2014年3月22日土曜日
クレタ島6 イラクリオンを海辺まで街歩き
『ギリシア都市の歩き方』は、ギリシア神話の英雄ヘラクレスの名を冠するイラークリオンは、ギリシア時代においてクノッソスの外港として利用されてきた。その名と機能は、ローマ時代およぴビザンティン時代を通して継承された。
アラブ人の侵攻(ハンダックスと呼ばれるようになる)と第二期ビザンティン時代をはさんで、第2の大きな変化を被るのは、1204年に始まるヴェネツィア時代である。
首都のハンダックスは、イタリア語化されて、カンディアと呼ばれるようになった。首都の呼称と同様のイタリア化は、都市内部における港湾施設、聖堂、噴水、公共建築などにも明瞭に現れ、アドリア海および東地中海に点在したヴェネツィア領の都市と同様の景観を呈するようになるという。
カタカナでイラクリオンという地名を見ても想像できなかったが、アルファベットでHERAKLEIONと表記されているとヘラクレスの名に由来する名称であることに気付いた。
エレフテリアス広場
この反対側にヴェネツィア時代の城壁があってその向こうは谷になっている。クノッソス宮殿の遺跡から街に戻ってくると、その様子がよくわかるのだが、何故か写真はない。
イラクリオン考古博物館
かつての修道院跡に建つという。
あまり博物館という感じのしない建物で、多くの収蔵品は裏手の白い建物の方で展示されている。こちらにはアルカイックからローマ時代の彫刻が展示されていた。
ディケオシニス通りの1本北にあるデダロウ通りを歩く。商店街で、靴屋が多かった。
突き当たったところが噴水のある広場だった。
ベニゼル広場
同書は、三角形の広場が開ける。ヴェネツィア時代には、この広場の周囲にさまざまな公共建築物が建ち並び、カンディアの中心であったという。
現在では公共建造物は残っておらず、その中央には噴水がある。
モロシーニの噴水
同書は、1628年にフランチェスコ・モロシーニの命によって建造された。その水槽部は平面では8つの花弁が突出したように配され、その外側にはイルカ、雄牛、海獣にまたがるニンフとトリトンによる海景が浮き彫られている。それを支える4頭の坐したライオンは、14世紀のより古い時代の噴水に属するものであるという。
1821年8月25日通り(旧コルソ通り)を海に向かう。
コルソ通りは、都市の南北を貫くメインストリート。都市の中心地区には、広場、聖堂、ロッジア、総督館、噴水が設置された。そこでは、ビザンティン帝国からの学者の到来と、ヴェネツィアおよびパドヴァで高度な教育を受け帰郷した多数のクレタ人の医師、弁護士、公証人が活躍できるような、高度な都市生活が営まれ、クレタ・ヴェネツィア文化が形成されたという。
聖マルコ聖堂 1239年建立
同書は、建築自体は三廊形式のバシリカ式聖堂建築で、正面に柱廊を備える。これは、現在多目的ホールとして市民に開放されているという。
中に入ってみたが、催し物があるらしく、たくさんの人々がいてにぎやかで、教会の構造を見ることもだきなかった。
カフェなどが両側に並ぶその向こうに、古い様式の建物が見えてきた。
ロッジア(貴族の集会所)
現在の建築は、第二次大戦中に破壊された16世紀のマニエリスム様式にもづいた建築を忠実に再現したものであり、現在は市庁舎として使用されているという。
せっかくなので中を通ってみる。柱廊は外から見るよりも幅が広く日陰で涼しい。
中央は中庭になっているらしい。時間があれば入ってみたかったなあ。
通りから少し奥まったところにドームのある教会が見えた。
聖ティトゥス聖堂
この聖堂は元来、クレタの守護聖人ティトゥスに捧げられ、聖人の首を聖遺物として保存し、ミトロポレオスの役割を果たしていた。緑の前庭をもつ瀟洒な佇まいは1872年に再建されたものであるが、周囲の現代建築の林の中では一服の清涼剤に等しいという。
内部はどんな様式なのだろう。
イラクリオンの街を歩いていると靴屋をよくみかける。店先に置いてあるのはサンダルばかり。
通りを歩いている人たちが履いているのもサンダルだった。
海が見えてきた。写真では色があまり良く出ていないが、濃紺、青、薄い青の3色の帯に見えた。
ひょっとして、このような海の色の層に気づいた人が、色をグラデーション(暈繝)で表すことを思いついたのではないだろうか。そう思って探したが、青の3色のグラデーションというのは、意外と見付けられないのだった。
オールド・ハーバー
突堤で内海になっている。海沿いにヴェネツィア時代の遺構らしきものが並んでいる。
巨大なヴォールト天井が4つ連なっている。
ヴェネツィア海軍の工廠アルセナールにあった、巨大な穹窿(16世紀)を冠する船倉という。
続いて建物跡のような、城壁跡のような・・・その上に人家が建っている。
突堤の先にはヴェネツィア時代の要塞が残っているというので行ってみた。
外海に突き出るロッコ・アル・マーレ(クウーレス)要塞という。
堤防で隔てられていると思っていたのに途中でなくなった。近づくと道は狭くなり、波が高くなってきた。
堤防は波で壊れてしまったのかな。エーゲ海はもっと穏やかだと思っていた。
内海は静か。停泊中の双胴船は高速艇で、翌日サントリーニ島へ向かう時に乗った。
向こうの山はユクタス山ではない。
その要塞(16世紀前半)は、現在はコンクリートによっつて内外港を固められ、かつての、外海に突き出た荒々しい要塞というイメージをもたないというが、建物はそれだけの歴史を感じるものだった。
何故建物の近くからの写真がないかといえば、波が高い上に、要塞近くでは突堤が壊れていて、波を被りそうだったから小走りに駆け抜けたのだった。実際に波を被ってビショビショになった上に、カメラがだめになった人もいた。
また、何故内部の写真がないのかといえば、修復中で入れなかったからだ。
その正面の入り口に嵌め込まれた、潮風によって摩滅した顔を削がれた聖マルコの獅子像の浮彫りは、相変わらず見るものにその荒々しさを思い出させてくれるという。
夕食の時、再び海辺にやって来た。日の長い頃だったので、8時を過ぎてやっと夕刻という感じだった。
西の山際に夕日が落ちていく。
夕日は落ち出すと早い。
波さえもあかく染めながら山の向こうに去っていった。
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関連項目
クレタ島1 クノッソス宮殿1
クレタ島2 クノッソス宮殿2
クレタ島3 クノッソス宮殿3
クレタ島4 クノッソス宮殿4
※参考文献
「ギリシア都市の歩き方」 勝又俊雄 2000年 角川書店