2014年3月12日水曜日
クレタ島2 クノッソス宮殿2
クノッソス宮殿は中央宮廷を挟んで西翼と東翼の建物がある。更に西翼には2階の遺構も一部復元されている。
11:南公式入口から大階段を上って、西翼の2階へ。
中央宮廷へ導く通路やユリの王子の壁画のある建物、聖なる牛の角などを眺める。
『クノッソスミノア文明』(以下『クノッソス』)は、聖なる牛の角は宮殿の南側の屋根の上に置かれていたのではないかという説もあるという。
中央宮廷や東翼を垣間見る。
同書は、更に両側に円柱が取り付けられていた階段(残っているのは円柱の基台のみ)を上るという。
ここがその円柱の基台のあるところ。角柱もあったらしい。
12 三円柱の間
この部屋には、3本の円柱と3本の角柱が向かい合わせに立っていた。上階には南北に走る長い通路があり、それは下の14「西貯蔵庫」に沿って伸びる通路と並行していたという。
13 西貯蔵庫
この大貯蔵庫には21の部屋があったが、そのうち3室は第1宮殿期に既に使用されなくなっていて、今日残っているのは18室のみである。
クノッソスの王が世俗の統治者であるとともに宗教上の最高権威者であったことを覚えておいてほしい。それゆえ、神への奉納品、税、献上品、収穫物などを納めるための場所が不可欠だったのである。エヴァンスが論じたように、西貯蔵庫は紀元前1900年から始まる第1宮殿期に属するが、紀元前1700年以降、すなわち宮殿が再建された後も使用されていたという。
ピソスと呼ばれる貯蔵用大型土器には、油(主にオリーブオイル)やワインの他、おそらく穀物も貯蔵されていたであろう。高価な器物を保管するための石製の箱も置かれ、そのうちのいくつかには武器や道具類、さらに収納品を記した粘土版も納められていたという。
大広間へ。
14 大広間(左手前)
この部屋はおよそ3分の2は復元されている。2本の円柱が中央に据えられた。多発する大地震に耐えられるように、上階には重量の少ない建材が使用されていたという。
15 礼拝の間
大広間の北には、3本の円柱が2列に並ぶ「礼拝の間」があるという。
奥の白い服の人が歩いている部屋。
通路の北端(平面図丸印)へ。
右向こうに白い連珠文の並ぶ建物(北入口の見張り所、反対側に雄牛の浮彫壁画がある)、その左には赤い円柱の見える小さな建物(清めの場)が見える。
ここも二階建てだったが、現在は一階の西貯蔵庫の発掘が行われている。
その向こうには浅い階段状の劇場。この道を左(西)に向かうと西出口に着く。
16 フレスコ画の複製が展示されている部屋
中は5本の円柱のある腰壁があるため、凹型になっていて狭い。コピーを見るのも大変だった。
窓にも円柱が1本ある。
大きな絵は人がいなくなった時でないと写せない。
5本の円柱のある腰壁の下。
この部屋全体の下が王座の間になっていて、やはり3本の円柱が王座の間と吹き抜けの真下部分を区切っている。短辺に沿って小さな階段状のものがあるが、何に使われていたのだろう?
17 中央大階段
展示室南側の階段は上階へは立入禁止。
その下側にある階段を下りて中央宮廷へ。
この階段にも中央に円柱や角柱があったようだ。ということは想像復元図のように、階段にも屋根があったらしい。
クレタ島1 クノッソス宮殿1← →クレタ島3 クノッソス宮殿3
関連項目
クレタ島4 クノッソス宮殿4
クレタ島5 クノッソス宮殿5
クレタ島6 イラクリオンを海辺まで街歩き
※参考文献
「クノッソス ミノア文明」 ソソ・ロギアードウ・プラトノス I.MATHIOULAKIS
「古代ギリシア遺跡事典」 周藤芳幸・澤田典子 2004年 東京堂出版
「世界歴史の旅 ギリシア」 周藤芳幸 2003年 山川出版社
「迷宮のミノア文明 事実になった神話」 ルイズ・スティール 1998年 主婦と生活社