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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2024年5月14日火曜日

ミマールスィナンの建築巡り ユシキュダル ミフリマースルタンジャーミイ Mihrimah Sultan Camii


昼食後ミフリマースルタンジャーミイに行くのに、ガイドのアイシャさんからフェリーよりもマルマライを勧められたので、シルケジ駅からマルマライに乗ってみた。

イスタンブールマルマラ海周辺地図 Google Earth より
イスタンブール マルマラ海周辺地図 Google Earth より


深~いエスカレータが三つくらいあって、中には動かないエスカレータもあった。

マルマラ海の下を通ってアジア側のユシキュダルまで一駅。


電車が来た。


マルマライの駅から同じくらいエスカレータで上がって地上に出た。雨の前日とはうってかわってこの青空。
『望遠鏡』は、広場の北の小高い丘に優美なモスクがある。イスケレジャミイ(桟橋のモスク)とも呼ばれるこのモスクは、シュレイマン一世の皇女、大宰相リュステムパシャ夫人ミフリマフのために、1547 年から48年にかけて、スィナンによって建てられた。スィナンがシェフザデジャミイに次いで手掛けたモスクである。スィナンはミフリマフのためにモスクをもうひとつつくっており、陸の城壁に近い第6の丘の頂にあるという。

左側のアフメト三世(Ⅲ Ahmet Çeşmesi 在位1703-1730)の泉亭、左奥が各所へのフェリー乗り場

右のミフリマースルタンジャーミイを正面から見た写真は前日のこれだけ。


ミフリマースルタンジャーミイ複合施設平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
同書は、スレイマンの娘が献納したこの施設は、海岸まで続く傾斜地に巧みに統合された複合施設の一部で、マドラサ、迎賓館、食堂、小学校、増築された墓が含まれている。ゲストハウスと食堂は1722 年の火災で焼失したという。
①モスク ②メドレセ ③小学校 ④清めの泉亭
ユシキュダル ミフリマースルタンジャーミイ複合施設平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より


モスク南壁、左に柱廊


➍ 清めの泉亭は後日の雨の日に写したもの
清めの泉亭は柱廊から突き出た庇に保護され、雨がかりににならないようになっている。
そして屋根は尖頭アーチに支えられ、尖頭アーチはロータスの柱頭をいただいた円柱に支えられている。

まあるく優雅な泉亭には、帽子のような屋根が架かっているが、『イスタンブール歴史散歩』の写真では円錐形の屋根だった。

柱廊に鉄格子があるのは不思議。ここもロータスの柱頭。

中にもまた柱廊(ソンジェマアトイェリという遅れてきた人用の礼拝空間)がある。雨の日に女性たちが濡れないため?


ミフリマースルタンジャーミイ平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
ソンジェマアトイェリ B入口 C礼拝室のドーム Dミフラーブ Eミンバル Fムアッジン用マッフィル G清めの泉亭 Hテュルベ Iテュルベ
ユシキュダル ミフリマースルタンジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より


A ソンジェマアトイェリ(礼拝に遅れて来た人が礼拝できる場所だが、礼拝室に入らずここで礼拝を済ませる人もいる)
もちろん、献納者が女性だからといって男性が礼拝に来てはならないということはないし、礼拝室に入る時間がない人がここで礼拝しても良い。
こんな風に撮影していたら「どこから来たの?」と小さな子供をつれた若い女性に声を掛けられた。
そのとき私は Mihrimah をミフリマーフと発音するのか、ミフリマーと発音するのか分からないでいたので、その人に尋ねて見たら「ミフリマー」とのことだった。ドラマや書物によって異なっているのでどちらにするか迷っていたが、正しいのはミフリマーだった。

B 入口は高いムカルナスの下

ここの柱頭は縦長のムカルナスだが、ロータスの柱頭の方がすっきりしていて私好み。


入口上のムカルナス


緑の幕から忍び込むと扉が目に入る。当初のものとは思えないが華やかな幾何学文様


中央の出っ張り
深く彫り込んで彩色しているのか、色の異なる木材を嵌め込んでいるのか。


C 礼拝室
平面的に写ってしまったが、ドームは四つのペンデンティブで支えられていて、入口側以外の三方に半ドームがあり、大ドームを支えている。

ミフラーブ壁側
ミフラーブ壁の上には半ドームが架かっている。
ザルマフムドパシャジャーミイは窓が多くて明るかったが、この礼拝室は暗い。
大理石のDミフラーブとEミンバル(説教壇だと思っていたが、実際に説教するのはミフラーブを挟んで左側の木製の丸い台なのだそう。ちょうどその背後に人が立っている)
礼拝している人を写さないようにと言われても・・・

キブラ壁に近い2本の複合柱は丸みのある十字形で、どの柱頭もムカルナス。壁面や柱は色の異なる石を積み重ねているが、当初はその上に彩色されていたのか、それともそのままだったのかは不明。

その右手を向くと、ドーム、複合柱と入口側の壁と一体化した柱におりる二つのペンデンティブ、その奥に半ドームが見える。
撮影は女性用マッフィルより撮影。背が低いのでその仕切り壁が写ってしまった。


F ムアッジン用マッフィル
ムアッジンとはモスクでの礼拝を呼びかける人。
間抜けなことに、今まで私はミナレットに登ってアザーン(トルコではエザーン)を唱えているものと思っていたが、ギュンドアン氏は、電気が発明されてスピーカーが普及してからは、下でエザーンを唱え、ミナレットのスピーカーで伝えていますと言っていた。

ムアッジン用マッフィルの天井の装飾は、ステンドグラスよりも凝った植物文様。卍字とその4本の端から延びる線が複雑な九角形をつくっている。

蔓草というほどではないが、花々はほぼ繋がっている。


ステンドグラス(トルコ語では Vitray ヴィトライ、トルコ語にはフランス語に似た言葉に時々でくわすが、これはフランス語の vitrail ヴィトライユからきているのだろう)は美しい。

ミフラーブの上にあるステンドグラス

カメラによっても、写す時刻によっても光の入り加減が違う。
細部についてはこちら

ステンドグラスの下には壁面が残っていた。



六つある小半ドームの一つ
小さな窓にも可愛いステンドグラスが嵌め込まれている。
各所にムカルナスが施されているが装飾だけ


白?と緑が交互に並んだアーチの下には円と尖頭と半円のステンドグラス
細部については後日忘れへんうちににて


外へ出る時に気がついた、内側にもムカルナスがある。


礼拝室を出て右手へ向かうと二重の柱廊を支える円柱にはロータスの柱頭がのっている。その向こうに四角いテュルベが二基あり、上にはドームが架かっていて、正面から見た写真に小さなドームが二つ写っている。

I 手前のテュルベ
Hテュルベと同時に建てられたのだろうか。
とても簡素だが、説明パネルは、ミフリマースルタンの娘アイシェフマシャスルタンとシナネディンユスフパシャがここに埋葬されているという。
そしてこのモスクの寄進者ミフリマーは、ここには埋葬されず、何故かスレイマニエジャーミイの墓廟の父スレイマン大帝の隣に埋葬される。


H 奥のテュルベ
何も記されていない。建物としてはIテュルベよりも柱や尖頭アーチが装飾的。
こちらは誰が埋葬されているのか確かめていなかった。

HテュルベとIテュルベの間の通路の先には



②メドレセ
礼拝室入口と同様ここにも高いムカルナスの装飾があった。左右には八角形の低いドラムが顔を出している。

驚いたことに、メドレセの中庭は現在ではこんなに明るかった。
斜めの天井がガラス張りになっているので下が写って現代アートのよう。イベント会場だろうか。一段低い位置にある清めの泉亭は当時のままだろうか。


二つの墓廟と2本のミナレット


別の方向から見上げた二つの墓廟


③小学校
現在は観光案内所


『望遠鏡』は、柱の上に小鳥用の巣箱があるというので探したが見つけることはできなかった。
ユシキュダル ミフリマースルタンジャーミイ 柱の上に小鳥用の巣箱 望遠鏡より


『イスタンブール歴史散歩』は、このモスクは二重のポーチを持った堂々たる構えだが、おそらくミフリマーは薄暗い印象が気に入らなかったのだろう。その後、エディルネ門近くに同じシナンが建てたモスクは、このモスクよりはるかに明るく優雅で、女性のモスクにふさわしく思われるという。
エディルネのミフリマースルタンジャーミイについてはずっとのちほど。


                         →ギュルハネ公園 Gülhane Parkı


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参考文献
「イスタンブール歴史散歩」 澁澤幸子・池澤夏樹 1994年 新潮社
「イスタンブール 旅する21世紀ブック望遠郷」 編集ガリマール社・同朋舎出版 1994年 同朋舎出版
「THE ARCHITECT AND HIS WORKS SINAN」 REHA GÜNAY 1998年 YEM Publication