2025年5月30日金曜日

ユスキュダル Üsküdar カラダヴドパシャジャーミイ Karadavud Paşa Camii


今日はツアーの最終日。イスタンブールの最後の朝食はがっつりと。
中央アジア、イラン、東トルコは巣蜜が豊富。朝食会場にはこんな風に巣蜜がどんと置いてある。

パンは 輪っか状胡麻パンを適当に切ったスィミット simit とフランスパンのようなもの。
チーズはヨーロッパとはまた違う。白いのは山羊のチーズで、昔は強烈に酸っぱかったが、今はそう感じない。黄色いのは牛のチーズ。そして濃厚なヨーグルトにはナッツ、ジャム、フルーツ、ドライフルーツをてんこ盛り、その上牛乳という乳製品だらけで、カルシウムと朝蛋十分と思っていたら、後日カルシウムを摂取し過ぎると鉄分を吸収して排出するので貧血になると医者に言われた。


集合時刻までは各自自由行動なので、まず、昨日礼拝室で講義をしていたので入ることができなかったユスキュダルのカラダヴドパシャジャーミイに行くことにした。講義が始まるまでに辿り着きたい。

トラムT1線でシルケジ駅下車。マルマライに乗り換える。なんと、シルケジはスィルケジだと思っていたら Sırkecı  なのでスルケジュがトルコ語に近いことを今知った。

先ほどの入口から結構歩いてその先の階段へ。


シルケジ駅はスルケジ・イスタシヨヌ、明治時代のステンショを思い出した。
長く深~いエスカレータで降りていく。

更にもう一つ。

海底をシールド工法で掘削して造ったトンネルではなく、沈理トンネル(テュプ・ゲチト 
TÜP GEÇİT、英語で TUBE TUNNEL 函体を海底に沈めて造るトンネル)であることが図解してある。それでボスポラス海峡とチャナッカレ海峡に挟まれて、海面は穏やかだけれど複雑な潮流のために、設置するのに困難を極めたことを知ったのはずっと後のNHKの「新プロジェクトX」だった。
政府広報オンラインのトルコのマルマライ地下鉄トンネルに詳しい記事があります。

ゲブゼ GEBZE 行きで一駅。


車内にはボスポラス大橋、手前には乙女の塔 
Kız Kulesi のある小島やチャルムジャタワー、奥にはエルドアン大統領が建てた巨大なモスク、ずっと右側には4本のミナレットのある大セリミエジャーミイ Büyük Selimiye Camii(19世紀)などが描かれているが、驚いたのは波が高いこと。雲も面白い。


ユスキュダル駅からは同じようにエスカレータを乗り継いで地上に出た。
ユスキュダル Google Earth より
❶地下鉄マルマライ出入口 ❷ミフリマースルタンジャーミイ ❸イエニヴァリデジャーミイ ❹ミマールスィナンショッピングセンター ❺カラダヴドパシャジャーミイ ❻シェムシアフメトパシャジャーミイ


斜面に建てられた❷ミフリマースルタンジャーミイを一瞥して、


カラダヴドパシャジャーミイ前に停まるバスを探した。バス停は幾つもあり、隣を歩いていた若い女性に聞いてみたら、スマホで調べてくれ、「ここから600mだから歩きなさい」と言われた。ごもっとも。
最初はハキミイェティミリイエ(国家主権という意味)通り Hakimiyeti Milliye Cd. の右側の歩道を歩いていると、
❸イエニヴァリデジャーミイ Yeni Valide Camii が見えてきた。『トルコ・イスラム建築』は、ムラト三世(在位1574-95)の妻でメフメト三世(在位1595-1603) の母のサフィエ・ヴァーリデ・スルタンで、メフメット三世の時代になった1597年8月に基礎工事が開始されたという。

その後左側の歩道に渡ってモスクでもなさそうな建物が現れた。❹ミマールスィナン市場 Mimar Sinan Bazaar とも呼ばれるショッピングセンターらしい。


そしてその続きに❺カラダヴドパシャジャーミイがあるので正門側へ回る。

①正門は修復というよりそう古くない時期に造られた簡素なもので、中庭の向こうにはソンジェマアトイェリ(礼拝の時刻に遅れて来た人が礼拝する場所)がベシクタシュのスィナンパシャジャーミイと同じようにガラス張りになっていた。

カラダヴドパシャジャーミイ Google Earth より(この縮尺は間違っていると思う。40mもある大きな建物ではなかった)
三つのドームと柱廊だけの小さなモスク。逆T字型よりも簡素な構造。
歴史的なイスタンブール Tarihi İstanbulカラダヴドパシャジャーミイは、カラダブドパシャモスクは、ユスキュダルのハキミエットイミリエ通りにあり、1495 年にベヤズット二世の時代に宰相の一人、カラ・ダウド・パシャによって建てられたという。
ベヤズィット二世がイスタンブールにベヤズィットジャーミイを建設したのは1501-06年なので、このモスクの方が早い。

このモスクは二度火災に遭い修復されたが、ミナレットを除いては15世紀のもののままで、その特徴を何も失っていない。モスクは1892年と1966年に修復された。モスクの中庭の壁は1988年に建設された。
モスクは幅が長方形で、中央に主ドームがあり、両側に二つの小さなドームがある。窓のない中央ドームと側面のドームは八角形のドラムの上に設置されているという。
ドームは三つとも正方形、八角形、円形と移行しているが、八角形よりもドームの直径はかなり小さい。
①正門 ②中庭 ③シャドルヴァン(清めの泉亭) ④ソンジェマアトイェリ(礼拝の時刻に遅れて来た人が礼拝する場所) ⑤礼拝室入口 ⑥礼拝室 ⑦ミフラーブ ⑧タブハネ(旅行者を無料で短期間宿泊させる施設)


正方形、八角形、ドームへの移行部が見える。確かに八角形の大きさにしてはドームが小さい。


④ソンジェマアトイェリのはずの柱廊にはカーペットが敷き詰めてあるので、その役目は果たしているのだろう。
今朝も⑤礼拝室入口の扉は閉まっていて「kapiyi kapatiniz ドアを閉めて下さい」という札がある。



せっかく来たのだからと、厚かましくドアを開けたら老婦人が招き入れて頂いた。やはり講義が始まるらしく、書見台を並べる準備をされていた。どうやら一日5回のアザーンでの呼びかけによる礼拝以外は講義の場であるらしい。だから講義中に礼拝に来た人は④ソンジェマアトイェリで礼拝することになっているようだった。
そんな風に信仰心の強い人たちの集会にもかかわらず、私のような信仰心のないのが明らかな者でも快く入れて頂き、その上写真を撮りまくってしまった。

⑥礼拝室のドーム
正方形から八角形、円形へと移行する場合、古い時代にはスキンチ架構だと思っていたがペンデンティブ。修復の際に改変されたのかも。


礼拝室から⑦ミフラーブ 右に大理石のミンバル(説教壇)、左隅に大理石の説教台。上部にはステンドグラスが三つ、ミフラーブの両側には低い窓が物入れとなっていた。


⑦ミフラーブはタイル張り

一番上は紺地に白いカリグラフィー、外側のトルコブルーのところには中国由来の雲文。
ミフラーブのスパンドレルには、三つの目玉のようなチンテマニ Çintemani が。

赤い釉薬が盛期のイズニクタイルの珊瑚の赤とは異なる。エディルネにあるセリミエジャーミイのスルタンのマッフィル近くのリュネットのタイルは補修タイルではないかと思っているのだが、そのタイルの赤に似ている気がするが、違うかも。

いつ頃のものかよく分からない。


大理石のミンバルも古くはなさそう。

でも二重蔓の蔓草を金箔や金泥で飾り立てられていなくて好ましい。


⑧右タブハネ
両タブハネとも主ドームよりも低いドームだが、中庭とさほど高さが変わらない内部にしてはペンデンティブの起拱点が低すぎるのではないだろうか。

せっかくなのでタブハネに入ってドームを写す。

ミフラーブ壁と同じ側

ステンドグラスも古くはないがかわゆい。


⑧左タブハネ
その奥にも小ドームがあるみたい。Google Earth の上から見た画像では小ドームがあるように思えないけれど。

ステンドグラス



しかし、老婦人はすでに沢山の書見台を並べていた。もうこれ以上邪魔はできない。失礼しました。


ハキミイェティミリイエ通りに出てドームを撮影。

どちらのドームも移行部が低すぎる。


ヤズドのダヴァズダー・イマーム廟(11世紀)は修復中で内部を撮影できなかったのでスキンチ部分の初期のムカルナスを見ることができなかったが、正方形から八角形と移行してドームを架構している。

その下の正方形の四隅には小さな膨らみが、内部から見ればスキンチの凹面にあたるのだが、カラダヴドパシャジャーミイのドーム下部にはこのような膨らみがないので、スキンチではなくペンデンティブで支えられていても不思議ではないのかな。でも、それではわざわざ正方形から八角形にする必要はないのでは?



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参考サイト

参考文献
トルコ・イスラム建築」 飯島英夫 2010年 富士房インターナショナル