2013年11月27日水曜日
オシオス・ルカス修道院5 クリプト
『THE MONASTERY OF HOSIOS LOUKAS IN BOEOTIA』(以下『THE MONASTERY』)は、クリプトは4円柱、内接十字型の教会の形に造られ、11の交差ヴォールトのある部屋がある。入口はカトリコン(主聖堂)の南側にしかなく、2つ目の扶壁(バットレス)のすぐ向こうにある。これは十字型の小礼拝堂で、オシオス・ルカスの修行仲間達によって、亡くなった(955年)2年後に、墓の上に建立されたという説がある。
すでに言われているように、クリプトの北壁には福者の最初の墓があり、それは上の主聖堂の彼の聖遺物と同じ場所であるという。
(下図の黒い外枠が上の主聖堂の大きさ)
主聖堂の南袖廊と同じ位置からクリプトに入る。
『世界美術大全集6ビザンティン美術』は、オシオス・ルカス修道院主聖堂のクリプトにキリスト伝を示す11世紀の壁画が良い状態で残されている。おおらかな線の扱い、動きのある人物に特色があり、やや地方的性質が強いという。
『ビザンティン美術への旅』は、福者(オシオス)ルカスの墓を中心に、地下には天井の低い礼拝堂が造られている。紺と緑を主調色とするフレスコは、本堂のモザイクとほぼ同時期の、11世紀前半の作である。地上の金色の代わりに、様々なパターンの植物文や幾何学文が空間を充填している。人物の手足の短い、がっちりとしたスタイルは、首都コンスタンティノープルのものではない地方の様式であるという。
階段を下りると暗くて、天井の白っぽい交差ヴォールトの連なりに吸い込まれそうだった。
入口に入って右壁には、ⅩⅠ:僧院長で福者(オシオス)となったルカスのフレスコ画。
頭光があること、右手を挙げていることくらいしかわからない。
左にはⅩⅡ:修道士たちの祈りが描かれている。
ルカスの棺に向かって祈りを捧げているのだろうか。
南西小空間から南入口を振り返る。入口のヴォールト天井東壁にかすかにオシオス・ルカスが立っているのがわかる。
入口から一つ目の交差ヴォールトに描かれているのは、13:フォティオス、14:アレタス、15:アニケトス、16:ヴィケンティオス。
入口から内部東側を眺める。
最初の交差ヴォールトの13:フォティオスが見える。次の交差ヴォールトが十字交差部。
その右(東)の少し明るい小さな部屋の交差ヴォールトには福者(オシオス)たちが描かれている。29:テオドシウス、30:アタナシオス、31:フィロテオス、32:ルカス。
こんなに目立たないところにオシオス・ルカスが描かれていた。
その東壁にはⅥ:キリストの十字架降下。
その南壁のフレスコ画はⅦ:キリストの埋葬(左)と空墓の前の3人の女性。
埋葬して3日後に墓に行くとすでにキリストは復活していたので墓は空だったという話を異時同図で描いている。
南西小空間の南壁にはⅧ:不信のトマス。下から光が当たって分かりにくい。
キリスト伝は、十字架降下から、このキリストが復活したことを脇腹の傷で確かめるまで信じなかった、不信のトマスの場面へと続く。
主聖堂(カトリコン)のナルテックス(拝廊)南壁にあるモザイク壁画の不信のトマスとほぼ同じ構図になっている。
そんなに顔が大きいとは思わないが・・・
その西側には狭いヴォールト天井の空間。
その右(北)壁にⅩⅢ:オシオス・ルカスとバジル修道士
十字交差部の天井には19:エウスタティオス、20:メルクリオス、17:ニケタス、18:ネストル。
交差部から後陣を眺める。
18:ネストルの向こうに、2つの交差ヴォールト、そして半円形の後陣と続いている。
何故もっと先まで行って写さなかったのかな。クリプトは地下聖堂と訳されるが、完全に地下というわけではなく、後陣の窓から光が入っている。
北奥にオシオス・ルカスの棺が置かれている。その階上には聖遺物があった。
オシオス・ルカスの棺の上の交差ヴォールトには、21:テオドル・ティロン、22:デメトリオス、23:ゲオルギウス、24:プロコピオス。
入口付近からクリプトの北西部を見渡す。中央に見える柱の左に中央の開口部が見えている。両開きの扉があり、何も見えなかった。
結局は時間がなく、東側に回って聖堂を見ることができなかった。自由時間があっても、いつも足りない。
『THE MONASTERY』の写真で、主聖堂の後陣の2段のロンデル窓の下にクリプトの後陣の小さな窓が見えている。
10世紀後半のパナギア聖堂と、11世紀前半の主聖堂の違いも何となくわかる。
かつてローマの教会の地下を見学したことがある。
サンタニエーゼ教会の地下はクリプトではなく、ローマ時代のカタコンベだった。
それについてはこちら
また、サン・クレメンテ教会の地下には4世紀に創建された教会の遺構があった。
それについてはこちら
そして、このオシオス・ルカス修道院クリプトは、上の主聖堂(カトリコン)が建立される約1世紀前に建てられたらしい、天井の低い内接十字型の教会だった。
『ビザンティンで行こう』は、地下の礼拝堂(クリプタ)には、モザイクと同時代のフレスコ壁画が描かれている。同じ時期に制作されたフレスコとモザイクを、ひとつの聖堂内で見ることができるのは、ここの他に、カリエ・ジャミイとテサロニキの聖使徒聖堂(アギイ・アポストリ)である。技法の差が出来上がりの印象にどれほど影響を与えるか、較べてみるのも面白い。モザイクの方が硬く、抽象的な雰囲気を創り出す気もするし、技法の差は絵画の本質にはそれほど関わらないようにも思う。背景の金と紺青の意味を考えることも、ビザンティン絵画では大切な問題であるという。
技法の差を較べられるほどゆっくりも見学できなかったが、クリプトの壁画はすぐ目の前にあるにもかかわらず暗かったし、主聖堂のモザイクは高い位置にあるので細かい部分まで確認できなかった。
金と紺の背景の意味については考えたこともなかったなあ。
オシオス・ルカス修道院4 パナギア聖堂← →オシオス・ルカス修道院からカランバカへ
関連項目
サンタニェーゼ教会地下のカタコンベに金箔テッセラ
サン・クレメンテ教会の下には4世紀の教会
オシオス・ルカス修道院3 主聖堂(カトリコン)2 身廊
オシオス・ルカス修道院2 主聖堂(カトリコン)のナルテックス
オシオス・ルカス修道院1
※参考文献
「世界美術大全集6 ビザンティン美術」 高橋榮一編集 1997年 小学館
「THE MONASTERY OF HOSIOS LOUKAS IN BOEOTIA」 HIERONYMOS LIAPIS 2005年 ATHENS
「ビザンティン美術への旅」 赤松章・益田朋幸 1995年 平凡社
「地中海紀行 ビザンティンで行こう!」 益田朋幸 1996年 東京書籍