2018年10月22日月曜日

ロカマドゥール2 聖域


いよいよ聖域へ。
聖マルシアルの門(13世紀)から入ると、
通路は高い壁に囲まれており、
更に建物の中の無骨な円筒(ヴォールト)天井へ。
それを抜けると教会前広場になっているのだった。
聖域の構成(『ROCAMADOUR admirer contempler prier(以下admirer)』より
①大階段 ②司教の館 ③教会前広場 ④サンソヴール(救世主)教会(12-13世紀) ⑤聖アマドゥールのクリプト(地下聖所、12-13世紀) ⑥洗者聖ヨハネ礼拝堂 ⑦聖ブレーズ礼拝堂 ⑧聖アンナ礼拝堂 ⑨聖母礼拝堂 ⑩聖ミシェル礼拝堂(12-13世紀) ⑪聖アマドゥールの墓 ⑫デュランダルの剣 ⑬巡礼者の店 ⑭博物館・宝物館 ⑮十字架の道 ⑯エレベータ ⑰巡視路 ⑱聖王ルイの礼拝堂

教会前広場に出て辺りを見回し、とりあえず写した写真を無理やりパノラマ合成。広場といっても狭くて、各建物がひしめいている。左前方の階段へ。
右上の聖母礼拝堂で見られるものと聖ミシェル礼拝堂外壁にあるはずのものが楽しみ。
登って教会前広場を見下ろす。
正面奥が幾重にも飾りアーチになったゴシック様式の扉口の聖ブレズ礼拝堂、その手前側面に入口が開く洗者ヨハネ礼拝堂、右の絵はがきが飾ってある建物は司教館、そしてその手前に下りの大階段。

断崖のオーバーハングした岩に張り付いたような教会。石灰岩の雫が垂れて異様。
聖母礼拝堂の庇近くの岩壁にはデュランダルの剣が突き刺さっている。
ローランのデュランダルの剣
『admirer』は、ローランの剣は黒い聖母と奇蹟の鐘と共にロカマドゥールに欠かすことができない。シャルルマーニュ大帝と甥ローランにまつわる物語は、サンティアゴデコンポステラへの巡礼路と関連付けるものである。修道士たちはこの伝説を利用した。最初は小祈祷室の扉口に面した壁に嵌め込まれていたが、やがてほどよい高さの岩の割れ目
に移された。ローランの剣は囚人の鎖に繋がれて聖ミシェル礼拝堂の外壁に突き刺さっているという。
「ローランの歌」の主人公、シャルルマーニュ大帝の甥ローランがバスク軍に敗れた時の逸話。ローランが投げた剣がここまで飛んできたのだとか。
黒い雫の下には聖アマドゥールの墓がある。
『中世の街角で』は、ロカマドゥールという地名は、ロック・アマトゥール、つまり岩を愛する人からきている。言い伝えによれば、1166年、自分が死んだらここに埋められたいということで、土地の一住人が聖母マリアのために建てられた礼拝堂の入口を掘ったところ、一つの遺体が完全な形で発見された。そしてそれを祭壇の傍らに置き、人々が拝めるようにすると、それからさまざまな奇蹟がそこで起こったという。
聖アマドゥールなる聖人は、こうして出来上がった。いまも横たわっていた墓穴は、地上から216段の階段を上がり、そこからさらに17段を上がった、右側の小さなお堂、聖母マリア(ノートルダム)礼拝堂の前にあるという。
右側は聖母礼拝堂。
扉口の上は装飾的。右側には色褪せた骸骨の絵が残っている。
『Rocamadour』は、何世紀にもわたる度重なる修復で変わってしまった。
1479年に岩の崩落で建物は押しつぶされ、Denys de Bar(ドニドバル)によって完全に再建され、大きくなった。彼の紋章は扉口のタンパンの上にある。
1562年、ユグノーによる略奪と火事でヴォールトが再建された。
結局建物の破損は宗教戦争まで続き、19世紀のChevalt(シュヴァル)大修道院長によって再建が完了し、高さと長さが倍になり、扉口と南壁だけがオリジナルであるという。
扉口右には壁画が残る。
『Rocamadour』は、礼拝堂のゴシック期の部分は15世紀の絵画の断片が残っている。「3人の死者と3人の生者」に着想を得て、金持ちと貧乏、老いと若さという人のはかなさを表している。このテーマは、黒死病の流行した時代の不安と苦悩の表れであるという。
その隣の窓は受胎告知の場面のステンドグラスが嵌め込まれている。

同書は、平行六面体、最大長13.5m最大幅9m高さ8.50m。
聖母礼拝堂は巡礼の核心で、すべての巡礼者の最終目的であるという。
『中世の街角で』は、一般に奇蹟の礼拝堂と言われている、奇蹟の聖母マリア礼拝堂のなかは、ろうそくの煙などで全体が黒ずんで、じつに暗い。
そして独特の、異様な雰囲気を漂わせている。この小さな礼拝堂が、ロカマドゥールの心臓部であるという。
そう、ロカマドゥールで一番みたいものはこの黒い聖母なのだった。
祭壇の奥の高いところには、御本尊の聖母子像が、肉眼でボーッと小さく見える。じつに古い。おそらく9世紀の木彫像であり、くるみの木で作られ、黒ずんだ銀で覆われている。天井から下がっている古く黒い鐘はカロリング期(8-10世紀)のものという。
天井は彩色され、赤い点々が文様を構成するでもなくちりばめられる。聖母子像の背後には色調を押さえた壁画が残る。或いはマリア伝かも知れないが何時の時代のものかわからない。
聖母子像を近くで見ようと、
祭壇前へと進んでいくが、小さくてよくわからない。
『Rocamadour』は、祭壇は金銅製で、1889年に造られ、その年の万博で受賞した。古い祭壇を嵌め込んでいるという。
更に斜めから近寄るが、暗いのと、服を着せられているためによくわからない、残念。
黒い聖母或いは黒マリアについてはこちら
小さなランプのような照明では全く足りず、二階の窓から差し込む光は、曇り空のため弱い。
天井の装飾的なリブによって形作られた四弁形の中にあるのが、
奇蹟の鐘なのだった。
『Rocamadour』は、9世紀の鍛造品。船乗りたちが危険にさらされた時に鳴ったという。
そう言えば、船の奉納物が幾つか吊り下げられていた。航海を祈願して奉納されたものらしい。
床にはモザイク装飾が。

聖母礼拝堂の奥の扉からサンソヴール(救世主)教会へ。
このパイプオルガン、蒔絵のような装飾があるかに見えるが、無色透明な素材に描かれているだけ。
西側は岩が露出している。

身廊はトゥールーズのジャコバン修道院に似て、中央の柱から複数のリブが出て天井を装飾している。
『Rocamadour』は、外部:長さ26m、幅20m、内部:長さ15m幅17m、円柱の高さ7.6m。
入口付近にロマンス語の銘文がある。主と神の母、聖マリアの名において、1229年、5月の聖ブノワ祭の時にラ・ヴァラドのジェローここに泊まる。
祭壇は現在は北側を向いているという
北壁のキリスト磔刑像は16世紀。
『Rocamadour』は、教会は3つの小さな身廊と2つの大きなリブで区切られている。そして2つの小祭室が東にあるが、元は2つの身廊と3つのリブで区切られていたという。
東壁の少々無理なパノラマ合成で、祭壇が変になってしまった。周歩廊はなく、小祭室から光が差し込む。
天井はリブヴォールトのゴシック様式だが、窓は半円アーチのロマネスク様式。

南壁の別の扉口から退場。
聖母教会の外通路を巡って
再び教会前広場を見下ろす。その中央のに大階段。本来はこの階段を登って聖域にやって来る。司教館、博物館、宝物館、一階に巡礼者のための店が階段を囲むように立っている。

聖ミシェル礼拝堂
『中世の街角で』は、聖母マリア礼拝堂の向かい側に、ロマネスク様式のサン・ミシェル礼拝堂があり、その外壁に、何と12世紀のフレスコ画が「受胎告知」と「聖母訪問」を描いて、外気にさらされながらいまも色鮮やかに残っているのだという。
それについては後日
ヴォールト天井の通路から
ゴシックの窓のような門を抜けると、

そこには岩に張り付くような小さな礼拝堂があるのだった。
聖王ルイの礼拝堂
『ROCAMADOUR』は、1244年にロカマドゥールに巡礼に来た聖王ルイに捧げられた19世紀の礼拝堂という。
モディヨン(軒下飾り)、窓の開き方、窓の鉄格子、
扉口の形など飾り気がなく独特。
聖王ルイの名が冠された礼拝堂だが、内部は崖が凹んだ分だけの小さな礼拝堂。
そして祭壇。
鉄格子のデザインがいい。
ラグビーの守護聖人ということで、奉納されていろんなチームのユニフォームが壁面に掛けられていた。
聖王ルイの礼拝堂前の通路から見下ろすと、ちょうど①大階段の折り返しのところだった。

その後教会前広場へ下りる。
正面の尖頭アーチがマルシアルの門へ繋がる。その上はサンソヴール教会の扉口で、付け柱と三重の飾りアーチの扉口。

サンソヴール教会の地下へはこの鉄格子の扉口を入って右についた階段へ。
地下と言ってもどんな構造になっているのか明るい。

聖アマドゥールのクリプト(または教会、12-13世紀)
『Rocamadour』は、32段の小さな階段を下りると、サンソヴール教会の下、他の聖域の高さから5.85mのところに聖アマドゥール教会があり、通常は地下礼拝堂(クリプト)と見なされているという。
修復されて壁面に何かが描かれていたかどうかも分からない。
同書は、長さ16m幅7.8m円柱の高さ3.70m壁の厚み2m。
1974年の修復は、主に壁面を取り除くことで、1身廊の小さな建物はその簡素さと端正さを取り戻した。それは光の作用と白い石による。
12世紀のロマネスク様式の教会は元のままである。幅2mもの大きな横断アーチによって身廊は2つの柱間に区切られ、壁に付けられた円柱にヴォールトの荷重がかかっているという。
浅い尖頭交差ヴォールトを力強い幅広のリブが補強し、
隅の付け柱がリブを受けている。

その後広場に戻って⑥洗者ヨハネ礼拝堂へ。
説明パネルは、これが聖域で最初の礼拝堂で、キリストの洗礼を記念している。ここで洗礼と信仰の公言が行われた。
洗礼で約束したことを繰り返し、祝福の水で十字を切って、巡礼者は悪魔、罪そして死から神に救われたいという願いを示す。
イエズスの言葉「信じる者は洗礼を受け、救われるであろう」という。
ゴシック様式の飾り尖頭アーチの中に神の子羊が浮彫されたタンパンがある。各アーチを受ける柱頭は、すでに興味深いテーマはなく、植物文様だけ。
八角形平面からドームが架構されている。
洗者ヨハネ像
その背後の壁面には聖王ルイ、カペー朝9代国王(在位1226-70年)。
棺が浅い壁龕に安置されている。
『Rocamadour』は、19世紀に13世紀の様式で再建された。1518年、ヴァロン家によって創設された。16世紀初頭、エルサレムの聖王ルイの騎士であったジャン・ド・ヴァロンが埋葬されたという。
ジャン・ド・ヴァロンの石棺だった。
この3面にだけステンドグラスの窓がある。

聖ブレーズ礼拝堂へ
この扉口の飾りアーチの柱頭は左右でその文様が異なっている。
『Rocamadour』は、この12世紀の建物は、防御という趣旨で建造され、後に礼拝堂に変えられたという。
ゴシック様式かと思ってみていた。天井は切石様に描かれている。
窓は確かに半円アーチなので、後に天井はゴシック様式で架け替えられたのだろう。
大階段の隣で絵はがきと本を2冊買って聖域からロカマドゥールの町へと下りていく。

 ロカマドゥール1 十字架の道を下る←    →ロカマドゥール 中世の町

関連項目
ロカマドゥール 聖母礼拝堂の黒い聖母子像
ロカマドゥール 聖ミシェル礼拝堂
トゥールーズ、ジャコバン修道院

参考文献
「ROCAMADOUR admirer contempler prier」 P.Clément Nastorg 2005年 Édition du Signe
「Rocamadour Haut Lieu de Pèlerinage」 Didier 2006年 APA-POUX-ALBI  
「中世の街角で」 木村尚三郎 1989年 グラフィック社