2015年8月3日月曜日

ビビ・ハニム・モスク3 南北のドームのある部屋


ビビ・ハニム・モスクには3つのドームがある。『イスラーム建築の世界史』は、従来のチャハール・イーワーン形式を継承し、キブラ方向の大ドームの他に、副軸上のイーワーンの背後にもドーム室を付けるという。
『旅行人ノート』は副軸上のドームを小モスクとし、私もモスクと思っていた。

北のドーム
外壁は、空色及びコバルトブルーのタイルを4つ組み合わせたものを交互に並べたバンナーイ。色の濃い箇所がオリジナル。
正面から高いドームがよく見える。
ドームは二重殻。
同書は、従来の二重殻ドームよりさらに内殻と外殻を大きく乖離させた二重殻ドームを用いることで、室内は従来通りの高さながら、外側は高いドラムの上のドームを際立たせているという。
正面から見るとドームと下の建物とのバランスは良いが、側面から見ると、円筒部を含むタイルで覆われたドームが大きすぎる。

内部
正方形、八角形、十六角形、円形へと移行し、ドームは主モスクのものほど高くない。やはり主モスクのドームは内殻が失われていたのだ。
でも、拡大すると、主モスクのドームの形状と似ている。
ムカルナスも平たい焼成レンガで自然に持ち送られ、本来の構造体となっている。一部に白っぽい漆喰が残るのみ。

下部は3方向にイーワーンの凹みがあるが、出入口はない。
ムカルナスを拡大してみると、漆喰が剥がれたと思っていた黒っぽい部分に幾何学的な組紐文が残っていた。白っぽい漆喰と思っていた箇所が、実は漆喰が剥がれていたということかな。
ドームにも組紐文によるフレスコ画が残っている。
組紐で仕切られた部分には六角形の七宝繋文が残っている。しかも金色に輝いている。金泥で描いたのか、金箔を貼り付けたのか、輝きという点では、後者のような気がする。
その下側にはアラビア文字の文様帯、移行部にもフレスコ画があったらしい。

更にイーワーンの側壁にもフレスコ画が残っていそう。
どうやら中心に赤い奇石のようよなものを取り付けた6点星と六角形・三角形を組み合わせた幾何学的組紐文のよう。きっと壁体全面がこのようなフレスコ画で覆われていたのだろう。

南ドーム室

内部は漆喰がよく残り、明るく感じる。
ドームは、正方形、八角形、十六角形と移行しているが、円形の輪郭ははっきりしない。そして、等間隔に穿たれた小孔は修復に関係するものかな。
その下側
フレスコ画が残っている。
ムカルナスには北ドームのものと同じく組紐を交差させて、五角形、変形六角形、変形四角形を構成した幾何学文。
その上に六角形と赤い三角形を組み合わせた文様。
その下にはアラビア文字の文様帯の痕跡。

南イーワーンにはフレスコ画がよく残っている。
頂部は修復のようだが、12点星し8点星の間に紐を組み合わせて6点星、変形六角形、三角形などを編み出している。北ドームのように出っ張っているようには見えないが、それぞれに赤が差してある。
ピントがいまいちだが、イーワーンの平面には縦に繋がる簾のように小さな文様があって、中には輝きの残るものもある。腰壁にも様々な形のものが描かれている。
右イーワーンにも赤い小さな文様を鏤めたフレスコ画があった。
遠目には連珠円文のようだが、12弁の花文が等間隔で並ぶ。その間を六角形、四角形などを組み合わせた幾何学文が青っぽい色で描かれている。

左イーワーン内にもフレスコ画は描かれていたのだろうが、よく残っていない。

そして部屋の隅にはタイル片の山。どこに使わていれたのだろう。外ドームか外壁くらいにしか色タイルは使われていないはず。

            ビビ・ハニム・モスク2 主モスク

関連項目

ウズベキスタンのイーワーンの変遷
イーワーンの変遷
イーワーンの変遷
ドームを際立たせるための二重殻ドーム
ビビ・ハニム・モスク1 外観と中庭

※参考文献
「中央アジアの傑作 サマルカンド」 アラポフ A.V. 2008年 SMI・アジア出版社
「旅行人ノート⑥ シルクロード 中央アジアの国々」 1999年 旅行人