東へ歩いて行くと、木が生えていたりして見通しがきかなくなってきた。パラティーノの丘もほとんど見えない。
ひょっとすると、これが㊶バッコスの聖所(Sacello di Bacco)?
反対側はアーチ列とその奥にも大きな建造物があるらしい。その天井は交差ヴォールトになっている。
これはマクセンティウスのバシリカの一部?
グーグルアースでもこのアーチ列は見える。何かの建物の拝廊だったのだろうか。
大きな地図で見る
少し進むと開けた場所に出て、パラティーノの丘の北側がよく見えた。丘が低くなるにつれて、アーチの重なりも低くなっていく。
『ローマ古代散歩』が、ティベリウス帝の父の家を含む複数の邸宅跡に、カリグラ、ネロ、ドミティアヌスの各帝がフォロに面した部分を拡張改造して、宮殿をつくり、さらにハドリアヌス帝が支えアーチをつくって新道(ウィア・ノーウァ、Via Nova)の上まで宮殿を迫り出させたものであることが判ったというところだが、やはり柵がある。
ほとんど建物の残っていないこの辺りは㊺ウェスパシアヌスの市場と穀物倉庫だった場所だろう。かなりの面積を草むらが占めている。
ネロはこのウェリア一帯に、64年の大火後、黄金宮殿(ドムス・アウレア)のためのロビーを建設し始めていた。その死後、ウェスパシアヌス帝がそこに穀物倉庫(ホレア)や鮮魚や青果の市(マケッルム)をつくっていたことが発掘により明らかになっているという。
振り返ると左にティベリウス宮殿、右奥に㉞ウェスタ神殿(AEDES VESTAE)が見えるので、ウェスタ神殿と柵の間は㉟ウェスタ巫女の家(Casa delle Vestali)、そしてウェスタ神殿の背後にはカンビトーリオの丘の市庁舎も見えている。
心持ち登り坂になってきた。
等間隔で仕切りの跡がある。きっとマーケットの店舗が並んでいたのだろう。そして仕切りの少ないところが穀物倉庫だったのだろう。
大きな地図で見る
左側の木の間に見えるのはマクセンティウスのバシリカかな。
いや、マクセンティウスのバシリカは向こうの高い建物だ。聖なる道(Via Sacra)に近い辺りには別の建物があったのだろう。
道が分かれていた。左側を登ると、やっとマクセンティウスのバシリカが見えてきた。
※参考文献
「ROMA ローマの昔の姿と今の姿を徹底的に比較する!」(2001年 Electa)
「ローマ古代散歩」(小森谷慶子・小森谷賢二 1998年 新潮社)