2015年7月2日木曜日
シャーヒ・ズィンダ廟群8 ウスト・アリ・ネセフィ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群で、八角形の廟を過ぎると、右側には廟はなくなり、左側だけとなる。
22のタイルの残る棺が外から見える廟の続きには、石棺が露出した廟跡の隣に、タイル装飾がドームにも残る廟がある。
23:ウスト・アリ・ネセフィ廟 USTO ALI MESEFI MAUSOLEUM 1360-70年
『中央アジアの傑作サマルカンド』は、ウスト・アリ・ネセフィという建築家によって建てられた「無名1」という廟が残っている。この廟の装飾には、模様の浮き出た壁画のマジョリカが多く使用されている。表玄関は8角の星で装飾された。一番上にある星の部分に、「信心深い人のみ、安らぎが完全に保たれている。同じ信念の人のみが親しい人である。消滅のために創作がある。夢にのみ交友関係がある」と書かれているという。
実際はこんなに白っぽくはなかった。
イーワーンのムカルナス部分は失われたまま。
玄関左側の壁も浮彫施釉タイルで大きな文様帯が構成されていて、アラビア文字らしきものがびっしり並んでいる。
8点星の中も、組紐の帯にもアラビア文字が細かく浮彫されている。
イーワーン上部の円を少しずつずらせて重ねた文様は、六角形の絵付けタイルを並べたもの。
玄関の両端の付け柱は絵付けタイルで、下部は瓢箪のような形に幾何学文の組み合わせが描かれている。
『砂漠にもえたつ色彩展図録』は、何といっても注目せねばならないのは、ハフト・ランギー技法の出現で、先のサファヴィー朝技法の先駆けとなった。その初例は管見の限りシャーヒ・ズィンダーに見受けられる。
サファヴィー朝の首都イスファハーンに建立されたマスジディ・シャーでは、ほぼ20㎝角のタイルに、青を基調に空色、緑、白、黄、黒などの彩色がなされており、この技法を現代イランのタイル職人たちはハフト・ランギーと呼ぶ。ハフト・ランギーとはペルシア語で七色を意味し、となりあう色と色が交じり合わないように、まず境を溶剤で線描し、線に囲まれた面に色を発する釉薬を挿して焼き上げる方式であるという。
部分拡大すると、微妙に凹凸があるような。
別のタイルはもっと凹凸がある。その上分割して製作されているみたい。補修タイルだろうか。
その拡大
内部もタイルで埋め尽くされていた。
ドームは組紐で様々な形に分割されている。
部分拡大絵付けタイルの形は基本的に六角形。組紐文は長方形。
正方形から八角形への移行部は、スキンチに極座標系のムカルナス。
ムカルナスは曲面の絵付けタイルと空色タイルの組み合わせだった。
壁面の方は六角形の絵付けタイル。それを縁取るのは小さな長方形や正方形の組み合わせによるモザイク・タイル。
プランは正方形ではなく、正方形の中央部よりもスキンチ部分が少し出っ張った、内接十字形(などと、ビザンティン教会でもないのに、こんな言葉で表現していいのかな)。
腰壁は六角形の絵付けタイルによるパネルと、大判タイルとが、交互に配されている。
大判タイルの拡大、と思ったが、少しずつ分割して製作し、貼り合わせたものだった。
やっぱり補修タイルかな。
廟内には棺はなかった。被葬者不明の廟だった。
この廟がハフト・ランギーの初例とされているのは、大判タイルだけに限られるのだろうか。それとも絵付けタイルは全てハフト・ランギーなのだろうか。
廟の右側
ドームにズーム
ムカルナス部を見るとあまり古そうではなかった。胴部のタイルも部分的に剥落のあるものは古いが、黒の目立つモザイク・タイル風のものは新しそう。
シャーヒ・ズィンダ廟群7 八面体の廟←
→シャーヒ・ズィンダ廟群9 無名の廟2
関連項目
ウズベキスタンのイーワーンの変遷
イーワーンの変遷
ハフト・ランギーの起源は浮彫タイル
ドームを際立たせるための二重殻ドーム
ハフト・ランギー(クエルダ・セカ)の初例はウスト・アリ・ネセフィ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群1 表玄関にオリジナルの一重蔓の渦巻
シャーヒ・ズィンダ廟群2 2つのドームの廟
シャーヒ・ズィンダ廟群3 アミール・ザーデ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群4 トグル・テキン廟
シャーヒ・ズィンダ廟群5 シャディ・ムルク・アガ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群6 シリング・ベク・アガ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群10 アミール・ブルンドゥク廟
シャーヒ・ズィンダ廟群14 クトゥルグ・アガ廟
※参考文献
「中央アジアの傑作 サマルカンド」 アラポフ A.V. 2008年 SMI・アジア出版社
「砂漠にもえたつ色彩展図録」 2003年 岡山市立オリエント美術館