本日はクレルモンフェランから南のサンサテュルナン聖堂、モンペイルの小さな町、イソワールのサントストルモワヌ聖堂、最後にユソンの小さな町を日帰りで見学に出掛けた。
前日のオルシヴァルやサンネクテールが雪が残る旧火山の山々を見ながらの旅だったが、この日は、クレルモンフェランからイソワールまでの高速道路とそこから分かれた道にある教会や小さな町を見学するという旅だった。
ジョード広場前のホテルから朝ぼらけを眺める。日を浴びていないノートルダムドラソンプシオン司教座聖堂の双塔はやはり真っ黒。
今日も良い天気。
高速道路から外れて丘陵地帯を走っていると、サンサテュルナンの道標が現れた。書物にはサンサテュルナン聖堂と記されているので、サンネクテールのように、有名な聖堂の名が、そのまま町の名前担ったのだと思っていた。
ところが、サンサテュルナンは町の名称で、この聖堂もまた聖母に奉献した教会だった。
横切ってファルジュ通り Rue des Farges という狭い坂道に入った。
ほどなく右手に地獄袋小路 Rue de L'Enfere Impasse というプレートがあり、その名称にこの町の人々の洒落っ気が感じられた。そしてとても地味な西ファサード側が見えてきた。
サンサテュルナン聖堂
フランス・ロマネスク散策のサンサテュルナン(以下フランス・ロマネスク散策)は、1040年頃、クリュニーの第5代修道院長オディロンが、サン・サトゥルナンに小修道院を創設した。この小修道院は、イソワールのサントーストルモワヌ修道院の傘下にあった。聖母マリアを祀った小修道院教会は、1150年頃に完成した。
革命時、教会堂は個人により購入され、このことにより教会堂は破壊による被害を免れた。
19世紀末、修復工事が実施されたという。
白黒交互に配した半円アーチがアクセント。壁面には小さな黒石が並んだ下部と翁切石を積んで、その中に黒い石も混ざる上部とがある。おそらく修復などで時代が違うのだろう。左右の端に扶壁(バットレス)がある。
後陣には周歩廊はあるが放射状祭室はない。右端にちょっと見えるのは翼廊から出入りできる小祭室。
ロマネスク散策は、モディヨンと柱頭の多くは、19世紀の修復の際に置き換えられているという。
雨や曇りの日は色彩が冴えないが、晴天の場合は日陰が暗く写ってしまう。
説明パネルは、この教会はおそらく12世紀の第2四半期に建てられ、オーヴェルニュにある5つの主要なロマネスク様式の教会の中で最も小さい。内陣の周囲に放射状祭室ないことが特徴である。
全体のピラミッド型の形状は、マッシフ・バーロンと八角形の鐘楼(8は無限、永遠の命、または復活を象徴する)が空に視線を導く。
アーケードに関しては、3つで一組となっており、おそらく三位一体を象徴している。
後陣、マッシフ・バーロン、翼廊、側壁に装飾が集中しており、市松模様のフリーズや大きなバラ窓などがある。この地域で一般的な2種類の石、黒い溶岩と赤っぽいアルコーズ砂岩を交互に使用しているという。
その隣にはサントマドレーヌ礼拝堂 Chapelle Sainte-Madeleine
フランス・ロマネスク散策は、礼拝堂は1ベイの単身廊とセミ・ドームで覆われた内陣で構成される。
西ファサードは、シンプルな壁になっている。入口は建物の北面に設けられている。15世紀、百年戦争時に、内陣の上に半円プランの防御の塔が造られたという。
扉は閉まっていた。
この建物は、村の最初の教区教会、或いは1040年に創設されたベネディクト会の小修道院の礼拝堂とされる。
モディヨンは木製ではなく、風化した石製のよう。
そして低いところで四つに幹が分かれるヒノキのよう。明恵上人のように真ん中に坐って瞑想していると、小鳥やリスが遊びに来そう。
17・18世紀には洗礼堂として利用され、更に住居、1844年には学校となっていた。そして20世紀には、展示会場として利用されていたという。
反対側からノートルダム聖堂と一緒に。後陣が一番高く、胸壁のよう。
ロマネスク散策は、礼拝堂は1柱間の単身廊と半ドームで覆われた内陣で構成される。入口は建物の北面に設けられている。
15世紀、百年戦争時に、内陣の上に半円プランの防御の塔が造られたという。
頁岩のような瓦といい、木製のようなモディヨンといい、古びていたんだ雰囲気が味わいがありますなあ。屋根に雑草の花が咲いていたりして味わい深い。
モディヨンは木製ではなく、風化した石製のよう。
そして低いところで四つに幹が分かれるヒノキのよう。明恵上人のように真ん中に坐って瞑想していると、小鳥やリスが遊びに来そう。
西ファサードの慎ましい扉口から堂内へ。
ナルテクスに一歩踏み入れると、古い円柱の上に聖水盤がのっていたり、
ファサードから入ったので、正面に見えたのは身廊と内陣。
南翼廊
やっぱり十字交差部の上は四隅がスキンチ(トロンプ)になっているものの、それが正方形から正八角形へ、そして十六角形へと移行しているようには見えない。
内陣は6本の円柱に囲まれ、その外側に周歩廊が設けられているが、放射状祭室はない。
周歩廊は交差天井内陣へは段があるが、そこにこんな小さな穴が並んでいた。その穴からクリプトが見える。
結構大きな聖堂にもなかった階上廊(トリビューン)がこの小さな聖堂にはある。
聖堂を出て、教会広場 Place de l'Église という名の道へ。教会の続きの建物。この街灯に似合う壁だ。町の史跡のようで、説明パネルがあったが、写すのを忘れていた。
振り向けば泉水と、ノートルダム聖堂。
狭いグルレト通り Rue des Gourlettes を下っていくと、
説明パネルは、この家には15世紀の注目すべきファサードがあり、ドアの上部には3本のバラを伴う山形の装飾が施されたペンダントが取り付けられている。この盾の存在は、そこに住む人々の幸運を証明している。家は城壁の一部に支えられている。
螺旋階段は上の階と深い地下室に繋がっている。家の頂上には鳩小屋があり、その鳩小屋にはこの国の旧家ジャートンの手と名前が黄土色で描かれているという。
残念ながら3本のバラを伴う山形の装飾は写っていない。
行きに通ったヴォールトをまたくぐる。これはポルトデブシュリ Porte des Boucheries ブシュリ門と呼ばれていて、中世の城壁のなごりなのだとか。ひょっとすると、先ほど見たお城の城壁から続いていたのかも。
通路の上が監視人の小屋かな。
この小さな町の街灯の吊り金具、気に入った。
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参考サイト
参考文献