シャーヒ・ズィンダ廟群で28:第3のチョルタックをくぐると、右手に35:クトゥルグ・アガ廟がある。
35:クトゥルグ・アガ廟 1360-61年
『中央アジアの傑作サマルカンド』は、ホジャ・アフマド廟の右側に、新しく同じスタイルの廟が建設された。その独特な色は、青緑色や灰緑色、マンガンの色である。ホジャ・アフマド廟は白と青のマジョリカで装飾されていが、こちらの新しい廟は、彫刻の上薬に塗られたテラコッタの装飾で飾られている。
同じような色合いの上薬は、中期ホレズム・ハーンの首都であったクニャ・ウルゲンチにある、ナドジム・アドディヌ・クブロ廟の壁画に使われていた。ホレズムが金帳汗国の一部だった時の壁画である。1340年代、ホレズムにコレラの疫病が発生したため、サマルカンドに移住した職人たちの作品と考えられている。正面に残っている碑文の一部から、その女性はアムール・チムールの妻の一人だったことも考えられるが、証拠はない。廟の下には納骨堂があるという。
ホジャ・アフマド廟については後日
シャーヒ・ズィンダ廟群の説明板では、アムール・ティムールの妻の一人、クトゥルグ・アガが埋葬されているだろうという。
上部
イーワーンの上も浮彫タイル。
ムカルナスを見上げると、上の方は異質に感じる。
頂部から両端のムカルナスは修復されていて、中央のものはオリジナルのよう。
拡大してみると、オリジナルはほぼ浮彫タイル。
中には絵付けタイルも。六角形と三角形の入り組んだ組紐文のつくり出す空間にトルコ・ブルーとコバルトブルーが配されているが、頂部ではコバルトブルーが組紐文の白色にはみ出ているので、ハフト・ランギーではない。
ハフト・ランギーの初見とされるウスト・アリ・ネセフィ廟は1360-70年、クトゥルグ・アガ廟は1360-61年なので、クトゥルグ・アガ廟よりも跡にウスト・アリ・ネセフィ廟が建立され、その時にハフト・ランギーの技法が用いられたのだろう。
修復タイルは浮彫も絵付けも判を押したよう。
玄関左右の小壁にも、付け柱にも浮彫タイル。
付け柱の外側は凹曲面となっていて、そこにも浮彫タイル。
ファサード右側の壁面にも浮彫タイルによる文様帯は多い。
6点星、六角形、菱形なと゜を複雑に組み合わせたもの。トルコかブルーの中に紫色がある。
1枚ずつ同じ文様の一重の渦巻く蔓草を表し、上下には唐草文のように続かない浮彫タイルの文様帯。その下の横帯にはコバルトブルーの植物文を地に、白いアラビア文字が鮮やかな浮彫タイル。
その下に壺形とでも呼ぶのだろうか、これまで見てきた形のものがやはり浮彫の大判タイルでつくられている。
四弁花文を浮き出した白い組紐文が幾何学的な図形をつくり出し、その中に8点星や十字形の片翼の欠けた形がコバルトブルーやトルコブルーの浮彫タイルが嵌め込まれているかのようであるが、四角形のタイルとして見ると、同じ文様のものを積み上げているに過ぎない。
ファサード左壁
アラビア文字の文様帯は、13:トグル・テキン廟(1376年)の文様帯の地文よりもすっきりとした一重の渦巻く蔓草文となっているが、それが唐草文のように連続したものかどうかはわかりにくい。
内部にもタイル装飾があり、正方形の中央部と四隅のスキンチなどの移行部にタイル装飾がある。
ドームは八角形から十六角形をつくらずに円形になっている。
くすんだ色のタイルには浮彫のものも見られるが、他は修復時のもの。
第2のチョルタックをくぐってすぐのアミール・ザーデ廟(1386年)・トグル・テキン廟(1376)・シャディ・ムルク・アガ廟(1372)の3つの廟にも浮彫タイルがあったが、クトゥルグ・アガ廟は1360-61年建立ということなので、こちらの方が古いのだった。
シャーヒ・ズィンダ廟群13 クサム・イブン・アバス廟←
→シャーヒ・ズィンダ廟群15 トマン・アガ廟
関連項目
ウズベキスタンのイーワーンの変遷
イーワーンの変遷
アラビア文字の銘文には渦巻く蔓草文がつきもの
ハフト・ランギーの起源は浮彫タイル
シャーヒ・ズィンダ廟群の浮彫タイル1
ハフト・ランギー(クエルダ・セカ)の初例はウスト・アリ・ネセフィ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群3 アミール・ザーデ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群4 トグル・テキン廟
シャーヒ・ズィンダ廟群5 シャディ・ムルク・アガ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群8 ウスト・アリ・ネセフィ廟
※参考文献
「中央アジアの傑作 サマルカンド」 アラポフ A.V. 2008年 SMI・アジア出版社
「砂漠にもえたつ色彩展図録」 2003年 岡山市立オリエント美術館