2011年2月4日金曜日

9-1 サンタ・コスタンツァ廟(Mausoleo di Santa Costanza)はどこから?

サンタニェーゼ(Sant’Agnese)のバス停から道路を渡ると古びた教会が目についた。サンタニェーゼは鐘楼のある後陣が南向きの教会だった。サン・クレメンテは西向きと、ローマの教会は思い思いの方向に造られているようだ。
何故か半円形に突き出した後陣の写真がありません(グーグルアースでズームしていくと見えてきます)。
どこから入れば良いのだろう。ノメンターナ通(Via Nomentana)に沿って歩いていく。
ここから入るのだろうか。ドアはなく、中庭に人がいる。その奥まで通り抜けられそうだ。
グーグルアースで見ると、右端の教会と左の円形のコスタンツァ廟の間にはいろんな建物がある。丸いサンタ・コスタンツァ廟の右から逆U字形の遺構が見える。

大きな地図で見る

『光は東方より』にブレッサノーネ通(Via Blessanone)から見た古い写真があった。
同書は、4世紀初めに最終的な寛容令が発布され、他の宗教と同等の権利が認められたキリスト教徒は、各地で教会堂建立の大事業をおこす。その中に、司教座聖堂や教区聖堂とは性格を異にする、墓地に建てられた殉教者記念聖堂(マルチリウム)があった。いまも当時の面影を伝えるのは、ノメンタナ街道沿いの墓地に廃墟として残る聖女アグネスの教会堂だけであるという。
最近グーグルアースを見てこの廃墟を知った。旅行前に知っていたら、見ていたのに。
それよりもサンタ・コスタンツァ廟だった。開口部の左にプレートがあった。
サンタニェーゼの複合モニュメント
カタコンベ 2-4世紀
コスタンツァのバシリカ
考古学ゾーン 4世紀
コスタンツァ廟 
4世紀
オノリアーナのバシリカ
7世紀
とある。ここからで良いらしい。
入口の上部、アーチの内側には、赤と金色の帯状装飾が目立つ。小さな色大理石や金箔ガラスのテッセラで幾何学的な文様を構成したコスマーティ様式のモザイクだ。通りに沿った建物はそんなに古くなさそうだが、12-13世紀のものだろうか。
建物を横切るように通路を進むと対角線と輪郭を白い石で表した中庭に出た。

大きな地図で見る

そのまま通り過ぎて次の建物を抜けると、コスタンツァ廟があるとは思えないような場所に出た。壁にコスタンツァ廟として矢印(小さいので右側に拡大)があったが、そこには柵があるので、どのように行けばよいのか全くわからない。
それに、コスタンツァ廟は鍵が掛かっているので、サンタニェーゼ教会で鍵をもらわなければいけないというようなことを「”ちゃおちゃお”のローマ美術案内」のサンタ・コスタンツァ廟に書いてあったのを思い出した。まずはサンタニェーゼ教会に行かなくては。
右側に修復中の塀があり、その奥にドアがあった。ここからサンタニェーゼに行けるのだろうか。
開けてみると、平たいところを歩いていたはずなのに、全面が下りの階段になっていた。そして壁面に出土物がいろいろと掛けてあった。こういう場所に来ると神妙になるおっちゃんは写真を撮ってくれない。
「”ちゃおちゃお”のローマ美術案内」のサンタニェーゼ・フォリ・レ・ムーラ教会 2の一番下に階段と両壁の写真があります。
そのまま通路を通って行くとサンタニェーゼ教会に行き着いた。
Santa Costanza?
そこにいた人が出口を指さし、そこからぐるっと回れという仕草で教えてくれた。

※参考サイト
”ちゃおちゃお”のローマ美術案内 ローマの休日はこちら


※参考文献
「NHK日曜美術館名画への旅2 光は東方より 古代Ⅱ・中世Ⅰ」(1994年 講談社)