お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2023年10月13日金曜日

サンサテュルナン ノートルダム聖堂 Eglise Notre-Dame de Saint-Saturnin


本日はクレルモンフェランから南のサンサテュルナン聖堂、モンペイルの小さな町、イソワールのサントストルモワヌ聖堂、最後にユソンの小さな町を日帰りで見学に出掛けた。
前日のオルシヴァルやサンネクテールが雪が残る旧火山の山々を見ながらの旅だったが、この日は、クレルモンフェランからイソワールまでの高速道路とそこから分かれた道にある教会や小さな町を見学するという旅だった


ジョード広場前のホテルから朝ぼらけを眺める。日を浴びていないノートルダムドラソンプシオン司教座聖堂の双塔はやはり真っ黒。
今日も良い天気。


高速道路から外れて丘陵地帯を走っていると、サンサテュルナンの道標が現れた。書物にはサンサテュルナン聖堂と記されているので、サンネクテールのように、有名な聖堂の名が、そのまま町の名前担ったのだと思っていた。


ところが、サンサテュルナンは町の名称で、この聖堂もまた聖母に奉献した教会だった。
サンサテュルナンの町の地図 Google Map より 
サンサテュルナンの地図 Google Map より


町の駐車場に到着。三軒続きの建物の Le Bistrot d'ici ここのビストロという店が駐車場への目印。


すぐに大通り Rue Principale があり、もう聖堂の姿が見えたが、


横切ってファルジュ通り Rue des Farges という狭い坂道に入った。
ほどなく右手に地獄袋小路 Rue de L'Enfere Impasse というプレートがあり、その名称にこの町の人々の洒落っ気が感じられた。


壁の石の積み方もこの町独特。


その先でファルジュ通りは右に曲がり、こんな低い尖頭アーチをくぐると、


ちょっとへしゃがったアーチのお店のショーウインドウ。


そしてブシュリ通りへ。坂が急になってきた。

そしてとても地味な西ファサード側が見えてきた。

教会の西ファサードと北面。


サンサテュルナン聖堂
フランス・ロマネスク散策サンサテュルナン(以下フランス・ロマネスク散策)は、1040年頃、クリュニーの第5代修道院長オディロンが、サン・サトゥルナンに小修道院を創設した。この小修道院は、イソワールのサントーストルモワヌ修道院の傘下にあった。聖母マリアを祀った小修道院教会は、1150年頃に完成した。
革命時、教会堂は個人により購入され、このことにより教会堂は破壊による被害を免れた。
19世紀末、修復工事が実施されたという。
サンサテュルナン、ノートルダム聖堂平面図 『世界史の旅 フランス・ロマネスク』より


北翼廊
白黒交互に配した半円アーチがアクセント。壁面には小さな黒石が並んだ下部と翁切石を積んで、その中に黒い石も混ざる上部とがある。おそらく修復などで時代が違うのだろう。左右の端に扶壁(バットレス)がある。
その壁面には大きな木製のキリスト磔刑像があるが、ロマネスク時代のものとは思えない。


後陣に回り込むと八角形の塔と翼廊の屋根との間のマッシフ・バーロンが見えてきた。
後陣には周歩廊はあるが放射状祭室はない。右端にちょっと見えるのは翼廊から出入りできる小祭室。
ロマネスク散策は、モディヨンと柱頭の多くは、19世紀の修復の際に置き換えられているという。


後陣の正面から撮影したいと回ったのに、木とその陰に阻まれた。
雨や曇りの日は色彩が冴えないが、晴天の場合は日陰が暗く写ってしまう。
説明パネルは、この教会はおそらく12世紀の第2四半期に建てられ、オーヴェルニュにある5つの主要なロマネスク様式の教会の中で最も小さい。内陣の周囲に放射状祭室ないことが特徴である。
全体のピラミッド型の形状は、マッシフ・バーロンと八角形の鐘楼(8は無限、永遠の命、または復活を象徴する)が空に視線を導く。
アーケードに関しては、3つで一組となっており、おそらく三位一体を象徴している。
後陣、マッシフ・バーロン、翼廊、側壁に装飾が集中しており、市松模様のフリーズや大きなバラ窓などがある。この地域で一般的な2種類の石、黒い溶岩と赤っぽいアルコーズ砂岩を交互に使用しているという。


その隣にはサントマドレーヌ礼拝堂 Chapelle Sainte-Madeleine
フランス・ロマネスク散策は、礼拝堂は1ベイの単身廊とセミ・ドームで覆われた内陣で構成される。
西ファサードは、シンプルな壁になっている。入口は建物の北面に設けられている。15世紀、百年戦争時に、内陣の上に半円プランの防御の塔が造られたという。
扉は閉まっていた。

ロマネスク散策は、ノートルダム教会に先行して建てられた、マグダラのマリアを祀ったこの礼拝堂は11世紀に遡るとされ、サン・サトゥルナンで最古のモニュメントである。しかしその歴史は解明されていない。
この建物は、村の最初の教区教会、或いは1040年に創設されたベネディクト会の小修道院の礼拝堂とされる。
17・18世紀には洗礼堂として利用され、更に住居、1844年には学校となっていた。そして20世紀には、展示会場として利用されていたという。

反対側からノートルダム聖堂と一緒に。後陣が一番高く、胸壁のよう。


ロマネスク散策は、礼拝堂は1柱間の単身廊と半ドームで覆われた内陣で構成される。入口は建物の北面に設けられている。
15世紀、百年戦争時に、内陣の上に半円プランの防御の塔が造られたという。
頁岩のような瓦といい、木製のようなモディヨンといい、古びていたんだ雰囲気が味わいがありますなあ。屋根に雑草の花が咲いていたりして味わい深い。

モディヨンは木製ではなく、風化した石製のよう。


そして低いところで四つに幹が分かれるヒノキのよう。明恵上人のように真ん中に坐って瞑想していると、小鳥やリスが遊びに来そう。
フランスには杉はないが、ヒノキがあるので、花粉症の私はマスクが外せない日々。

修道士?の石棺



西ファサードの慎ましい扉口から堂内へ。


ナルテクスに一歩踏み入れると、古い円柱の上に聖水盤がのっていたり、

どこかの井戸の枠だったような洗礼盤があったり。



ファサードから入ったので、正面に見えたのは身廊と内陣。

身廊を進んで見上げると、十字交差部の南北翼廊と身廊にダイヤフラムアーチ(横断膜)があったが、東側は壁面で、短い半円ヴォールトの向こうは、内陣になっていた。

南翼廊


やっぱり十字交差部の上は四隅がスキンチ(トロンプ)になっているものの、それが正方形から正八角形へ、そして十六角形へと移行しているようには見えない。

ダイヤフラムアーチの一つ。スキンチの下には小さな三角の台がある。天使か何かの像が掲げられていたのかも。


内陣は6本の円柱に囲まれ、その外側に周歩廊が設けられているが、放射状祭室はない。


内陣の柱頭彫刻はアカンサス由来の葉文様が並んでいる。

周歩廊は交差天井

内陣へは段があるが、そこにこんな小さな穴が並んでいた。その穴からクリプトが見える。


祭室もないのに、クリプトはあるのだった。

柱頭のない円柱群。


小さな窓から入る光を増幅させるように壁に切り込みがある。でもこのステンドグラスは後世のものだろう。

こちらのステンドグラスの方が古いかも。


再び身廊へ。
トリビューンの白黒交互の石で構成された三連の半円アーチ

それに続くトリビューン、そしてこの教会堂唯一の横断アーチ


西ファサード側。
結構大きな聖堂にもなかった階上廊(トリビューン)がこの小さな聖堂にはある。
この聖堂の柱頭彫刻は彫りが控えめなものが多かった。後日忘れへんうちににて


聖堂を出て、教会広場 Place de l'Église という名の道へ。教会の続きの建物。この街灯に似合う壁だ。町の史跡のようで、説明パネルがあったが、写すのを忘れていた。

そして反対側には泉水、その向こうはお城だという。


サン・サトゥルナン城 Château de Saint-Saturnin 
13世紀に建てられたお城で、カトリーヌドメディシス(メディチ家のカトリーヌ)の母がここの城主の娘だったとか。

古い城壁が連なっている。

13世紀ということだが、窓枠はルネサンス様式の十字架。後の修復だという。



振り向けば泉水と、ノートルダム聖堂。


狭いグルレト通り Rue des Gourlettes を下っていくと、

ノートルダム聖堂の西ファサードと八角塔が再び現れて、


フェンスの下の石垣で白いスミレを見つけたり、


黄色いスミレも見逃さなかったり。


そして15世紀の家
説明パネルは、この家には15世紀の注目すべきファサードがあり、ドアの上部には3本のバラを伴う山形の装飾が施されたペンダントが取り付けられている。この盾の存在は、そこに住む人々の幸運を証明している。家は城壁の一部に支えられている。
螺旋階段は上の階と深い地下室に繋がっている。家の頂上には鳩小屋があり、その鳩小屋にはこの国の旧家ジャートンの手と名前が黄土色で描かれているという。
残念ながら3本のバラを伴う山形の装飾は写っていない。


行きに通ったヴォールトをまたくぐる。これはポルトデブシュリ Porte des Boucheries ブシュリ門と呼ばれていて、中世の城壁のなごりなのだとか。ひょっとすると、先ほど見たお城の城壁から続いていたのかも。
通路の上が監視人の小屋かな。 

短いコトグロジャン通り Rue Côte Gros Jean に入り、プランシパル通りに出た。
この小さな町の街灯の吊り金具、気に入った。

プランシパル通りからは別の教会の尖頭が見えた。その手前の黒い玄武岩の石壁の家、屋根の葺き方が独特。

間もなく、最初に通った上り坂のファルジュ通りが現れ、


ビストロディシの前の通路から奥のバスまで歩いて行った。


こんな風に、ロマネスク様式の教会だけを見学するのではなく、町中を散策できて楽しかった。


                           →モンペル- Montpeyroux

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参考サイト

参考文献
「The Treasures of Romanesque Auvergne」 Text :Noël Graveline Photographs: Francis Debaisieux Design Mireille Debaisieux  2010年 Édition DEBAISIEUX