2025年10月10日金曜日

アマスヤ博物館 ローマ時代の舗床モザイクとイスラーム時代の工芸品


二階に上がると、❶-⓴はイスラーム時代の展示ケースが壁際に並んでいた。そしてローマ時代の舗床モザイクがあって壁にはイスラーム時代の木の扉が並んでいたと記憶しているのだが、この平面図にはそれがない。


教会跡から発見された舗床モザイク
説明パネルは、礼拝堂の床に敷かれたモザイクの装飾から、リンゴのモザイクと名付けられた。
建物は砕石、砂、石灰モルタルで建てられ、壁はレンガの粉、砂、石灰モルタルで固められていたことが判明しました。ドアの敷居は四角いレンガ板と平らなレンガ板で覆われていたことが確認された。発掘調査中に上部の覆いが完全に破壊されたこの建物は、壁がかなり厚かったことから、ヴォールト天井であった可能性があると結論付けられたという。

ローマ時代の別荘時の平面図とビザンティン時代の教会の平面図(説明パネルより)
ローマ時代に田舎風のヴィラが素朴な様式で建てられた。長方形の礼拝室の南端には、半円形の大きなエクセドラ部分が設けられている。中庭への入口となる大きなエクセドラのある扉部分は、5世紀に壁が築かれて閉鎖され、東側の壁に小さな後陣が追加されることで小さな教会へと改築されたことが分かった。
エクセドラ部分は本来舗床モザイクで覆われるが、ビザンティン時代に建物がテラコッタの平レンガ敷かれ、洗礼室に改造されたと考えられている。アトリウムの西側に位置する長方形の空間は、ビザンティン時代の第二期に墓地として利用されていたことが判明したという。


ローマ時代の舗床モザイクレクリエーションルーム側からアトリウム
説明パネルは、建物の2箇所でモザイクの床材が損傷しているのが見つかった。モザイクには、草本植物、幾何学模様、動物の図柄からなる構図があり、湿ったモルタルの上に1㎝角のテッセラを敷き詰めて作られているという。
正方形平面にリンゴの木を中心とした円形の文様帯が部屋いっぱいに表されている。

中心のリンゴの木には四つの実がなり、地面には白い鳩が歩いている。それを波文が囲み、その外側には太い組紐文が巡り、再び波文がある。

外枠の文様帯には、二つの正方形のが並ぶ二重のギローシュ文様(組紐文)による装飾が施されている。続いて文様のない白い帯、青い背景に白色の波文からなる枠、赤紫色と青色の蔦の葉を絡み合わせたモチーフからなる枠。その内部には、大型の円形波文の帯の外側の角に、3本のオリーブの枝からなるモチーフがあしらわれているという。
青の背景に白波というが、白い背景に青い波という風に見える。


アトリウムの舗床モザイク

リンゴの木の舗床モザイクに続いて、アトリウムの幾何学文様、見ようによっては家が並んでいる風な舗床モザイクがある。

反対側からの眺め。壁面は古い建物の出土状況を表しているのだろう。

そして家並みは2本の波文で途切れ、円文や三角文様のある舗床モザイクが続いて、こちら側には三つの大きな円文と方形が複雑に絡み合っていて、その中の文様も一つ一つを違えている


そして別の舗床モザイク(説明パネルを写し忘れた)は幾何学文様
手前には七宝繋ぎ文、奥に捻れ文様も見える。

一番外の文様帯には1.5列の七宝繋文、その内側に細い文様帯が数本あって、主文様も七宝繋文。


大きな円形は、波文の内側がいろんな色のテッセラが渦巻き、組紐文その外枠にもなり、メアンダー文にもなったりしているような・・・


中心から正方形が大きくなりながら捻れ、あるいは渦をつくっている円文も。


幅広の文様帯は二重の円文繋ぎ?、その右側には正方形を四つ組み合わせて、その中に菱形をつくりだしている。それが縦横に並ぶというこれまでにない幾何学文様になっている。

反対側より
メアンダー文ではなく、卍繋文だろうか。

その続きには人物の胸像も。


そして大きな円文は色と三角形の大きさを変えながら、花のようになっていく。


舗床モザイクを囲む壁面にはイスラーム時代の木製の扉が並んでいた。
アマスヤ考古学博物館のキュンデカリ技法で制作された木の扉はこちら

木の扉 所在地不明 浮彫
保存状態が悪いのか、古いのかよく分からないこの木の扉は、上部と広い下部で文様が異なっている。

壊れているので古いものかと思ったが、意外と古くなさそうなアラビア文字の碑文や蔓草文様などの浮彫

下の方は幾何学文の組み合わせ。一区画の植物文様の中も外もヒビが続いているので、キュンデカリではなく浮彫。


木の扉2点 1486年にバヤズィト二世が建てたモスク キュンデカリ
ベヤズィット二世は、エディルネイスタンブールにもモスク複合施設を建てている。

別の木の扉(どこのものか不明) キュンデカリ

かなり傷んだ木の扉 所在地不明 キュンデカリと浮彫
上部パネルは碑文が失われているがキュンデカリ、下部パネルはキュンデカリでないので全部残っているのか、あるいは後補の浮彫。

別の壁面には木の扉が並んでいて、手前の白い枠野中は幾何学文様の舗床モザイクが展示されている。


建物の入口ではなく、作り付けの棚の扉
イスタンブールのトプカプ宮殿でいうと、最奥部にが建てたバーダット・キョシュキュの作り付けの棚や物入れのようなものだろう。

木の扉 所在地不明 浮彫
珍しく葡萄蔓草だけの何とも優美な浮彫。把手がないのでこれで片側だろうか。

木の扉 所在地不明 浮彫
あっさりした浮彫もいいもんですな。


そして木製の柩が一つだけ。
ルーム・セルジューク朝のスルタンマスウード一世(在位1116-56)の木の柩
説明パネルは、墓は二階建ての長方形の平面で、砕石とレンガで建てられている。墓の一階は、訪問者が訪れる間、遺体を安置するための場所で、西側の開口部から入る。入口は北側に突き出ているという。

一面に高浮彫で植物文様やアラビア文字が彫られている。


イスタンブールで見学できた墓廟の柩は大きくて、布が掛けられていたので木製かどうか知る由もない。先ほど木の扉が展示されていたベヤズィット二世の柩などは、まるで浅浮彫かと見紛うばかりにコーランの言葉と植物文様が刺繍されていた。ブルサのイェシルトゥルベにあったメフメット一世の柩はタイル張りだったので、木製の柩はこれが初見だった。


イスラーム時代の工芸品(19-20世紀)も並んでいたが、撮影できたのは少しだけ。

ドアノッカー

打ち出して細かな文様を線刻した大盆

香炉と蝋燭立て



三彩風の陶器類

三彩だけでなく緑釉も好まれた



象嵌の木製品

奥の櫃を横から
トプカプ宮殿のレワン・キョシュキュ、バーダット・キョシュキュ、そしてハーレムにあったものに似たような細かな象嵌細工の櫃が19-20世紀にも造られていたとは。

ハマムで履く下駄にも象嵌

ほかに豪華な刺繍を施したカフタン




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参考にしたもの
博物館の説明パネル