お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2015年7月27日月曜日
シャーヒ・ズィンダ廟群16 ホジャ・アフマド廟
シャーヒ・ズィンダ廟群の最奥部にはホジャ・アフマド廟がある。第3のチョルタックとの間にトマン・アガ廟やクトゥルグ・アガ廟があるため、見学する人たちで常にいっぱい。
37:ホジャ・アフマド廟 14世紀半ば
『中央アジアの傑作サマルカンド』は、14世紀の半ば頃、クサム・イブン・アバス記念館の北方にホジャ・アフマド廟が建設された。ホジャ・アフマドという人についての歴史的記録は何もない。しかし、彼がサマルカンドにとって、非常に意義のある人であったことは確かである。廟の表玄関は幾何学的な模様で装飾されている。
その廟の左側に、次の言葉が書かれている。「彼の心の美しさによって、彼の墓も幸せで光輝くように」という。
一番外側の付け柱とイーワーン天井は青と白の小さなタイルで文様が構成されているが、ほとんどが浮彫タイルだった。
頂部には繁雑な蔓草文。その下は浮彫の白い8点星の中に絵付け、次は白と青の長方形タイルを交互に並べた文様帯、その内側に一重の渦巻く蔓草を地文にアラビア文字の銘文、続いてトルコ・ブルーのタイルの枠。
枠内にはコバルトブルーの線で仕切られたトルコ・ブルーの植物文。コバルトブルーの線は交差する箇所に卍やXをつくっている。
左右に白色の円文があり、その中に白色の八弁花文、その一つ一つにトルコ・ブルーの花文、中心には白色で十字が表され、その周囲はイスラームでよく見られる8点星との組み合わせとなっている。間にはコバルトブルーで何かが表される。これら全てが浮彫タイルとなっている。
同書は、廟の表玄関のアーチには、ペルシア語で詩が書かれている。「イランのシェイフであっても、中国の皇帝であっても、亡くなれば誰でも地下にいる。では、何のために、この世の中のものや人と親しくなるのであろうか?」という。
トルコ・ブルーのタイルの帯は直線となったところで、2本が捩れ出す。幾何学的な組紐文と呼んでもいいかな。
イーワーン上部は蜘蛛の巣のような浮彫タイルとなっている。
その拡大
なんと、この透彫の幾何学的な組紐文の間にコバルトブルーの花文が入り込んでいるような浮彫タイルは、7点星という、今までにない形のものが、別の文様を構成する組紐が入り込んできて形成されていく。それぞれの紐は立体交差するようよに浮彫、或いは透彫されている。
それはそれですごいのだが、その組紐が青と水色の2色になっている。
その下も浮彫タイル。
こちらは輪郭が白く盛り上がったタイプで、、コバルトブルーの12点星、5点星、トルコ・ブルーで変形5点星と六角形。白で6点星がそれぞれ表されている。
玄関両脇には
白い8点星と12点星、その間を埋める様々な小さな空間が組紐で区切られ、花の形に浮彫されている。
ファサードには内側に付け柱、中央のアラビア文字の銘文は剥落が激しい。
付け柱とその基盤も浮彫タイル。次の組紐文にも白色部分が浮彫。
左側の外はトルコ・ブルーと白色で十字と四角を交互に並べている。
そして8点星の白色浮彫の内側に植物文を絵付けした正方形のタイルが並ぶ。これはオリジナルだろうか。
浅くても浮彫タイルばかりだというのに。
ホジャ・アフマド廟が14世紀半ば建立とすれば、12:アミール・ザーデ廟(1386年)、13:トグル・テキン廟(1376)、14:シャディ・ムルク・アガ廟(1372)だけでなく、クトゥルグ・アガ廟(1360-61)よりも以前に、浮彫施釉タイルは、サマルカンドではすでに完成された技術だったことになる。
内部
同書は廟内には、アーチと二つの入り口のある地下納骨堂があるという。
ドームの下は十六角形にはなっていない。
その下には正方形の壁面の途中からスキンチが出て、あまりはっきりしない八角形となっている。
床には3つの平たい棺が置かれ、その上に、礼拝ならに来た人々の賽銭が置かれている。
側面
二重殻ドームの内側だけ残っているのか、創建時からこのドームだけだったのか。おそらくは二重殻ドームの内側が残っているのだろう。
シャーヒ・ズィンダ廟群は現在ではこのホジャ・アフマド廟が一番奥にあることになっているが、すつの時代のものか、小さな墓がその左に続いている。これが38-40:西方の廟址と呼ばれるものに当たる。
また、上の段に並んでいるのは現在のお墓。
そして、現在のように修復、整備されるまでは、35:トマン・アガ廟の42:西にある瓦礫、41:その奥の建物址と、廟址があったことが、この古い写真からわかる。
『世界美術大全集東洋編17イスラーム』は、15世紀のティムール朝に発達したタイ ルの技法の例は、すべてシャーヒ・ズィンデ墓廟群に見ることができる。イランと中央アジアで完成を見たタイルの技法としては、ティームール朝以前から使われてきたラスター彩と上絵付のラージュヴァルディーナ彩、14世紀後半から15世紀初期に中央アジアで発達したクエルダ・セカなどが継続して使われた。新たに発達したモザイク・タイルは、多様な形のタイル小片を組み合わせて装飾文様を表す技法で、諸技法のなかで最も手間がかかるが、完成度の高いものの美しさは格別である。このほかに無釉レンガと組み合わせて使う施釉レンガ(バンナーイ)などがあるという。
しかしながら、ラスター彩は見つけることができなかった。
シャーヒ・ズィンダ廟群15 トマン・アガ廟←
関連項目
ホジャ・アフマド廟以前の浮彫青釉タイル
ウズベキスタンのイーワーンの変遷
イーワーンの変遷
アラビア文字の銘文には渦巻く蔓草文がつきもの
ラスター彩の起源はガラス
シャーヒ・ズィンダ廟群1 表玄関にオリジナルの一重蔓の渦巻
シャーヒ・ズィンダ廟群2 2つのドームの廟
シャーヒ・ズィンダ廟群3 アミール・ザーデ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群4 トグル・テキン廟
シャーヒ・ズィンダ廟群5 シャディ・ムルク・アガ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群6 シリング・ベク・アガ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群7 八面体の廟
シャーヒ・ズィンダ廟群8 ウスト・アリ・ネセフィ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群9 無名の廟2
シャーヒ・ズィンダ廟群10 アミール・ブルンドゥク廟
シャーヒ・ズィンダ廟群11 トマン・アガのモスク
シャーヒ・ズィンダ廟群12 第3のチョルタック
シャーヒ・ズィンダ廟群13 クサム・イブン・アバス廟
シャーヒ・ズィンダ廟群14 クトゥルグ・アガ廟
※参考文献
「中央アジアの傑作 サマルカンド」 アラポフ A.V. 2008年 SMI・アジア出版社