2014年2月5日水曜日

古代マケドニアの遺跡7 ペラ考古博物館1 漆喰画の館


ペラ考古博物館は以前は⑬にあったということだが、現在は新しい建物になって、⑦アゴラと⑫王宮の間にあり、パレア・ペラの町を少しだけ通る。

南にペラ遺跡、手前が新考古博物館(館内の航空写真より)で、左(東)から塀に囲まれた通路を通って入る。

考古博物館平面図
右下の入口から受付を通り左に中庭(モザイク、墓碑がある)、突き当たりの壁に様々な写真パネル、左に進んでディオニュソスの館の4枚のペブル・モザイクのある広い展示室がある。
私がペブル・モザイクの次に見たかったある館の壁は、同室の片隅にあった(2つの赤い小さな四角の間)。

それは「漆喰画の館」と呼ばれている邸宅の壁面で、二階建ての壁をそのまま立てかけてあるので、かなりの高さだった。
『ギリシア古代遺跡事典』は、国道をはさんで、「ヘレネの略奪の館」の南側には、「漆喰画の館」⑥と呼ばれている興味深い遺構がある。ドーリス式柱廊を持つ前3世紀末中庭に面した1室の3面の壁は、床面から5mの高さまでの装飾の復元が可能で、そこには、二階建てのつくりであるかのような錯覚を起こさせる立体的な漆喰画が色鮮やかに施されていた。考古学博物館に展示されているその復元された壁面装飾は、空間の拡がりを生み出す三次元的なイリュージョンを描くポンペイ壁画の第1様式のもので、この様式の現存している最古の例と言われており、ポンペイ壁画がギリシア起源であることを実証する有力な根拠となっているという。
二階建ての壁ではなく二階建て風のイリュージョン! ということは、5mもある吹き抜けの部屋?

高い部分は図版で見るに限る。
コリントス式でもイオニア式でもドーリス式でもない赤い柱頭から3段ほど持ち送ってアーキトレーヴに達している。珍しく角柱の付け柱だが、下から見上げても円柱には見えない。

風化したためか、元々も模様のある石材を用いたように見せかけたのかがよくわからないのだが、今見ると石の模様にさえ感じる。

下から見上げると、1階より2階がかなり出っ張っている。

想像復元図のパネル
柱廊を巡らせた中庭に面した部屋3面とはこのことだったのか。
こうして見ると、2階は赤い腰壁の上は柱だけで、水色は空が見えているという風に錯覚させるためのものだろう。
石材はやはり、色の異なる模様のある石を選んだように見せかけていたようだ。一番下は縞のある大理石みたい。

建物の説明を撮るのを忘れていたが、別のパネルには、このような壁面のある建物の想像復元図が描かれていた。
こちらは一階部分だけで、柱はなく、色石を積み上げた壁面を表現した部屋だったらしい。
縞のある大理石を薄板に切って、見開きにして並べるという壁面装飾は、イスタンブールのアヤソフィア(後6世紀中葉)にも見られる。
凝った造りの家があったのか、やはりイリュージョンの装飾だったのか、よくわからない。

ポンペイの壁画第1様式については、以前まとめたことがある。それについてはこちら

ポンペイ遺跡を歩いていて、一瞬見えたのがこの壁面。第1様式の壁だと慌てて撮ったので、ややピンボケ。
壁画というよりも、四角形の区画に彩色してあるだけという風に感じたが、こんな写真でも、漆喰による凹凸の線は見て取れる。

サルスッティオの家(Casa di Sallustio)玄関
『完全復元2000年前の古代都市ポンペイ』は、第1様式は「化粧張り様式」または「構造的様式」ともよばれ、ポンペイに残る装飾の年代(前200-80)からみて、最も古い様式である。スタッコ(化粧しっくい)を用い、コーニス、片蓋柱、ルスティカ、円柱といった建築要素を模倣し、大理石風に装飾するという。
前3世紀末にはペラの邸宅にあった第1様式は、前1世紀前半まで広範囲に受け継がれた室内装飾だった。


古代マケドニアでは、第1様式のものがイリュージョンとして、来客をあっと言わせたり、家族で楽しむ仕掛けだったが、ポンペイでは、むき出しの壁を隠すための漆喰壁は、このように装飾するのが当たり前になってしまったような気がしないでもない。

        ペラ4 アゴラ界隈←           →ペラ考古博物館2 ダロンの聖域

関連項目
ポンペイの壁画第1様式
ポンペイ壁画 第2様式にイリュージョン
ポンペイ壁画 第3様式
ポンペイ 庭園画は第3、第4様式
ポンペイ 第4様式は幻想様式
マケドニアの金製品
ペラ考古博物館3 ガラス
ペラ3 ヘレネの略奪の館
ペラ2 ディオニュソスの館
ペラ1 円墳を辿ると遺跡に着く
古代マケドニアの遺跡 ヴェルギナ2 王宮まで
古代マケドニアの遺跡 ヴェルギナ1 大墳丘にフィリポス2世の墓

※参考文献
「ギリシア古代遺跡事典」 周藤芳幸・澤田典子 2004年 東京堂出版
「Pella and its invirons」 Maria Lilimpaki-Akamati Ioannis M.Akamatis 2003年 MINISTRY OF MACEDONIA-THRACE
「完全復元2000年前の古代都市 ポンペイ」 サルバトーレ・チロ・ナッポ 1999年 ニュートンプレス