2015年8月6日木曜日
グル・エミール廟2 内部
東部回廊に入ると、
腰羽目に六角形の青タイルが貼られた壁龕のある小ドームが4つ続く。
一番奥から廟内へ。入口には建立当初の壁面がわずかに残っている。
バンナーイの箇所と石彫と。
中に入ると金色の輝きに言葉を失う。
外壁は八角形なのに、内部は四方に深いイーワーンがあるものの、正方形平面となっている。
『ウズベキスタンシルクロードのオアシス』は、ドームの内部は金箔で覆われており華麗という。
ガイドのマリカさんは何十㎏とか言っていたが、忘れてしまった。
四隅にスキンチを作り、そこから微妙な細工をして、上に16のアーチを作らずに十六角形となっている。
それぞれの壁面は全面が金箔で覆われているのではなく、おそらく漆喰に植物文(イスリミ)の浮彫を施し、その凸部に金箔を貼り付けたのだろう。
大小の石棺が北向きに並んでいる。ドームだけでなく、壁面もイーワーンのムカルナスもキンキラ。
ムカルナスには細かな装飾が。
花文もあれば、六角形の七宝繋文もあるし、上部には6点星、六角形などが組み合わされている。
床にはたくさんの石棺が置かれている。『シルクロードのオアシス』は、真ん中の黒い墓石(イリ川産の暗紫色の軟石)がティムールのものという。
『シルクロード建築考』は、1404年、この墓廟が完成したのちに初めて埋葬されたのは、将軍でありチムールの宗教上の師であったミール・セイド・ベルケである。さすがのチムールも1405年1月に中国へ遠征の途中、オトラルで病歿した。時に69歳、聖者のヒベットッラーに引導されて息をひきとったという。
黒檀の柩に納められたチムールの遺骸は、ムハメド・スルターンの中庭に安置されたのち、墓廟のベルケ師の足もとに埋葬されたが、肝心の記念廟になったはずの仮り主ムハメド・スルターンの遺骸も、のちになって祖父チムールの横で抱かれたように葬られているという。
④がミール・セイド・ベルケ、①がアムール・ティムール、③がムハメド・スルターンの墓石。
これらは礼拝用のもので、遺骸は地下に埋葬されている。
各国語で記された埋葬者の名前。どれがウズベク語か未だにわからない。
グル・エミール廟1 外観← →グル・エミール廟3 南及び西側
関連項目
ウズベキスタンのイーワーンの変遷
※参考文献
「ウズベキスタン シルクロードのオアシス」 萩野矢慶記 2000年 東方出版
「東京美術選書32 シルクロード建築考」 岡野忠幸 1983年 東京美術