら側の凹んだ部分まで続いていたのかも。

11 タレントゥム人の奉納物「馬と捕虜の女性たち」 前5世紀初め
同書は、タレントゥム(タラス)人が原住民メッサピア人に対する戦勝を記念して、その10分の1税でアルゴスの彫刻家アゲラダス(前5世紀初めに活躍)が制作した青銅群像という。

12 シキュオン人の宝庫 前500年頃
同書は、僭主制を倒した寡頭派によって奉納された。その際建築部材として再利用された、前580年頃の13柱ドーリス式円形建築物(トロス、26の場所にあったとされる)と前560年頃の内室のない(モノプテロス)4X5柱建築物(前582年最初のピュティア祭に優勝したシキュオン人の僭主クレイステネスの戦車を収めていたと考えられる)の遺品、特に後者の5枚のメトープ(美術館第4室)は非常に貴重なものであるという。
平面図にある通り、東側に開いた玄関間に2本の円柱のあるイン・アンテス式の宝庫だったことはわかる。
円柱の残骸が内室に1本残っているのはその名残だろうか。
シキュオン人はオリンピアにも宝庫を設けていて(前5世紀前半)、現在はドーリス式円柱1本と東壁の一部が残っている。
その想像復元図によるとやはりイン・アンテス式の建物で、それによりこの宝庫がどんなものだったかがわかる。

26 13柱ドーリス式円形建造物(トロス)の平面及び立面図(『DELPHI』より)
『DELPHI』の図面には「シキュオン人のトロス」と明記されている。シキュオン人は、後の時代に、かつて祖先が建てたトロスから部材を借用して宝庫を造ったことになる。
『世界美術大全集4ギリシア・クラシックとヘレニズム』は、トロスは円形のナオス(神室)とその内外に同心円をなす円形列柱で、上部は円錐形の屋根で覆われた。オーダーを備えた円形神殿はすでに前6世紀初めに確認できるという。
それはこのシキュオン人のトロスを指しているのだろうか。
円周を12等分するのは簡単だろうが、どのようにして13等分したのだろう。
モノプテロスの4X5柱建築物の平面及び立面図(デルフィ考古博物館より) 前560年頃
現存する円柱の一部はどちらのものだったのだろう。
そのメトープ
短辺の3つのメトープを占めていたアルゴ号の想像復元図
ということは、モノプテロスは入口か裏側の上を見上げると、アルゴ号の1場面だけがあったのだ。
トリグリフも含んで5枚の石板にアルゴ号を長々と浮彫している。まるでフリーズのように扱っていて、このようなメトープは初めて知った(トリグリフ及び残りの2枚のメトープは欠失しているのか、博物館にはなかった)。 
その展示されているメトープの復元図
その残存部分
『DELPHI』は、竪琴を持っている内の一人は碑文からオルフェウスと判明しているという。
ディオスクロイとアルカディアの牛の復元図
その残存部分
拡大してみると、牛は前面の横向き(こちら側)と、前向きの2頭、計3頭が重ねて表されている。
前で右手で槍を2本持っている人物は、左手で槍を担いでいて、複数の牛を連れて行列を作って行進している。
カリュドンの野猪
猪の下に小さなウサギが浅浮彫されている。
エウロペの誘拐 前560年頃
セリヌンテY神殿メトープ浮彫のエウロペの略奪(前550-530年頃)よりも古い作品になる。
やはり右手は離し、横乗りしている。
「フリクソスの逃亡」は見逃したかな。

デルフィ1 まずはアテナ・プロナイアの神域から
                        →デルフィ3 アポロンの神域2 シフノス人の宝庫

関連項目
ギリシア建築7 円形建造物(トロス)
オリンピア10 スタディオンの西に並ぶもの
ギリシア神殿4 上部構造も石造に
デルフィ11 デルフィの町とギュムナシオン 
デルフィ10 アポロンの神域9 スタディオン 
デルフィ9 アポロンの神域8 劇場
デルフィ8 アポロンの神域7 アポロン神殿
デルフィ7 アポロンの神域6 デルフィの馭者像
デルフィ6 アポロンの神域5 青銅蛇の柱に載っていたのは鼎
デルフィ5 アポロンの神域4 ハロースに埋められていたもの
デルフィ4 アポロンの神域3 アテネ人の宝庫

※参考文献
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事出版社
「DELPHI」 ELENI AIMATIDOU-ARGYRIOU 2003年 SPYROS MELETZIS
「世界美術大全集4 ギリシア・クラシックとヘレニズム」 1995年 小学館