イスタンブールマルマラ海周辺地図 Google Earth より
深~いエスカレータが三つくらいあって、中には動かないエスカレータもあった。
➍ 清めの泉亭は後日の雨の日に写したもの
『望遠鏡』は、広場の北の小高い丘に優美なモスクがある。イスケレジャミイ(桟橋のモスク)とも呼ばれるこのモスクは、シュレイマン一世の皇女、大宰相リュステムパシャ夫人ミフリマフのために、1547 年から48年にかけて、スィナンによって建てられた。スィナンがシェフザデジャミイに次いで手掛けたモスクである。スィナンはミフリマフのためにモスクをもうひとつつくっており、陸の城壁に近い第6の丘の頂にあるという。
左側のアフメト三世(Ⅲ Ahmet Çeşmesi 在位1703-1730)の泉亭、左奥が各所へのフェリー乗り場
ミフリマースルタンジャーミイ複合施設平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
同書は、スレイマンの娘が献納したこの施設は、海岸まで続く傾斜地に巧みに統合された複合施設の一部で、マドラサ、迎賓館、食堂、小学校、増築された墓が含まれている。ゲストハウスと食堂は1722 年の火災で焼失したという。
①モスク ②メドレセ ③小学校 ④清めの泉亭
ユシキュダル ミフリマースルタンジャーミイ複合施設平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より |
モスク南壁、左に柱廊
➍ 清めの泉亭は後日の雨の日に写したもの
清めの泉亭は柱廊から突き出た庇に保護され、雨がかりににならないようになっている。
そして屋根は尖頭アーチに支えられ、尖頭アーチはロータスの柱頭をいただいた円柱に支えられている。
ミフリマースルタンジャーミイ平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
Aソンジェマアトイェリ B入口 C礼拝室のドーム Dミフラーブ Eミンバル Fムアッジン用マッフィル G清めの泉亭 Hテュルベ Iテュルベ
A ソンジェマアトイェリ(礼拝に遅れて来た人が礼拝できる場所だが、礼拝室に入らずここで礼拝を済ませる人もいる)
もちろん、献納者が女性だからといって男性が礼拝に来てはならないということはないし、礼拝室に入る時間がない人がここで礼拝しても良い。
こんな風に撮影していたら「どこから来たの?」と小さな子供をつれた若い女性に声を掛けられた。
そのとき私は Mihrimah をミフリマーフと発音するのか、ミフリマーと発音するのか分からないでいたので、その人に尋ねて見たら「ミフリマー」とのことだった。ドラマや書物によって異なっているのでどちらにするか迷っていたが、正しいのはミフリマーだった。
B 入口は高いムカルナスの下
C 礼拝室
平面的に写ってしまったが、ドームは四つのペンデンティブで支えられていて、入口側以外の三方に半ドームがあり、大ドームを支えている。
ミフラーブ壁の上には半ドームが架かっている。
ザルマフムドパシャジャーミイは窓が多くて明るかったが、この礼拝室は暗い。
大理石のDミフラーブとEミンバル(説教壇だと思っていたが、実際に説教するのはミフラーブを挟んで左側の木製の丸い台なのだそう。ちょうどその背後に人が立っている)
礼拝している人を写さないようにと言われても・・・
F ムアッジン用マッフィル
キブラ壁に近い2本の複合柱は丸みのある十字形で、どの柱頭もムカルナス。壁面や柱は色の異なる石を積み重ねているが、当初はその上に彩色されていたのか、それともそのままだったのかは不明。
その右手を向くと、ドーム、複合柱と入口側の壁と一体化した柱におりる二つのペンデンティブ、その奥に半ドームが見える。
撮影は女性用マッフィルより撮影。背が低いのでその仕切り壁が写ってしまった。
ムアッジンとはモスクでの礼拝を呼びかける人。
ステンドグラス(トルコ語では Vitray ヴィトライ、トルコ語にはフランス語に似た言葉に時々でくわすが、これはフランス語の vitrail ヴィトライユからきているのだろう)は美しい。
ミフラーブの上にあるステンドグラス
六つある小半ドームの一つ
小さな窓にも可愛いステンドグラスが嵌め込まれている。
礼拝室を出て右手へ向かうと二重の柱廊を支える円柱にはロータスの柱頭がのっている。その向こうに四角いテュルベが二基あり、上にはドームが架かっていて、正面から見た写真に小さなドームが二つ写っている。
I 手前のテュルベ
Hテュルベと同時に建てられたのだろうか。
とても簡素だが、説明パネルは、ミフリマースルタンの娘アイシェフマシャスルタンとシナネディンユスフパシャがここに埋葬されているという。
②メドレセ
そしてこのモスクの寄進者ミフリマーは、ここには埋葬されず、何故かスレイマニエジャーミイの墓廟の父スレイマン大帝の隣に埋葬される。
H 奥のテュルベ
HテュルベとIテュルベの間の通路の先には『望遠鏡』は、柱の上に小鳥用の巣箱があるというので探したが見つけることはできなかった。
『イスタンブール歴史散歩』は、このモスクは二重のポーチを持った堂々たる構えだが、おそらくミフリマーは薄暗い印象が気に入らなかったのだろう。その後、エディルネ門近くに同じシナンが建てたモスクは、このモスクよりはるかに明るく優雅で、女性のモスクにふさわしく思われるという。
エディルネのミフリマースルタンジャーミイについてはずっとのちほど。
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参考文献
「イスタンブール歴史散歩」 澁澤幸子・池澤夏樹 1994年 新潮社
「THE ARCHITECT AND HIS WORKS SINAN」 REHA GÜNAY 1998年 YEM Publication