2011年1月11日火曜日

4-5 サン・クレメンテ教会のアトリウム

ミトレウムを見終わって、先ほど見つけた階段まで戻るのも面倒なので、4世紀の教会跡への階段から地上に戻った。しかし結構歩いたので、やっぱり水の流れる部屋の向かいにある階段を登った方がよかったかも。
もう一度後陣のモザイクを眺め、身廊の東にある扉からアトリウムへ出た。
アトリウム(柱廊中庭、artico)は写真で見るよりも小さく感じた。四隅にヤシの木が植えられて南国風。
対角線の交わるところに庭園水盤(cantaro)がある。というよりも、ギリシア神話で宮殿の水盤のある中庭をアトリウムと呼んでいた(Wikipediaより)そうだ。
噴水になっていて、少しずつ水が出ている。八角形の囲いに流れ落ちて、そのまわりは水浸し。ローマ時代はアトリウムの地下に雨水を貯め、生活用水にしていたのではなかったかな。どちらの柱廊も片流れ屋根で内側に傾いている。
ナルテックス(前室、nartece)の天井は交差ヴォールトになっている。地下1階に残る4世紀の教会の交差ヴォールトよりも角度があるかな。
南回廊は奥にイオニア式柱頭が並び、手前はコリント式柱頭をイオニア式柱頭の高さに合わせて切ったような柱頭がのっている。回廊は思ったよりも幅広だ。
あれ、出入口が平面図と違って南にある。
北側の回廊はイオニア式柱頭が並んでいると思ったが、一つ一つ見ていくと、柱頭のほぼないもの、イオニア式の渦巻きも地味なものと派手なものなどいろいろと混じっている。これもきっとあちこちの遺構から持ってきた転用材だろう。
これがサン・クレメンテ教会の現在のファサード(正面の顔)だ。18世紀初めのバロック。サン・クレメンテ教会は、天井から上のバロック、地上階のロマネスク、地下1階の初期キリスト教時代、地下2階の1世紀の帝政ローマ時代と、4つの複合体とも言える。
ここでやっと気がついた。通常教会の正面は西側、後陣は東側にあるのに、サン・クレメンテはその反対なのだ。最初に南側廊から入った時に抱いた違和感はそのためかも知れない。しかし、昨日行ったバチカンの派手なサン・ピエトロ大聖堂も後陣は西にあったなあ。といっても、スペイン階段を上がったところにあるトリニタ・デイ・モンティ教会は西がファサードで、東に後陣があった。トリニタ・デイ・モンティ教会はこちら
アトリウムの東側の階段を使って外に出た。これは壁端柱付玄関というらしい。向こうの階段を登ればサン・クレメンテ教会の外観が撮れたのに、うっかりしていた。
サン・クレメンテ広場という名前の道を通ってラビカーナ通(Via Labicana)へ。バス停は近くにあるだろうかと心配だったが、交差点の右向こうにあって助かった。

大きな地図で見る


ラビカーナのバス停に行くと西にコロッセオが見えた。反対側のバス停にはパトカーがいる。
次の行き先はパンテオン。atacというローマの公共交通局のホームページhttp://www.atac.roma.it/で見つけたRoma centroという地図で、87・186・571・810がパンテオンに最も近いバス停に行くことを確かめていた。しかし、バス停の名前がわからない。
186・571・810の行き先の書かれたプレートで、下車するバス停の名前を確認しようとすると、そばにいた爺さんが声を掛けてきた。
どこへ行く
Pantheon
Un kilo!(1㎞) あーるけ、歩け!
そう言われても、パルコ・チェリオで3番のトラム(じっさいはバス)を降りて以来ずっと歩いてeいたのだ。ローマ・パスもあることだし、バスに乗りたい。
ヴェネツィア広場(Piazza Venezia)の次、プレビスシート通(Via Plebiscito)に入って最初のバス停のはず。ArgentinaかPlebiscitoだろう。ヴェネツィア広場をバスが通り過ぎたらボタンを押せば良いのだ。
それを確かめながら、バスがやって来るのを見ては番号が違うのでまたバス停の名前を探す。そんなことをしている間にも、さっきの爺さんは歩けと世話を焼き、他の人には「たった1㎞なのにバスに乗ろうとしている」などとしゃべったりしていたが、諦めたのかバスに乗らずにバス停から去っていった。
5分もすると87番のバスが来たので乗り込む。
先ほどの剣闘士養成所ルードゥス・マグヌス(Ludus Magnus)の前を通ったが、低い位置にあるのでよく見えない。
続いてコロッセオ(Colosseo)が見えてきた。
コロッセオは北側の半周がよく残っている。やっと半円の付け柱を見ることが出来た。
1階の円柱の柱頭がドーリア式なのかトスカーナ式なのか、判断できる程の知識がない。
87番のバスはフォリ・インペリアーリ通(Via dei Fori Imperiali)を通ってヴェネツィア広場からプレビスシート通へと入る。その間がフォロ・ロマーノも眺めながら束の間の休憩だ。

※参考文献
「建築巡礼12 イタリアの初期キリスト教聖堂」(香山壽夫・香山玲子 1999年 丸善株式会社)
「建築と都市の美学 イタリアⅡ 神聖 初期キリスト教・ビザンティン・ロマネスク」(監修陣内秀信 2000年 コンフォルト・ギャラリー)

「イラスト資料 世界の建築」(古宇田實・斉藤茂三郎 1996年 マール社)
「図説西洋建築物語」(ビル・ライズベロ 1982年 グラフ社)