お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2025年3月28日金曜日

マフムトパシャジャーミイ Mahmut Paşa Camii


グランドバザールの東方にマフムトパシャジャーミイがある。
イスタンブール 旅する21世紀ブック望遠郷』(以下『望遠郷』)は、1462年に建てられたこのモスクは、イスタンブールにある宰相のモスクとしては、最も古いものである。
マフムト・パシャはビザンティン帝国出身の貴族である。イスラム教に改宗してオスマン帝国の高官となり、コンスタンティノープル征服後宰相に任命されたが、その後失脚し、1474年に処刑されたという。

グランドバザール(カパルチャルシュ Kapalı Çarşı)界隈 Google Earth より
この界隈についてはこちら
トラムヴァイT1号線のベヤズィト駅からチェンベルリタシュ駅の北側
①マフムトパシャジャーミイ ②マフムトパシャ廟 ③旧マフムトパシャ女性用ハマム(焼失後アブドエフェンディ・ハン) ④マフムトパシャ男性用ハマム ⑤マフムトパシャ・ハン(隊商宿 Kürkçü Han) ⑥リュステムパシャ・メドレセ ベヤズィトジャーミイ ⑧グランドバザール ⑨ヌールオスマニエジャーミイ ⑩ガズィアティクアリパシャジャーミイ


新市街のクルチアリパシャジャーミイから旧市街のグランドバザール近くまでやってきた。今回はグランドバザールの屋根歩きという滅多に上がれないツアーに参加するので、その時刻まで自由行動となったので、グランドバザールもいろんなものを売っていて面白いところだが、私はミマールスィナン以前に建てられたマフムトパシャジャーミイを見学することにした。
②ヌールオスマニエジャーミイの門からグランドバザールの入口の一つに繋がっているが、

門をくぐらずに右へ右へ。


マフムトパシャジャーミイ Google Earth より


すると右手にドームが二つ並んでオスマン帝国初期の逆T字型プランのようなモスクが現れた。大ドームの脇には低い位置に小ドームがたくさんあって複雑な構造。
この鉄格子の門は閉まっていたが、


この先の門は開いていたので、①マフムトパシャの墓廟を先に見ることにした。
『望遠郷』は、マフムト・パシャはモスクの庭の霊廟に眠っている。1474年に建てられた見事な霊廟は、八角形の高い建物で、窓が二列あり、ドームには明かりとりはついていない。正面の上部は、輪のモチーフのタイルで覆われていて、全体は真っ青と緑がかった青の色調である。このタイルはイズニックの初期のものと思われるが、イスタンブールではここだけで見ることができるという。
オスマン帝国の古都ブルサにもエディルネにもなかったこのタイル装飾については後日忘れへんうちににて


②ミナレットは古い割にトルコ襞や三角形ではなく、四隅が面取りされて篦のように曲線になっている。


その後、モスクの入口へ。③ソンジェマアトイェリ(時刻に遅れてきた人が礼拝する場所)の柵は開いているが、


④シャドゥルヴァン(清めの泉亭)のある中庭へ回った。中庭といっても回廊もないのだが。

中庭から大ドームは見えない。

中庭は主に近隣の人々の通路として使われている様子。


奥行きのある③ソンジェマアトイェリ


入口上部のムカルナス



このモスクはミフラーブ軸二つの大ドームが礼拝室として並ぶ逆T字型プランで、タブハネのような部屋も複数ある、複雑な構造である。残念ながら平面図がないので、Google Earth の俯瞰写真を借りてつくってみた。
『望遠郷』は、細長い礼拝場は中央のアーチで区切られて、ふたつの部屋は、同じ直径のドームを頂いている。両側には側廊があり、側面の三つの小部屋につながっているという。
❶❷礼拝室 ❶❷の両脇には通路のようなもの ⓐⓑⓒ右のタブハネ(旅行者を無料で短期間宿泊させる施設)ⓘⓙⓚ左のタブハネ ⓔⓕⓖ前室のようなもの ⓓⓗは入らなかった。


入口を入って見上げる。上に見えているのは入口内側のムカルナスで、


続いて横並びに三つの小ドームがあってⓕ中央は曲線の多いムカルナスドーム、

左右ⓔ・ⓖの小ドームは傘状のドームになっている。
傘状ドームといえば、ブルサのイェシルジャーミイ(15世紀初頭)のザーヴィエ(デルヴィッシュ達の宿泊所兼修道場)にあった。


入口を入ったところは、二間続きの礼拝室より三段低いのもT字型プランの特徴の一つ。


❷最初のドームはペンデンティブによる架構
これは後世の補修でスキンチのムカルナスからの架構がペンデンティブに改変されたのではないのかな。外観の写真で明らかなように、正方形から八角形にし、その上にドームがのっているのだから。ペンデンティブならばその必要はないだろう。

ミフラーブ壁礼拝室

❶ミフラーブ前のドームもペンデンティブで架構されているので、やはり後世の補修で改変されたと思われる。


ミフラーブ壁

ミフラーブの頂部はムカルナスではなく、スパンドレルの枠も曲線的。付け柱も2本ずつあったりと、違和感がある。オリジナルだろうか。

ミフラーブのすぐ脇に説教台、礼拝室の隅には透彫のない大理石のミンバル(説教壇)



スルタンのマッフィルもオリジナルではなさそう。バロック様式の時代にでも改築されたのかな。


❶と❷の礼拝室の間の右側アーチ下部には石製のものがあって二つの開口部からⓐⓑⓒのタブハネと行き来できる。

南西のタブハネ
ⓑから見たⓐ
ドームを撮り忘れていたが、ステンドグラス窓の上に水平な線が見えるので、トルコ三角形によるドーム架構だろう。


ⓑドーム 
ペンデンティブで架構


ⓑから見たⓒと側廊


ⓒドーム 
トルコ三角形で架構。イスタンブールにもトルコ三角形によるドーム架構の建物があるのは驚きだった。周囲に水平な線があるので、おそらくⓐのドームもトルコ三角形で架構されていたのだろう。
ドーム頂部に修復前の壁画が少しだけ残っている。


ⓓ写真なし


❷の左にアーチ形の開口部

❶のスルタンのマッフィルの奥にもタブハネへの開口部

左側廊には階段があって、

上がっていくとスルタンのマッフィルに繋がっていた。

ここからはステンドグラスがよく見えたが、古いものではなさそう。

階段を下りて左のタブハネへ。


左のタブハネ群
ⓚドームを階段の下から見上げる。
ここもトルコ三角形で架構されている。

向きを変え、三角形の一部に着色すると、

トルコ三角形で支えられているドーム。


ⓙのタブハネ

ペンデンティブによる架構

ⓘタブハネ
三段のムカルナスのスキンチで、

ドームを架構している、ということはオリジナルに近いドームかも。


以上のように、ドーム架構が外観とは異なるものが複数あった。創建時のドームがスキンチあるいはトルコ三角形で架構されていたとしたら、❶・❷・ⓑ・ⓙは後世にペンデンティブに変えられた可能性がある。ⓔ・ⓕ・ⓖも後世の補修によるもののよう。ⓓ・ⓗは入れなかったので不明。
TDVイスラム百科事典マフムードパシャコンプレックスによると、地震などで被害を受けていて、修復時に改築がたびたび行われたので、元の姿をとどめていないものもあるようだ。それにしても、タブハネが多数あったり、タブハネと礼拝室の間に通路があったりと複雑な構造のモスクだった。
マフムトパシャはビザンティン帝国出身の貴族ということで、元はキリスト教徒で後にイスラームに改宗したため、モスクについては詳しくなかったのだろう。まだイスタンブールにはモスクがほとんどない頃のことだから。エディルネのトルコ三角形や墓廟のタイルモザイクなどは、現地で見てはいないだろう。おそらくエディルネの建築家に造らせたのでは。
そして礼拝室とタブハネの間に狭い側廊を付けるのは、ビザンティン帝国時代のパントクラトル修道院(現モーラゼイレクジャーミィ)に似ている。

「イスタンブール 旅する21世紀ブック望遠郷」 編集ガリマール社・同胞舎出版 1994年 同胞舎出版