2014年5月2日金曜日

アテネ、アクロポリス7 新アクロポリス美術館1


アクロポリスの南麓遺跡は新アクロポリス美術館の北側にあるが、出入り口は南東の隅なので、遠回りにはなる。
写真右手が南麓遺跡、奥の建物手前を左に折れると新アクロポリス美術館。
その建物には大きな広告があった。何か商業的な広告だろうと思っていたが、「アルカイック時代の色彩」という美術館の特別展示だった。
上の看板の前で左に向きを変えるとやや低い位置に新アクロポリス美術館はあった。
階段を下りて美術館へと進んでいくと、足元に面白い仕掛けがあった。
ローマ時代らしい舗床モザイクが床に描かれていた。
かと思うと、下には本物の舗床モザイクが。
続いて建物の遺構のようなものが見えてきた。
『THE ACROPOLIS THROUGH ITS MUSEUM』(以下『MUSEUM』)は、美術館を建てる前に行った発掘調査で現れた石器時代後期からビザンティン時代までの遺構だという。

① 遺構
三角形の平たい屋根の下では、遺構がよく見えるようになっていた。
同書は、ローマ時代後期からビザンティン時代初期のものという。
入口に近い方から。様々な大きさの石を積みあげた壁面が面白い。
どちらの写真にも見えている丸い穴は何だろう。井戸かな。こういう所に小銭を投げ込むのは洋の東西を問わない習慣らしい。

② 入口
チケット売り場とアクロポリスの丘の時代ごとのジオラマがいくつか並んでいた。

アクロポリスとアクロポリス南麓の遺跡 ローマ時代
屋根があると全然違って見える。

そして、ゲートを入ると撮影禁止。

④ スロープ
広いスロープの両側に、黒絵式や赤絵式などのギリシア陶器が陳列されていた。幅が広いので、反対側の展示棚までいくのが手間だったが、パンフレットの矢印にあるように、左側は帰りに見れば良かったのだ。
右途中にある2体の像はローマ時代初期のテラコッタ製ニケ
『MUSEUM』が、その足の形から、建造物の屋根に着地したように表されたと考えられているというように、斜面に立っていることを示すようにつま先が下を向いている。


スロープが尽きると階段があり、上り詰めると大きな破風が立ちはだかっている。

⑤ 旧パルテノン神殿西破風の彫刻 前570-550年頃
旧パルテノン神殿についてはこちら
『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』(以下『世界美術大全集3』)は、獅子が牡牛などの動物を襲う「獅子闘争図」は、東方起源の図像である。スフィンクスとともにデーモン的な力をもつものとして、それが描かれた当のものを守護する魔除け(アポトロパイオン)的な象徴であったという。
三つの胴体をもつダイモン 
『MUSEUM』は、左端はヘラクレスがネレウスという海の生き物を組み伏せ、右は、像は失われているが、ゼウスらしく、タイフォンあるいは三つの胴体をもつダイモン、有翼の胴体と蛇の尾を持つ生き物。
それぞれが炎または閃光、水と鳥、という3つの自然の要素(火、水、大気)を手にしている
という。


⑥ 古アテナ神殿破風彫刻 前520年頃 大理石
古アテナ神殿はエレクテイオンの南側に建立されたが、両神殿が同時期にアクロポリスの丘に立っていたということはなかった。
アクロポリスのプランはこちら
『世界美術大全集3』は、巨人族(ギガンテス)がオリュンポスの神々に戦い(マキア)を挑んだ「ギガントマキア」の主題が前6世紀末の二つの神殿の破風を飾った。デルフォイのアポロン神殿と当のアテネの古アテナ神殿のそれである。
ギガントマキアにおけるアテネの守護神アテナ女神の勲しを称揚する意図が存在したと考えられる。この図像学と深く関係する作品としてアテネがポリスの国家的威信を発揚せんがために前566年に制定したパンアテナイア祭、その祭神アテナへの納衣(ペプロス)に刺繍されたといわれる有名な「ギガントマキア」が想定されているという。
デルフィのアポロン神殿西破風についてはこちら
同書は、右手に槍を振りかざし、背中と左腕を覆うように、蛇の頭を多数その周囲ら取りつけた大きなアイギスを打ち掛けたアテナが、左脚を大きく踏み込んだ前傾姿勢で、巨人の一人を打ち負かしている。
頭部は、とぐろを巻いたブロンズの蛇を差し込んだと思われるドリルの穴を多数残したヘルメットをかぶり、つり上がり気味の見開いた大きな眼をもつ顔貌は威厳と静謐に満ちているという。
薄いキトンから透けるように表された脚の筋肉、キトンそのものは線刻で衣褶を表している。上着のヒマティオンはキトンよりも厚手に表され、衣端はジグザグに重なっている。このような表現が何という名称で呼ばれているのか、なかなか分からないのだが、仏像の着衣にも同様のものがあり、興味がひかれる。

⑦ アルカイック期の彫像群
この展示スペースで、「アクロポリスの色彩」という特別展示があった。どちらかというと衣文の表現の方が興味があったが、それについてはおいおい。


本来なら、建物の西端のエスカレータでレベル3(日本風にいうと4階) に向かうが、都合でレベル1(同じく2階)を一周した。

⑧ エレクテイオン南柱廊のカリアティド(女人柱) 前420-410年頃
『世界美術大全集4 ギリシア・クラシックとヘレニズム』は、カリュアティドは着衣の女性像を柱代わりに用いたもので、女人柱とも訳されている。アルカイック時代以来イオニア式建築に採用され、その最も完成した例がこの「エレクテイオンのカリュアティド」であるという。
袖無しの厚衣ペプロスの上に、形から背中にかけてマントを羽織り、遊脚である左脚を僅かに前に出しており、凝った髪型や豊かな髪の表現とも相まって、美しさと完璧な写実を兼ね備えた豊麗時代の代表作となっているという。

⑨ アテナ・ニケ神殿のフリーズ(右奥)と欄干浮彫 前410年頃
当神殿のフリーズは大英博物館が所蔵していると思っていたが、新アクロポリス美術館にも収蔵されていた。
大英博物館蔵のフリーズはすでに紹介しているので、今回は省略。
そのフリーズについてはこちら
サンダルの紐を解くニケ 欄干浮彫
『世界美術大全集4』は、アクロポリスの南西の角地に突き出た人工の保塁(ニケ・ピュルゴスとよばれる)の上に巡らされた大理石製の欄干に施された浮彫り。この保塁の西壁に接して無敵のアテナ女神を祀ったアテナ・ニケ神殿が立つ。欄干そのものは高さ約1mで、保塁の南・北・西の縁沿いに全長42mにわたって並び、その外側の面に、岩に腰掛けたアテナ女神に向かって多数の有翼のニケが、勝利を祝う姿が刻みこまれていた。
本図はそのうち、保塁の北側に設けられた小階段沿いの欄干に刻まれたもので、祭壇を前にしてサンダルを脱ぐニケが表されている。衣そのものの美しくも装飾的な表現など、典型的な豊麗様式であるという。
規則的なジグザグ状の衣端表現はなくなっていくのかな。

⑩ 前5世紀-後5世紀の展示コーナー
各神殿への、各時代の奉納品が展示されている。

     アテネ、アクロポリス6 ヘロデス・アッティコスの音楽堂
             →アテネ、アクロポリス8 新アクロポリス美術館2

関連項目
デルフィ8 アポロンの神域7 アポロン神殿
アテネ、アクロポリス1 プロピュライア
アテネ、アクロポリス2 パルテノン神殿
アテネ、アクロポリス3 エレクテイオン神殿
アテネ、アクロポリス4 周囲を眺める
アテネ、アクロポリス5 南麓のディオニシオス劇場
アテネ、アクロポリス9 新アクロポリス美術館で夕食

※参考文献
「THE ACROPOLIS THROUGH ITS MUSEUM」 PANOS VALAVANIS 2013 KAPON EDITIONS
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」 1997年 小学館
「世界美術大全集4 ギリシア・クラシックとヘレニズム」 1995年 小学館