2015年6月24日水曜日

シャーヒ・ズィンダ廟群5 シャディ・ムルク・アガ廟


シャーヒ・ズィンダ廟群のタイル装飾のみごとな廟の一群は、まず12-16の4つで、左右に2つずつ設けられている。この辺りは常に参詣者が多くて、撮影は困難だった。

『中央アジアの傑作サマルカンド』は、アムール・チムールの時代には、シャヒ・ジンダはチムール族の女性の廟になったという。

14 シャディ・ムルク・アガ廟 SHODI MULK OKO MAUSOEUM 1372年
同書は、最も最初に建設されたのは、ウルジャイ・シャディ・ムルク(1372年没)の廟だった。彼女はアムール・ティムールの姉クトルグ・トルカン・アガの娘だった。この廟には肋骨のあるドームと彫りのタイルで飾られた表玄関がある。1383年にクトルグ・トルカン・アガ自身も亡くなり、同じ廟で埋葬された。入り口の上には銘があり、その銘の内容は、「スレイマンが自身の幸福の宝石であった女性と風で吹き飛ばされたように、私たち二人も地下で安心して眠ることができる」というものである。廟にある納骨堂は開けられていないが、外側からの研究で地下に二つのアーチがついている長方形の部屋があることが明らかになった。廟の装飾で、テラコッタやマジョリカのタイルが使用されている。最も多く使われているのは青色であるという。
玄関両脇には3/4付け柱が浮彫タイルになっている。
浮彫タイルだろうが、透彫のように彫りが深い。
玄関のイーワーン左右の壁面にある大判の浮彫タイル。
その上にはやはり浮彫タイル。

全体を撮るのは難しい。玄関の左側
外にも同じような文様があったが、技法が違う。こちらも凹凸があるのだが、白い釉薬を盛り上げて文様を綴っていったように見える。

左端の付け柱も浮彫タイルを繋いだもの。それは蓮華のような、ムカルナスの花のようなものの上に伸び、その下部は瓢箪のような形になっている。

まず付け柱
地が見えない程深く刻まれた植物文。高浮彫というよりも深浮彫の方が近いかも。
その下。
やはり深浮彫の植物文の花弁が幾つか。
その下も植物文と幾何学文の組み合わせが深い浮彫で表される。


玄関上部のムカルナスは、直交座標系。ムカルナスの一つ一つは浮彫タイルのよう。
玄関で上を向いて写すと、下部から持ち送って行く様子がよくわかる。頂部に空色の八点星が2つ並んでいて、その間にもコバルト色の四点星のようなものがあったらしい。

内部もタイルが貼り巡らされていて、床には数個の棺が安置されている。
正方形の平面だが、かなり低い位置から八角形へと移行していく。
正方形の四隅のスキンチ。4段のムカルナス
ここにも様々な浮彫タイルが組み合わされている。
腰壁も様々な形、様々な文様の絵付けタイル
ドームへの移行部。
正方形、八角形、十六角形、円形へと移っていくが、そこでうまれた僅かな壁面でさえ、タイルで覆われている。
それなのにドームは八分割されていた。
イスラームの装飾らしく、組紐のような帯で複雑な幾何学文が入り込んでいる。
8つの花弁状の区画は4種類の文様のタイル装飾になっている。その中の一つは、空色の六点星と、コバルト色の小さな菱形との組み合わせのモザイク・タイル。
浮彫タイルとモザイク・タイルで埋め尽くされた廟だった。


        シャーヒ・ズィンダ廟群4 トグル・テキン廟
                      →シャーヒ・ズィンダ廟群6 シリング・ベク・アガ廟


後日、『COLOUR AND SYMBOLISM IN ISLAMIC ARCHITECTURE』という本で、ファサードイーワーン上部(ビーシュターク)の大きな図版を見つけ、驚きました。
そこには染付のようなタイルが貼り付けてあったのです。
コバルトブルーで蔓草を描いていますが、ウズベキスタンでは見たことのない描き方で、トルコブルーを差しています。
それについてはこちら

関連項目
ウズベキスタンのイーワーンの変遷
イーワーンの変遷
アラビア文字の銘文には渦巻く蔓草文がつきもの
ハフト・ランギーの起源は浮彫タイル
シャーヒ・ズィンダ廟群の浮彫タイル1
浮彫タイルは浮き出しタイルとは別物
浮彫施釉タイルの起源は漆喰装飾や浮彫焼成レンガ
シャーヒ・ズィンダ廟群3 アミール・ザーデ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群8 ウスト・アリ・ネセフィ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群14 クトゥルグ・アガ廟

※参考文献
「中央アジアの傑作 サマルカンド」 アラポフ A.V. 2008年 SMI・アジア出版社
「COLOUR AND SYMBOLISM IN ISLAMIC ARCHITECTURE」 1996年 Thames and Hudson Ltd.London