チョルムからアマスヤまではバスで1時間ほど。 Google Earth より
❶チョルム ❷アマスヤ
トルコ共和国になったとき、アタテュルクは、それまで使っていたアラビア文字を止め、アルファベットを使うことにした。それで「ユ」という発音は「U」の上に「・・」をつけた。
フランス語の culture を kültür にしたのだが、何故 c ではなく k かというと、トルコ語では c は「ぢ」という音に当てはめたからだそう。「じ」ではなく「ぢ」としたのは高橋由佳利氏の『トルコで私も考えた』にそう書かれているから。
⓳最初に入ったコーナーでは棺が並んでいた。ほぼローマ時代のテラコッタ製の棺で、
一階の展示
❷新石器時代、❷❸金石併用時代、❹❺❻❼青銅器時代、❽鉄器時代、❾ヘレニズム時代、➓⓫⓬⓭ローマ時代、⓮東ローマ帝国時代、⓯⓰⓱⓲⓳埋葬の習慣
棺の出土地やオルズ塚の位置 Google Earth より
➋アマスヤ Amasya ➌オルズ塚 Oluz Höyük ❹カイラック村 Kayrak Köyü ➎ギョイヌヂェク地区 Göynücek İlçesi ❻タタール村 Tatar Köyü
しかし、ヘレニズム時代のものが一つあって、しかも青銅製だった。
青銅製棺 前1世紀のヘレニズム時代 タクサヴァ県チャキルミスティギの丘として知られる大きな古墳から出土
説明パネルは、鍛造技術によって作られた現代の浴槽の形をしており、縁近くの四隅に持ち手が四つ付いているという。
バスタブだと思ったら棺だった。背後のイラストには嵩の高い蓋がある。
石碑はローマ時代
⓯中央に両側から見える棺の展示ケースもローマ時代の甕棺など
続いてオルズ塚 Oluz Höyük からの出土品の展示室へ(オルズ塚についての詳しい説明パネルがあったので、その出土品だと思っていましたが、違っているかも知れません)。
説明パネルは、前4500年に遡る歴史を持つオルズ塚の発掘調査は2007年に開始され、現在もイスタンブール大学のシェブケット・ドンメズ准教授の委託を受けて継続中の体系的な発掘調査の結果、オルズ塚における初期報告書によると、五つの主要な文化層が特定されたという。
第1文化層(第1建築層、前2世紀-前1世紀前半)ヘレニズム期
説明パネルは、マケドニア王アレクサンドロスは、前334年にアナトリアにおけるペルシアの支配を終焉させ、マケドニアからアジア、アフリカに至る地域を征服した。この300年間続いた時代は「ヘレニズム時代」と呼ばれ、前30年にローマ皇帝アウグストゥスによって終焉を迎えた。アレクサンドロスは前323年6月にバビロンで亡くなり、彼の世界帝国は将軍たちによって分割された。この時代に、黒海地域にはポントス、カッパドキア、パフラゴナ、ビテュニア王国が出現した。
ヘレニズム時代(後鉄器時代)に遡る。この文化層は、荒削りの石積み住居、街路、幹線道路など、力強い建築伝統を特徴としており、鉄製の兜、砂岩とテラコッタ製の蝋燭、地元から輸入された土器、青銅貨幣などが発見され、注目を集めているという。
骨壺
簡単な幾何学文や鳥などが描かれている。蓋の残っているものも。
上段左:スキフォス
説明パネルは、古代の食事や宴会で飲み物を飲むために広く使用されていた、二つの把手が付いた飲み物用の深い容器という。
次の段右:デパス
広口で頸部がなく双耳の容器
中段右端と下段:家鴨形水差し
古代では油、蜂蜜、水、ワイン、砂糖などの液体を注ぐために使用されていた。口の部分は液体を少しずつ注ぐために考慮された形という。
第2文化層(建築層第2層と第3層、前5世紀-3世紀) アケメネス朝期
説明パネルは、石積み工法で築かれた20mの道路の遺構と2基の石柱の土台は、塚の未発掘部分に重要な建造物があったことを示している。
重要な小遺物としては、ガラス製の印章、粘土製のラクダの頭像を象った祭器、骨で作られた太陽のシンボル、アレクサンドロス大王時代の金貨、アケメネス朝の鉢などがある。
黒海沿岸のカッパドキアには、前301年、ペルシャ系サトラップのミトリダテス一世によって、首都をアマスィヤとしたミトリダテス王国が建国された。帝国の首都は前185年にシノップに移され、前88年にはイズミル・ペルガモンに移された。王国の領土はクリミアからエーゲ海まで拡大した。この王国は前47年のジレ戦争によって滅亡した。この都市で初めて貨幣が鋳造され、貨幣には初めてアマセイアの名が刻まれた。城内には、この王国の最初の5人の王の墓があるという。
仮面
説明パネルは、古代演劇の仮面は、大理石、テラコッタ、土器、青銅など様々な素材が使われており、写実的に作られたものもあれば、誇張されたものもある。
仮面は古代ギリシア演劇において最も重要な要素の一つ。演劇を初めて民衆向けのショーとして用いたギリシア人は、演劇用仮面を初めて使用した。
ヘレニズム時代からローマ時代には死者への贈り物として墓に埋められた。また、ある時代には劇場の入場券としても使われていたと考えられているという。
❽第3文化層(第4、第5、第6建築層、前8-6世紀) フリギア時代
説明パネルは、この文化層では、彩色土器が発見され、特にクズルウルマク流域(ヒッタイト文献ではマラスランティヤ、古代ハリス)で重要な発見物として、女性の乳房の形をした容器やスト像が挙げられる。これらは、中央黒海地域における母なる女神マタル・クビレヤ(キュベレー)信仰の存在を示している。これらに加えて、象牙の印章や鹿の像で装飾された大きなクラテルも重要な発見物であるという。
クラテルはギリシアでワインと水を混ぜた大甕。
中央上:クラテル(ワインと水を混ぜる容器)
頸部のない双耳壺でずんぐりして安定感がある。白地に動物が描かれている。
左下:クラテル
頸部から胴部が大きく張り出し、縦溝が彫られてる。
上 嘴付き水差し
器体はずんぐりしたものになってしまう。やはり嘴の上側は切れているのだろうか。
下 三つ葉の水差し
説明パネルは、その名は、縁がクローバーの葉の形をしていることに由来する。この容器は、古代にはワインを注ぐための液体の計量単位としても使われていたという。
鉄製の剣、轡、鏃など
❹❺❻❼青銅器時代
第4文化層(7・8建築層、前15-13世紀)ヒッタイト時代
さまざまな印章
説明パネルは、新石器時代以降、石や焼き粘土から印章が作られるようになり、個人の所有権、承認、証明、保証といった意味が込められた。楔形文字と象形文字で記されている。
印章に楔形文字が使用されるのは、国王、女王、そして一部の王族に限られる。官吏や公務員の印章には象形文字のみが用いられたが、王族の印章には、象形文字を含む中央を囲むように楔形文字が刻まれている。象形文字以外にも、動物や人物の肖像、植物の模様などが装飾として用いられているという。
土器及び青銅器
説明パネルは、この文化層では、焼け落ちた瓦礫の残骸、青銅製の鎌の刃、テラコッタ製の織機の錘、土器や鍋などの出土品から、オルズ塚がヒッタイトの重要な集落であったことが示されているという。
チョルム博物館で見たヒッタイト時代の嘴付き水差しの器体を少し丸くしたような土器が複数見つかっている。
他には、
右上:献酒器
説明パネルは、宗教儀式で神に捧げられる動物の血やワインなどの神聖な液体を注ぐために使われる特別な形の容器という。
中上:火鉢
説明パネルは、古代において、火鉢は火を起こしたり、中に燃えさしを入れて調理に使われた器具だった。主な用途は調理と暖房で、一部の聖地では祭祀のための神聖な炉としても使われていたことが知られているという。
中段の青銅製槍先
説明パネルは、長い柄と鋭い先端を持つ武器で、刃は一般的に三角形で金属製である。柄は木製であったため、発掘調査では発見されなかったという。
❺嵐の神テシュプの小像 前15世紀 青銅製 アマスヤ県出土
説明パネルは、ヒッタイトの小像の中でも、他に類を見ない希少な作品。空気・天空の神テシュプは、ヒッタイトの神々の最高神であり、嵐の神とも呼ばれていた。下部は、ヒッタイトの後継者によって、以前の宗教的信仰を消し去るために、おそらく切り取られたか、壊されたという。
第5層で最後の文化層(9建築層、前3千年紀) 初期青銅器時代
説明パネルは、この文化層では重要な建造物は発見されなかったが、石製の鋳型、フリント石器、そして特徴的な土器片が出土した。
銅石器時代から前期青銅器時代への移行は途切れることなく続いた。村落や都市において、農業、畜産、建築、織物、そして手製の土器が発展した。赤と黒で下塗りし、壺に白い模様を描くことが一般的になった。金属製の壺のように、表裏が黒、裏が茶色で表が黒、あるいは両面が赤褐色の土器が人気があった。前期青銅器時代の第二期には、中央アナトリアに強力な小国が出現し、国家形成への急進的な潮流が始まったという。
右下は丸いハンマーストーン、穴の開いた部分に木の柄を差し込んで使ったという。
❷新石器時代
粉挽に使う石器
日本では食べるものを煮炊きしていたので、新石器時代に土器が使われるようになったが、粉に挽いて練って焼くのには土器がなくても石器で間に合う地域では土器の使用は新石器よりも遅れると聞いたことがあるが、もっと広い面の石板だと思っていた。
その他の出土品
➓⓫⓬⓭ローマ時代(前27-後395)
青銅製の壺や道具類
上:口の傍にある突起は蓋を取り付けるためか、手で支えるためか。把手が華奢で液体が入っていたら把手で持ち上げると割れそう。
下:鳥のようなガラス器はどこかで見たような・・・中には金箔が入っているようなものもあるが、総じて渋め。
金製品
鳥の絵(鷲?)の指輪
⓮東ローマ(ビザンティン)帝国時代
陶器はビザンティンのものだろうか、私の知る限りではビザンティンの陶器ではない。青銅製の台所道具やブレスレット
展示室への出入口にライオンの石像が。
上に写真パネルもあったけれど、どれにも当たらない。
二階へ向かうところに、
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