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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2024年5月7日火曜日

ミマールスィナンの建築巡り エユップ ザルマフムドパシャジャーミイ Zal Mahmut Paşa Camii


エユップ地区の地図 Google Earth より
エユップスルタンジャーミイ周辺の地図 Google Earth より

メフメトパペルテヴパシャ廟から南北の通りに出て南に向かっていると、時間の進みと共に参拝者が段々と増えてきた。
エユップ地区の中心から交通量の多い道路を横断し、

フェスハネ通り Feshane Cd.を歩いて行くと、ほどなくザルマフムドパシャジャーミイらしき建物群が見えてきた。

裏門から入ることとなった。


上空からの写真 1577年
モスクと中庭を取り囲むメドレセが手前のメドレセと墓廟よりも高い。
トルコ・イスラム建築紀行』は、このモスクで、シナンは通常のモスクの設計で観察される効果とはまったく逆の効果を試みた。三方に位置する広い回廊は、ドームを支えるアーチと同じ高さ。シナンのほとんどのモスクでは、主要なアーチが窓付きの壁で埋められているか、その上に半ドームが付いているが、ここでは、キブラの壁を除いて、アーチは回廊に向かって開いている。これにより、ドームの効果が弱まり、空間が3面に広がるという。
エユップ 上空から見たザルマフムドパシャジャーミイと複合施設 THE ARCHITECT AND HIS WORK SINAN より

平面図
①モスク ②上のメドレセ ③下のメドレセ ④墓廟
エユップ ザルマフムドパシャジャーミイと複合施設平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORK SINAN より


④ 八角形の墓廟
6本の円柱を伴う柱廊が付いている。残念ながら扉は閉じられていた。
説明パネルは、ボスニア出身のザルマフムドパシャ(1580年没)は、宰相や総督を務めたオスマン帝国の政治家。八角形の平面に八角形の建物、二重のドームで覆われていた。しかし内部はドームを支える4つのバットレスによるイーワーンとなっており、ドームと壁の間の浅く広いイーワーンをカヴェットヴォールト(内側に湾曲した部材)で覆い隠すことで印象的な空間となっている。入口の正面には3つの敬虔なユニットがある。
ザルマフムードパシャと、彼と同日に亡くなったと言われている妻のシャースルタンの木製石棺がある。3番目の石棺の所有者は不明のままという。
イーワーンがあるとは。見てみたかった。

別方向より


③ 下のメドレセの中庭より
モスクが五階建てのように見えるのは、ここ③下のメドレセが②上のメドレセよりも低い位置にあるからだ。

写真中央が階段になっていて、


上のメドレセの中庭へ登っていくと、



② 上のメドレセの中庭
下のメドレセにはなかったシャドルヴァン(清めの泉亭)があった。


そこには体を清めている人がいて、写させてもらった。


① 礼拝室へ 
トルコ・イスラム建築紀行』は、回廊はその跳ね上がる線の高さに達しているため、ドームは高さの効果の一部を失い、人間の手が届くほどに見える。
エディルネカプのミフリマーモスクの場合とは対照的に、回廊の屋根はドームのドラムに届くほど高い。外壁の3列に並んだ多数の窓から光が差し込み、特に上部の回廊は中層よりも明るくなる。これは、中央領域が側面よりも多くの光を受ける通常のコントラストとは大きく異なるという。
ここからは私の身長ではドームはほとんど見えない。


柱廊にも石の透彫やミフラーブがある。礼拝室前にはこのような柱廊があって、ソンジェマアトイェリという、礼拝に遅れてきた人たちが礼拝室の外でも礼拝できる場所である。
ミフラーブに立てかけてある板の用途は不明。

アーチを支える円柱の柱頭は装飾的なムカルナス


礼拝室への入口
木の扉は片方または両方が開かれているが、この幕は重いので、左右から忍び込むように入ることになる。

上のムカルナスは奥行きがない。その下に三つ菊の花のような浮彫があるが、後で聞いた話では蓮華なのだそう。

礼拝室に入る。
多くのモスク同様に修復されているのできれい。
そして、ミフラーブ壁以外の三方にマフフィル(現地ガイドのギュンドアン氏はマッフィルと言った)という特別席が上の階にある。女性たちが礼拝する場所となっていて、アヤソフィアがキリスト教会であった頃も二階が女性席だった。礼拝室のレベルとしては三方が柱廊に囲まれているので狭く見える。

ドームを見上げる。
ここではムスリム以外はミフラーブまで近づけないための柵やロープはなかったので、ドームの真下から撮影できた。
ミフラーブ壁側の壁面と一体化した角柱が2本、入口側にはマッフィルの角に円柱が2本の計4本にペンデンティブが下がってドームを支えている。


ミフラーブはタイルで荘厳されておらず、他のところと同じ石材のまま。縁にはタイルが巡っている。


絵付けタイルはイズニークの最盛期の赤は、他の釉薬と違って盛り上がっている。そのため上絵付けだと思っていたが、2024年1月20日にNHKで放送された「工芸の森 トプカプ宮殿 ~植物文様に秘められた物語~」で、トルコの研究者が釉下彩だと言っていた。


ミンバルも石造で、イスラームの幾何学文様が透彫。



窓が多いので明るい。


ここの窓には控えめにステンドグラスが嵌め込まれている。

このように小さな丸い点々は漆喰細工かと思っていたが、後に漆喰ではないと言われた。石膏だろうか。



見学を終えて適当に金角湾方向に歩いて行くと、幸運なことにT5線のトラムのフェスハネ Feshane 駅に行き着いた。

来た時同様トラムを
エミノニュ Eminönü でT1に乗り換え、一つ先のシルケジ Sirkeci 駅で降り、トラムの線路とは分かれて直進し、前日ピデを食べたホジャパシャピデジシ Hocapaşa Pidecisi と同じアーケードの最初の店、シェフザーデ Şehzade というヂャーケバブ Cağ Kebap だけの店へ。

これは漫画家高橋由佳利氏の『新・トルコで私も考えた 2020』の「スィルケジへ行こう」にあったそのままを注文。
手前が薄い紙のようなパンがのったヂャーケバブ、反時計回りにサラダ、デザートのカダイフ、ヨーグルト、その上アイラン(ヨーグルトを薄めて少し塩が入ったドリンク、肉料理に合うという)。

ヂャーケバブはトルコ東部のケバブで、縦にして回転させるドネルケバブと違って横向きで焼き、そいで切っていくという。横向きにすると余分な脂が落ちるのだそう。
紙のようなパンを開くと、串にさしたケバブが出てくる。串から外してパンをちぎり、肉、タマネギ、ヨーグルトのせて、包んで食べたが、『トル考』ではタマネギだけだった。

これがトルコのヨーグルト、ものすごく濃厚。


カダイフ(細い麺を焼いてシロップに漬けたもの)はチャイと共に。
チャイ用のカップはチューリップ形のガラスカップで出てくる。トルコの国花がチューリップだからなのだとか。
把手はなく、カップの縁を持って飲むと熱くない。




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参考文献
「THE ARCHITECT AND HIS WORKS SINAN」 REHA GÜNAY 1998年 YEM Publication 
「トルコ・イスラム建築紀行」 飯島英夫 2013年 彩流社