2015年7月23日木曜日

シャーヒ・ズィンダ廟群15 トマン・アガ廟


シャーヒ・ズィンダ廟群

第3のチョルタックをくぐって左手奥にトマン・アガのモスクの続きと廟がある。
『中央アジアの傑作サマルカンド』は、15世紀初め、シャーヒ・ジンダ廟群の上部分にはアムール・チムールの最も若い妻の廟が建てられた。シャーヒ・ジンダ廟群の建物で、トマン・アガの名がつけられているのは廟、モスク、フジュラ(メドレセ又はハナカにある学生部屋)と上のチョルタックである。
トマン・アガ廟は葬儀用モスクと同時に建設された。トマン・アガ廟の南壁は、モスクの北壁として使用された。昔、部分的にモスクと接続したフジュラはアムール・ブルンドゥク廟に増築された。
彼女はカザン・ハンの孫で、1378年にアムール・チムールと結婚し、娘を産んだ。チムールが亡くなり、彼女はジェイフ・ヌル・アドディヌアガと再婚したが、彼が亡くなってからはゲラト市に渡った。彼女はホラサン市で亡くなり、クサイヤ村で埋葬されたという。

36:トマン・アガ廟 TUMAN AGA MAUSOLEUM 1405-06年
こちらもモザイク・タイルは素晴らしいが、扉はやはり閉じられている。
ムカルナスのイーワーン

イーワーン頂部にはやはり傘をすぼめたような襞があるが、その複雑な面に、日本風に言えば立涌文のような蔓草の中に花文を巧妙に嵌め込んでいる。
ムカルナスはモザイク・タイルで飾られた平面の組み合わせで構成されている。
アラビア文字の銘文は、他のものと同様に、一重の蔓草の渦巻く地文の上に記されたかのようにオレンジ色のタイルを置いている。

ファサード右壁面はやや緑色が多いように感じる。
モザイク・タイルがみごと。
アラビア文字の文様帯には水色の一重の渦巻く蔓草。
その下には、水色の茎あるいは蔓と左右対称に花瓶から出た草花が表されている。小さな花の中にね更に小さな色タイル片を嵌め込むなど、非常に精緻な装飾がされている。
それらを囲む広い幅の文様帯には宝相華文のような花がある。
柱礎も細かなモザイク・タイル。
しかし、その下の腰羽目の水色タイル部分は、植物文も他の部分のものとは異なっていて、修復時のもののよう。
でも、小さな丸い白タイルを嵌め込むなど、細工は細かいので、やっぱり創建当初のものかな。

内部には入ることができなかった。
同書は、廟には二重のドームが付けられている。装飾には、青色の模様が描かれてある、金箔が付けられたせっこうのプレートが多用されているという。
廟のドームへの移行は、正方形、八角形、十六角形、円形とするのではなく、先ほどの第三のチョルタックと同じく、ペンデンティブ(曲面の三角形状のもの)からドームを立ち上げている。
これは現イスタンブールのアヤソフィアと同じだが、異なるのはペンデンティブとその上部がムカルナスで覆われていることだ。
そして、おそらく四壁にも、9:2つのドームの廟後室のように、ムカルナスのイーワーンとなっていそうだ。
また、ドームは文様の大きさから比べると、
ドームの外側
ドームと壁体の間の胴部が長いので、二重殻だとわかる。
『中央アジアの傑作サマルカンド』には古い写真が掲載されている。
これを見ると、バランスが取れないほど胴部を含めたドーム部分が大きい。
また、当時は上のチョルタックとされているアーチ列が残っている。

         シャーヒ・ズィンダ廟群14 クトゥルグ・アガ廟
                      →シャーヒ・ズィンダ廟群16 ホジャ・アフマド廟

関連項目
ウズベキスタンのイーワーンの変遷
イーワーンの変遷
一重に渦巻く蔓草文の起源はソグド?
アラビア文字の銘文には渦巻く蔓草文がつきもの
イーワーンの上では2本の蔓が渦巻く
ドームを際立たせるための二重殻ドーム
シャーヒ・ズィンダ廟群1 表玄関にオリジナルの一重蔓の渦巻
シャーヒ・ズィンダ廟群2 2つのドームの廟
シャーヒ・ズィンダ廟群3 アミール・ザーデ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群4 トグル・テキン廟
シャーヒ・ズィンダ廟群5 シャディ・ムルク・アガ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群6 シリング・ベク・アガ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群7 八面体の廟
シャーヒ・ズィンダ廟群8 ウスト・アリ・ネセフィ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群9 無名の廟2
シャーヒ・ズィンダ廟群10 アミール・ブルンドゥク廟
シャーヒ・ズィンダ廟群11 トマン・アガのモスク
シャーヒ・ズィンダ廟群12 第3のチョルタック
シャーヒ・ズィンダ廟群13 クサム・イブン・アバス廟

※参考文献
「中央アジアの傑作 サマルカンド」 アラポフ A.V. 2008年 SMI・アジア出版社