2025年5月9日金曜日

ミマールスィナンの建築巡り ユスキュダル Üsküdar シェムシアフメッドパシャジャーミィ Şemsi Ahmet Paşa Camii


ユシキュダル地図 Google Earth より
❶アティクヴァリデジャーミイ Atik Valide Çamii ❷カラダヴドパシャジャーミイ Karadavud Paşa Camii ❸ルミメフメトパシャジャーミイ Rumî Mehmet Paşa Camii ❹シェムシアフメッドパシャジャーミィ Şemsi Ahmet Paşa Camii ❺ミフリマースルタンジャーミイ Mihrimah Sultan Cami ❻フェリー乗り場


➌ルミメフメトパシャジャーミイから坂を下りたところに❹シェムシアフメッドパシャジャーミィがある。しかもマルマラ海の際に、1580年にミマールスィナンが建設した。
シェムシアフメッドパシャジャーミィ複合施設 Architect Sinan His Life, Works and Patrons より


シェムシアフメッドパシャジャーミィ複合施設平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』(以下『Architect Sinan』)より
同書は、このモスクは規模は小さいものの、その質量と構成、そして海岸沿いに建っていることから注目に値する。シェムシアフメトパシャの墓がモスクに隣接し、L字型のメドレセが独立した軸で中庭を囲むなど、シナンは海岸線に完璧に適合した非常に独創的な複合施設を設計したという。
かなり変形した中庭を❶モスクと❸メドレセが囲んでいる。 ❷シェムシアフメトパシャ廟は中庭から行けるが、中庭に囲稀手はいない。
シェムシアフメッドパシャジャーミィ複合施設平面図 Architect Sinan His Life, Works and Patrons より


ルミメフメトパシャジャーミイのある丘から下りてきたらシェムシアフメトパシャ複合施設のアルマシュクの壁が見えてきた。
アルマシュクとは、異なる種類の建材を交互の層に積み上げて壁を築く技法。ビザンツ建築で多用され、初期オスマン建築でも使用された。水平の縞模様が装飾になるという(『トルコ・イスラム建築紀行』より)。
外壁に沿って立っているドームは❸メドレセの講堂


道路沿いの壁が尽きるところから、❶モスクの角と八角形のところが半ドーム状に出っ張ったスキンチの外側がよく見えた。ここから境内へ。

中庭に入ると❶南西側の柱廊が見えてきて、


小ドームのないソンジェマアトイェリ(礼拝の時刻に遅れて来た人が礼拝する場所)なのか
中庭はシャドルヴァン(清めの泉亭)もなく、全面大理石で舗装してもいなかった。

モスクの柱廊がくの字に曲がって設けられているのは他に知らない。

ずんぐりしたミナレットの基部は角に切れ込みのようなものがあるだけ。



どこを写したか覚えていないが、現在は中庭に置かれていないシャドルヴァン(清めの泉亭)と思われるものが建物の片隅に置かれていた。最初はビザンティン帝国時代の石棺だと思ったけれど。


何故シャドルヴァンだと思うかというと、かつて蛇口が取り付けられていたと思われるサビの出た穴があるから。



中庭の柱廊と③メドレセ
小ドームと煙突のセットで一つの部屋となっている。

講堂のドームは正方形、八角形、円形と移行している。ドーム架構部にもアルマシュクが使われているのは他に知らない。また、ドームとしては小さいので飛び梁はなく、八つの角を突き出して補強しているように見える。


モスク平面図 『Architect Sinan』より
❶柱廊(ソンジェマアトイェリ、礼拝の時刻に遅れて来た人が礼拝する場所) ❷礼拝室入口 ❸大ドームの礼拝室 ❹ミフラーブ ❺ミンバル ❻小半ドーム ❼ミナレット
シェムシアフメッドパシャジャーミィ複合施設平面図 Architect Sinan His Life, Works and Patrons より


❶入口側のソンジェマアトイェリと

入口を挟んだ右のソンジェマアトイェリ


❷礼拝室入口は撮影し忘れて❸礼拝室の大ドームへ。

ムカルナスの初期の頃のサーマーン廟(ウズベキスタン、ブハラ 10世紀)では、四壁の上にムカルナスやその間のアーチを八つつくって八角形にし、その家に十六角形を設けてドームをのせているが、

建築技術が進むと、壁と架構部との境がなくなり、正方形平面の四隅にスキンチを設けて八角形にし、各壁面にもアーチを造ってそれぞれの半円の頂点でドームを支えている。アーチの起拱点には小さなムカルナスを積んでいるが、構造的なものだろうか装飾的なもだろうか。

で、四隅はどうかというと、やはり小さなムカルナスを段を増やしてドームの荷重に耐えるように補強している。

こんなにスキンチとドームがカメラに入ってしまうほど小さなモスクなので、ミフラーブやミンバルを撮影することも忘れていた。

そこで『Architect Sinan』の図版が大いに参考になった。こんなことでええのか。
ミンバル(説教壇と訳されるが、イマームは立っているだけで、ここから説教はしないと現地ガイドのギュンドアン氏に聞いた)の向こうは木製の仕切りで隔離されていて、女性用マッフィルになっているので、余計に狭い礼拝室と感じる。
左の金属の柵はシェムシアフメトパシャ廟との境だが、ここから廟内が見えるとは気がつかなかった。

タイル装飾はない。1578-80年と、同じような時期に対岸のトプハネに建造されたクルチアリパシャジャーミイがステンドグラスとタイルという豪華な装飾があるのとはかなり違う。


小さく倹しいモスクなのに、ステンドグラスは豪華。

ミフラーブの右上

上からカーネーション、チューリップは分かるが、その下の複雑な花は何? バラ?




ミフラーブの左上
よく似ているが上のカリグラフィーが違う。

下のカリグラフィーも違っていた。
カリグラフィーの両端は植物文様のはずだが、クチバシの大きな鳥に見える。


ミフラーブの上



入口側のステンドグラス
アティクヴァリデジャーミイ(1570-88)のミフラーブ壁にはタイル装飾はあるがステンドグラスがシェムシアフメトパシャジャーミイほどではないというのはいかがなものか。創建時にはあったが、かなり以前に傷んで補修ステンドグラスをつくれないのかも。
この3面のステンドグラスは、デザインは同じだが、色ガラスの位置が全て異なっている。


その左側。角は面取りになっている。

右のステンドグラス下部



西壁のステンドグラス

近くからステンドグラスを見上げて写すと形が違ってしまうのだが。枠が古いものでないことを証明しているよう。


廟が見えることに気付かないまま外に出て、廟の前に行ったが、扉は閉まっていた
扉の注意書きには、「開場: 08:30 閉場:17:00 墓は月曜日は訪問禁止 
火曜日に行ったのに閉まっていた。


中庭から出て墓廟、礼拝室、ミナレットを眺める。


マルマラ海に沿って設けられた通路を通る。正面奥にボスポラス海峡。


マルマラ海の対岸にはドルマバフチェ宮殿 Dolmabahçe Sarayı 


その後ミフリマースルタンジャーミイを再訪したが、すでに前回の旅で記事にしたので省略。

Google Earth より
A:ユスキュダル Üsküdar フェリー乗り場 B:ベシクタシュ Beşiktaş フェリー乗り場
❶シェムシアフメトパシャジャーミイ ❷ミフリマースルタンジャーミイ ❸バルバロスハイレッディンパシャ廟 Barbaros Hayrettin Paşa Türbesi  ❹シナンパシャジャーミイ Sinan Paşa Camii ❺ドルマバフチェ宮殿  Dolmabahçe Sarayı ❻モラチェレビジャーミイ Molla Çelebi Camii(Fındıklı Cami) 


現地ガイドのギュンドアン氏の勧めでベシクタシュ行きのフェリーに乗った。


10分でベシクタシュ港に到着し、バルバロスハイレッディンパシャ廟へ。
到着したときは雨だったうえに、バルバロス広場 Barbaros Meydanı はイスタンブールの市長選挙運動中で、いろんな旗が舞って、墓廟は見えなかった。

Google Earth より
❶ベシクタシュ港 ❷バルバロスハイレッディンパシャ廟 ❸シナンパシャジャーミイ

選挙応援のさまざまな看板や旗で墓廟が隠れている。

引退後1546年没。「オスマン帝国外伝」でも早いシリーズに出ていた。

説明パネルは、廟は、16世紀の著名な提督バルバロス・ハイレッティン・パシャが亡くなる5年前に、ミマールスィナンによって建造された。バルバロス・ハイレッティン・パシャは1533年から1546年までオスマン帝国海軍に所属していた。碑文によると、1541-42年に建造されたとされているという。

選挙期間中のせいだとしか思えないのだが、柵は鍵がかかっていて入れなかった。





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参考文献
「トルコ・イスラム建築紀行」 飯島英夫 2013年 彩流社
「Architect Sinan His Life, Works and Patrons」 Prof. Dr. Selçuk Mülayim著 2022年 AKŞIT KÜLTÜR TURIZM SANAT AJANS TIC. LTD. ŞTI.
「THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN」 REHA GÜNAY 1998年 YEM Publication