2014年4月10日木曜日
サントリーニ8 アクロティリ遺跡2
アクロティリ遺跡は、東南から反時計回りに見学した。
遺跡の説明板は、建物は切石積みのため、便宜上「切石建築4号」と呼ばれている。長さ20m以上の独特の大建造物で、西側は少なくとも三階建てで、三階の舗床がそのまま残っている。南東が急勾配のため、東側の基礎はずっと低い位置に置かれ、そのために、もう1階か2階はあっただろうという。
切石建築(クセステイ)4号
中央通路から眺めた遺構は通路と同じくらいのレベルだったが、その奥にある高いものも4号の続きだった。
南通路からは下を見下ろす位置に遺構がある。
切石だけでなく細かな石を積み上げた部分もあったらしい。
東南隅
傾斜地のため、この辺りが他よりも低く、1階か2階高くなっているという話だが、火山灰に埋まったままなので、実感できない。
東側通路の南隅
切石積みの内側に、小さな石を積んだ部分があるようにも見える。
『図説ギリシア』は、公共的な性格のつよい建物の場合には、外壁が火山岩を切り出した化粧石で覆われたという。
東側通路より東面
やはり切石積みの内側に細かな石を積んでいる。
通路の内側に折れた場所から
ここから東南の隅が低くなっているのがわかった。
北面の切石積みがよく残っている。一室には木が残っていたらしい。薪にでもするつもりだったのかな。
ポールの向こう
切石壁は深いところまで残っている、というより、当時の地面がもっと下にあったのだ。前17世紀にこのような石造りの三階建ての建物があったとは。
切石積みは右奥にも続いている。
切石建築2号
1つ北側のポール列のところには、少なくとも三階建ての別の建物の壁があった。
違う方向から
その北側奥には窓の並ぶ建物が並んでいる。
ここは見学デッキがあり、説明を聞きながらよく見られるようになっている(下図の四角形)。
それは建築複合体デルタと呼ばれているものだった。
説明板は、2本の角のある広場デルタ複合体。
遺跡の地面は上がっているが、街の中心に位置するデルタ地区はかなり以前に発掘調査されている。
東建物群の正面には、白っぽい凝灰岩の聖別された2つの角が掲げられていた。
大噴火後、泥流がこの地区に押し寄せて、部屋に流入した。そのお陰で、春のフレスコとして知られるユリとツバメの壁画が保存され、アテネの国立考古博物館で展示されている。
木製容器や家具の痕跡が、石膏で復元されてテラ先史博物館で見ることができるという。
その拡大
どこに聖なる牛の角がのっていたのだろう。
ユリとツバメのフレスコ画の写真を見せてくれるポピーさん。
この壁画についてはこちら
見学デッキの目の前には薄い石の板が積み重ねてあった。舗床に使われていたものだろうか。
ジグザグの通路の一番奥に「西の家」らしき遺構が見える。
西の家についても後日
その拡大
つっかえ棒のあるのが西の家の南壁、手前には狭い部屋を仕切る厚い壁がある。
通路の右奥には別の建築複合体。
その拡大
「婦人たちの家」とか「女性たちの館」と呼ばれているものらしい。
この館についても後日
更に北にも階段があり、その先にも遺構は続いてる。何と言ってもアクロティリは、発掘されているのはごく僅かというくらい広い遺跡なのだそうだ。
北東の角より
見学デッキから婦人たちの家を眺める人たち
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関連項目
アクロティリ遺跡の壁画1 春のフレスコ(ユリとツバメ)
サントリーニ1 クレタからサントリーニへ
サントリーニ2 イアに夕日を見に
サントリーニ3 ネア・カメニへはフィラから
サントリーニ4 パレア・カメニ島の海中温泉
サントリーニ5 火山島ネア・カメニ1
サントリーニ6 火山島ネア・カメニ2
サントリーニ10 アクロティリ遺跡4
サントリーニ11 アクロティリ遺跡5
※参考文献
「図説ギリシア」 周藤芳幸 1997年 河出書房新社