2014年1月15日水曜日

テッサロニキ7 パナギア・アヒロピイトス聖堂2 モザイク1


アヒロピイトス聖堂は5世紀(450-470年とする文献もある)創建当初のモザイクが残っている。
しかも『世界歴史の旅ビザンティン』は、ナルテクスから身廊に入るアーチ、身廊と側廊を分かつ連続アーチ、さらには階上廊(ギャラリー)アーチのそれぞれ内側に、すべて異なるパターンの文様がモザイクで描かれている。図柄は動植物や幾何学文で、ハトや十字架、葡萄といったキリスト的なモティーフもあれば、壺やアカンサスなどの古代以来の伝統モティーフも採用されているという。

そのすべて異なるというモザイクのパターンを、まず身廊ち右側廊を隔てる右列柱のアーチ内側からみていくと、

a1
写していないところをみると、なかったのかも。

a2 アカンサス
力強い茎の左右にアカンサスの葉が互生する。
生命力に満ちた架空の植物。

a3 壺から伸びるアカンサスと十字架
a2に似ているが、壺から茎が出ていて、中央に十字架がある。

a4 孔雀の羽根
クジャクの羽根の文様をうまくモティーフにしている。

a5 蓮華
蓮華というよりも睡蓮を思わせる、細い花弁をたくさんつけた花。

a6 花と麦
植物や花綱は壺や水盤から伸びているが、この植物モティーフは器がない。

a7 十字架とアカンサス
十字架の両側の3つの実はブドウではなく、アカンサスの種でもない。

a8 水盤と花綱
アーチの両側の起拱点にそれぞれ水盤がある。そこから色の異なる花綱が2本、旋回し、交差して3つの輪を作っている。

a9 孔雀の羽根
鳥としてのクジャクの表現はローマ時代からだったかな?
これを含めて3つのアーチにあったが、そのパターンの違いがわからない。

a10 壺と葡萄唐草?
アーチの起拱点にガラス製かと思われる器が置かれ、それぞれから伸びたブドウの蔓が、別の蔓を出しながらくるくる弧を描いて中央の実で合流する。葡萄唐草と呼べる文様となっている。葉は左右で色を変えている。
ほとんど残っていないが、葡萄の実一粒一粒を立体的に表そうとし、葉もローマ時代のブドウの葉のように左右で色を変えている。

a11 亀甲(八角形)、六角形と卍の繋文
四角形(卍)と八角形(亀甲)の組み合わせのようにも見え、組紐が卍繋文と亀甲を作りだしているようにも見える。亀甲の中には鳥(ハト)、果物、アサガオ?が嵌め込まれている。


a12 組紐?とハト
これを組紐文と呼んでよいものかどうか・・・
鳥も果物も青っぽく表している。

a13亀甲(八角形)と卍の繋文

左列柱のアーチ内側

b1-b6 修復中で見えなかった。

b7 水盤または壺のある図のようだが、どういうわけか、写真が一枚もなかった。
真上を見上げて写真を写すのも一苦労。

b8 クジャクの羽根
クジャクの羽根の文様だけをモティーフとして、両側から描いている。

b9 葡萄唐草
一見一本の蔓のように見えるが、両側の壺から生えたブドウの蔓は中央の実のところで、巴のようになっている。

b10 八角形(亀甲)、六角形と卍の繋文
亀甲は四方を六角形と接し、残りの四方を卍と接している。その卍は4つが結合して十字架を形成しているのだろうか。
 
b11 組紐
ロープとした方がよいのだろうか。赤・青の組紐が捻れたり交差しながら区画をつくり出し、その中に鳥(おそらくハト)や植物などが描かれる。

b12 花綱
両側の水盤から出た花綱は、左右にうねりながら3つの円をつくっている。その中に脚の長い白い鳥とヤグルマギクのような花が表される。

b13 亀甲と卍の繋文
ここには六角形はなく、亀甲と卍の組み合わせになっている。亀甲の中には鳥、果物や花などがおさまっている。

階上廊、ナルテクスと身廊の境、ナルテクスにも別のパターンのモザイクがあった。
それについては次回

テッサロニキ6 パナギア・アヒロピイトス聖堂1 フレスコ画
                →テッサロニキ8 パナギア・アヒロピイトス聖堂3 モザイク2

関連項目
アヒロピイトス聖堂の蓮華はロゼット文
イコノクラスム以前のモザイク壁画8 アヒロピイトス聖堂2 蓮華もいろいろ
イコノクラスム以前のモザイク壁画7 パナギア・アヒロピイトス聖堂1 モティーフいろいろ
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テッサロニキ9 アギア・ソフィア聖堂
テッサロニキ5 アヒロピイトス聖堂まで街歩き
テッサロニキ4 アギオス・ディミトリオス聖堂2 クリプト
テッサロニキ3 アギオス・ディミトリオス聖堂1  モザイクとフレスコ
テッサロニキ2 ビザンティン時代の城壁
テッサロニキ1 ガレリウス帝の記念門と墓廟
花綱を担ぐ童子はローマ?

※参考文献
「世界歴史の旅 ビザンティン」 益田朋幸 2004年 山川出版社
「ゆらぎ モザイク考-粒子の日本美」 2009年 INAX出版