お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2025年1月17日金曜日

エディルネ ユチュシェレフェリジャーミイ Üç Şerefeli Camii


エディルネ中心部 Google Earth より
①セミリエジャーミイ Selimiye Camii ②ユチュシェレフェリジャーミイ Üç Şerefeli Camii ③ソコルルメフメトパシャハマム Sokullu Mehmet Paşa Hamamı ④アリパシャチャルシュ Alipaşa Çarşıs ⑤ベデステンチャルシュ Bedesten Çarşısı ⑥リュステムパシャケルヴァンサラユ Rüstempaşa Kervansarayı ⑦エスキジャーミイ Eski Camii 


ミマールスィナン像を見て、ロータリーへ。木々で隠れているが、ユチュシェレフェリジャーミイのミナレットが3本見えている。⑫左の一番高いミナレットに三つのバルコニーがあるので、三つのバルコニーがあるモスクという名称のユチュシェレフェリジャーミイで呼ばれているが、別の名前はブルマルジャーミイ Burmalı Camii で、ブルマルとは捻れたという意味で、それはここからは見えないミナレットの特徴。⑯右側手前のミナレットには石畳状の文様がある。

ロータリーからアタテュルク大通り Atatürk Blv を西へ、ヒュキュメト通り Hükümet Cd.  に入るとまもなくユチシェレフェリジャーミイ。 Google Earth より


⑫三つのバルコニーがあるミナレット
白石の塔身に赤石で菱文繋ぎのような文様があって独特。ほとんど太さが変わらずに下部まで続くがアーチ列の上には浅いトルコ襞がある。

左側にあるのが⑭捻れたミナレットで、これも白石と赤石を使っている。

捻れたミナレットの角を曲がるとモスクの正面に出た。向こうにある⑮ミナレットもバルコニーは一つだけだが、捻れも赤石もない、縦溝だけのシンプルなミナレット。モスクに隠れている⑯四つ目のミナレットは、やはりバルコニーは一つだけで、先ほど見えた石畳状の文様がある。


結局は⑫三つのバルコニーがあるミナレットと⑭捻れたミナレットの間にある⑬中庭の脇入口から入っていった。


平面図 『トルコ・イスラム建築紀行』より
①モスクの正門 ②中庭 ③シャドゥルヴァン ④回廊 ⑤ソン・ジェマアト・イェリ(礼拝の時刻に遅れてきた人が祈る場) ⑥礼拝室正面入口 ⑦礼拝室主ドーム ⑧ミフラーブ ⑨主ドームを支える巨大支柱 ⑩礼拝室両脇のドーム 10-a礼拝室脇の小ドーム 10-b小ドーム ⑪礼拝室脇入口 ⑫三つのバルコニーのあるミナレット ⑬中庭への脇入口 ⑭捻れたミナレット ⑮縦溝のあるミナレット ⑯石畳文様のミナレット
エディルネ ユチュシェレフェリジャーミイ立面図・平面図 『トルコ・イスラム建築』より


『トルコ・イスラム建築』は、エディルネは 首都になって数十年になり、イスラム教徒の人口が増え、集団礼拝のための巨大なモスクが必要になった。それで、ムラト二世(在位1421 -44、46-51)が帝国の首都にふさわしいモスクとして、1437年に建設を開始し1447年に完成したのが、 ウチュシェレフェリ・ジャーミである。建設当初はウル・ジャーミとも呼ばれていたという。オスマン建築の歴史のうえで、後のモスク建築に多大の影響を及ぼした転換点の建築として重要であるという。

入ると、柱廊には小ドームの内側に装飾があった。

横長に柱廊は続き、その外角に⑮縦溝のミナレット


⑤ソンジェマアトイェリにはずんぐりした大理石の単一円柱が並びぶが、風化してきたのか、補強の輪っかが痛々しい。


②中庭には屋根がなく低い③シャドゥルヴァン(清めの泉亭)


中庭の窓上のリュネットにはタイルが嵌め込まれているものもあった。
タイルについては後日忘れへんうちににて


③シャドゥルヴァンと⑥礼拝室入口
柱廊も含めて窓が小さい。

①モスクの正門内側から。
『トルコ・イスラム建築』は、礼拝室空間が主ドームを中心とする集中式モスクの萌芽と考えられる1366年建設のマニサ・ウル・ジャーミのドームの直径は10.8mである。これらに比べ、ウチュシェレフェリ・ジャーミでは主ドームの直径が24.1mと飛躍的に大きくなっているというのに、そのドームが見えないのだった。

中庭に入って左を見上げると、⑯ミナレットの石畳状の文様が少し見えた。


⑥礼拝室入口
上部のムカルナス以外は目立った装飾がなく、大理石の横縞が目に付く程度。

ムカルナスを見上げる。



中に入るとミフラーブ壁が間近にあった。

『トルコ・イスラム建築』は、アーチの上部の六角形から小さなトロンプを介して十二角形を作り、さらに小さなトロンプを多数並べてドームに移行させているという。
巨大なピアの上に三角形をつくってその両側尖頭アーチの足?が出ている。
あ、六角形のピアに控えめなカリグラフィーが。

その上で六角形を十二角形にするトロンプ(スキンチ)は不思議な形をしている。これは入口上のムカルナスの造り方に通じるものかも。

トロンプにもムカルナスにも見えるようなものが円周の下を巡っている。これが装飾ではなく、構造体とは。


主ドーム
同書は、主ドームの直径の大きさに比べ、その高さは28.5mと低く、圧迫感を受ける。主ドームの底部には12個の小窓が空けられているが、入る光は多くなく、礼拝室は明るいとはいえない。また2本の角柱があまりに太く見通しを妨げているので、礼拝室の一体化は十分ではないという。
確かにドームが低い位置にあった。修復を重ねているので、当初の文様かどうか分からないが、様々な植物文様が淡い色彩で描かれている。その外側にはコーランの章句が巡り、窓の位置には縞や丸いものなどの色石を描いた文様帯が巡っている。
ブルサのイェシルジャーミイ(1424年完成、ムラト二世の父メフメット一世が建てた)のドームを支えるトルコ襞の装飾に通じるかも。


ミフラーブ壁には、ミフラーブの上に幾何学文様を華やかに彩色したもの、その左右斜め下の小壁にも、やはりイェシルジャーミイのムアッズィン用マッフィルの絵付けタイルと同じ文様が描かれている。
この壁面の装飾については後日忘れへんうちににて

ミフラーブの壁龕だが、ボトルのようにこちらに膨らんでいるようにも見える。

頂部が独特の形。

ムカルナスの一片一片が蓮の花弁のよう。


ミンバル(説教壇)はほとんど装飾のないもの。

その上のカリグラフィーは、紺色に白色で描いただけのものと、地に植物文様らしきものが描かれたものとがある。

続いて右のピア
同書は、この巨大なドームを6本のピアに掛け渡したアーチの上に載せている。
6本のピアのうち、南側の2本はキブラ壁に、北側の2本は入口側の 壁に組み込まれているので目立たないが、東西の2本は礼拝室の内部にあるので、断面が正六角形で対角線の長さが5.5mのというピアの巨大さが目に飛び込むという。
その後一般的になる両脇の側廊も二階のマッフィルもここにはない。巨大なピアと各尖頭アーチを補強するための木材が2本ずつあることも加わって、奥を見る妨げになっていて、見通せないもどかしさを感じた。


左のピアも同じ。
同書は、主ドームの東西には、直径10.5mのドームが2個ずつ配置され、礼拝室を横に広げ、横幅約64m奥行き約26mの横長の広い空間を創出している。主ドームを6本のピアに乗せ、その両側に2個ずつのドームを配置したプランは、独創的で画期的であった。
主ドームの左右両側にある2個づつのドームとそれを乗せているアーチは、六角形の2本のピアを、右側(南西側)のピアを右側(南西側)から、左側(東北側)のピアを左側(東北側)から押さえ、主ドームが左右両側に拡がろうとするのを防いでいるが、キブラ壁と入口側の壁に組み込まれたピアには、前後の方向に拡がるのを防ぐ強力な支えがない。この力学的不均衡があったためか、1752年の地震で、キブラ壁と左右の小ドーム、主ドームの基部などに損傷を受け、大規模な修理を受けたという。
修復の『トルコ・イスラム建築紀行』にアーチの補強のために木材を2本ずつ加えたのだろうか。見た目にも美しくない。


ピアの向こうに行ってみたところ、天井部の複雑な空間に植物文様が描かれているのに驚いた。
エディルネ ユチシェレフェリジャーミイ立面図・平面図 『トルコ・イスラム建築』より

10-a礼拝室脇の小ドーム

四隅のムカルナスは下描きのままでは?


10-aと⑦大ドームの間に石というよりも折り紙でつくったような壁面、そして六角形の極小ドームが。詳しくは後日忘れへんうちににて


10-b小ドーム

装飾的な曲面のスキンチ


10-bの小ドームと⑦大ドームとの間にできた凹みに極小のドーム(緑色)があった。
詳しくは後日忘れへんうちににて



入口の内側はブルサのイェシルジャーミイにあったものと同じ、扁平なブルサアーチだった。

扉にはキュンデカリ技法


凹凸のある木片は色を変えているだけだろうか。


外に出て、通りに出るとユチシェレフェリジャーミイの向かいに③ソコルルメフメトパシャハマム Sokullu Mehmet Paşa Hamamı があったが、修復中だった。ミマールスィナンが造ったということなので、外観だけでも見たかった。ドームが二つ並んでいるのでチフテハマム(男性用と女性用が二列に並んでいる)。


右の方は柱廊がなく、二階には三つのアーチの中に三角屋根と四角いくぼみという組み合わせの同じものがある。正方形、八角形、そして高くないがドームへと移行している。壁面はレンガと石を交互に積み重ねたビザンティン時代からあったアルマシュクという技法。

こちらは柱廊があって、小さなドームの奥が入口みたい。





関連記事

参考文献
トルコ・イスラム建築」 飯島英夫 2010年 富士房インターナショナル
「トルコ・イスラム建築紀行」 飯島英夫 2013年 彩流社