2025年5月16日金曜日

ミマールスィナンの建築巡り ベシクタシュ Beşiktaş スィナンパシャジャーミイ Sinan Paşa Camii


バルバロスハイレッディンパシャ廟からスィナンパシャジャーミイはベシクタシュ通り Beşiktaş Cd. を挟んで向かい合っている。
『トルコ・イスラム建築』は、リュシュテム・パシャの兄弟で海軍提督のスィナン・パシャのため、イスタンブル・ベシクタシュの桟橋近くに1555年に完成したキュッリエのモスクであるという。
それはスレイマニエジャーミイ(1550-57)建設中のことである。
「オスマン帝国外伝」という長いドラマで、初期の頃にリュステムパシャの弟として登場したことは記憶にある。

片側2車線の通りを渡ると、モスクの入口とは思えない二階の窓の下の

通路を通り抜けて、


突き当たりの左側に中庭への入口がある。


❸中庭に入り、一度❶北側の正門を出て、再び入った。



平面図 支柱が6本の集中式モスク 『トルコ・イスラム建築紀行』より
❶正面入口 ❷回廊とメドレセ ❸中庭 ❹シャドルヴァン(清めの泉亭) ❺礼拝室入口 ❻ソンジェマアトイェリ(礼拝の時刻に遅れて来た人が礼拝する場所) ❼礼拝室の玄関間 ❽ドームの並ぶ区画 ❾礼拝室の大ドーム ➓ミフラーブ ⓫ミンバル(説教壇) ⓬小ドーム ⓭中ドーム ⓮六角形の支柱 ⓯マッフィル
同書は、中央ドームの支柱が6本のモスクとしてミマール・スィナンが手がけた最初のもので、礼拝室前の中庭の周りにメドレセを配置した最初の例でもあるという。
ベシクタシュ スィナンパシャジャーミイ平面図 トルコ・イスラム建築紀行より


中庭の回廊
柱廊にはメドレセの部屋の入口と窓が並び、屋根には煙突が並ぶが、小ドームが見えない。

それが不思議でGoogle Earth で確かめると切妻屋根だった。



礼拝室のドームは低く小さい。
二重の基壇の上に造られた❹シャドルヴァン
礼拝の前に身を清めることをアブデストというらしい。
『トルコで私も考えた④』は、モスクの水道はアブデストのために独自のタンクによって断水の時でも絶対に水が出ます。
昔貧乏旅行者はホテルの水が止まったらモスクへ行けと言われたもんだそう。
閑話休題、モスクの見学だった。ところが、このシャドルヴァンの向こうに見えているように、外側のアーケードは、アーチの中がガラス張りになっていて、中に入っても全くモスクらしくないのだった。それで撮り忘れてしまつたのだと思うのだが、この辺りの写真が一枚もない。
そこでGoogleマップからシナンパシャジャーミイの写真をいろいろ拝見していると、入口から入ったところは❻ソンジェマアトイェリとして使われているようでカーペットが敷き詰められている。そして内側のアーケードはレンガ積みのアーチで、その中が白い壁になっていて、円柱や格子窓、上部のアーチ型の窓などがある。他のソンジェマアトイェリはこの柱列の内側にあるはずのものなのだ。ミマールスィナンがこのようなものを例外的に造ったとは思えない。
切妻屋根のメドレセといい、小ドームが並ばないソンジェマアトイェリといい、どうも不可思議だ。ひょっとすると、後世の修復でこんな風になってしまったのかも。


そして中央にある❺礼拝室入口にはムカルナスはなく、キュンデカリの扉の片側から入っていくと、


❼礼拝室の玄関間は平面図通りドームではなかった。

右側にはドームが二つ。


奥のドーム下は⓯マッフィルの続きになっているようで目隠しの仕切りがある。


左側にも二つのドーム
これは、グランドバザール近くのマフムドパシャジャーミイ(1474建立)の構造に似ているが、マフムトパシャジャーミイはその外側に小ドームの並ぶソンジェマアトイェリもある。


さて❾大ドーム
壁画の色が濃いのと曇り空とで礼拝室全体が暗く感じるが、THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』の図版では、モスク内部は青が基調で、大ドームの文様も全く異なっている。ミマールスィナンが建てた時はどんなだったのだろう。
『トルコ・イスラム建築紀行』は、主ドームの直径は約10mで、礼拝室は 28m × 12mである。そのため、両脇の6角形のピアもウチュシェレフェリ・ジャーミよりずっと細くなっているし、窓からの光も届き易いので、礼拝室内はウチュシェレフェリ・ジャーミよりは見通しも良いし明るいという。


➓ミフラーブ壁
ステンドグラスは凝った文様ではない。
大ドームの下は六つの尖頭アーチとペンデンティブですっきりと構成され、2本の⓮六角形の支柱とミフラーブ壁の二つの付け柱、見えないが入口側の二つの付け柱で支えられている。でも何かが目にうるさい。

ミフラーブの窓を挟んで次の細長い壁は、複合柱のように飛び出しておらず、壁と同じ面だが、上部がムカルナスを使って突き出ていて、尖頭アーチの起拱点となっている。

これは⓮付け柱と斜めに出る尖頭アーチのための仕掛け。


ミフラーブは幅は狭いが装飾的。

ピントが甘いのが残念。6段の細長いムカルナスで構成され、タイルは使われておらず、それぞれに文様が描かれている。スパンドレルにはバラの蔓草文が描かれているのもこれのでにない装飾だが、金箔か金泥の輝きから考えて修復されたものだろう。



さて周囲を見回すと、⓮六角形の支柱。

その上から五つのアーチが出ている。これが目にうるさいと感じる原因だ。


何よりも驚いたのがこの部分。エディルネのユチュシェレフェリジャーミイと同じで、天井に狭い三角形の部分がある。
THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』は、スィナンはウチシェレフェリ・モスクの六角形の平面を再評価し、そのモデルを改良することに成功した。しかし、中央部分と側面部分の間に現れる三角形の天井部分が空間の統一性を損なっているという。
ミマールスィナンはアヤソフィアのドーム(直径約31m)を超える大ドームを造りたいと思っていたという。当時建築中だったスレイマニエジャーミイのドームの直径でさえ26.5mだった。ミマールスィナンは自身がこれまで造った大ドームの架構法では無理だと感じて、いろんなやり方を試行錯誤した。
その過程の一つがこのモスクで、六角形からドームを架構することを最初に試みて、エディルネのユチュシェレフェリジャーミイを参考にした。このアーチで囲まれた三角形の部分を造ることがどんな意味があるのかを確かめたかったのではないだろうか。


入口から左側の目立たない付け柱にムカルナスで突き出して角度の異なる尖頭アーチを無理なく架構したり、⓮六角形の支柱を細くしたことは、ユチュシェレフェリジャーミイの太い付け柱や六角形の支柱が造り出した低い円形ドームへの移行部よりはずっとすっきりとしてはいる。このあまりにも装飾過剰な壁画さえなければ。

付け柱のムカルナス


大ドームを支えるもう入口右側の⓮六角形の支柱と煩雑なアーチ群
礼拝している人を撮影してはいけないと言われているが、皆さんがいなくなるまで待っている訳にもいかず・・・

付け柱のムカルナス
ドームの移行部に構造体として登場したムカルナスは、いつの間にかその用はなくなり、ただの装飾になってしまったが、ここではミマールスィナンはアーチを支えるためにムカルナスの本来の働きを取り戻したかのよう。


ミフラーブ右の付け柱に取り付けられた⓫ミンバル

大理石製で金箔か金泥の装飾がある。



⓯マッフィル
スルタン用ではなく、スィナンパシャ一族のものだったのかも。

柵は透彫ではなく浮彫で凹んだところに彩色されている。


そして❽のドームが⓯のマッフィルの隣から見えた。もし、ミマールスィナンがソンジェマアトイェリとして造ったドーム列ならば、こんなアーチを開くこともなかっただろう。どうもこのあたりが不可解だ。