Google Earth より
トラムT1号線の通るアレムダール通り Alemdar Cd. に出て下り坂を振り返ると長い行列。巨大なメドゥーサの首が円柱の下にあるので有名なイエレバタン地下貯水池 Yerebatan Sarnıcıへ入場する人たちだ。早朝でもなければ、毎日長々と行列ができていた(角を曲がって奥にも行列は続く)、とずっと思っていたが、イエレバタンは別のところだったことを今頃気がついた。行列の先で建物に入っていく人たちを見かけたことがあったが、こんなに並んで何を見に行ったのだろう。
アト・メイダヌ広場(オベリスクなどのある古代ローマの戦車競技場跡)が、トラムT1号線通りのそばから始まり、通りの名はディワン大通り Divan Cd.に変わる。
右前方に見えるのはモスクではなく、スルタンアブデュルハミド2世(在位1876-1909)の墓廟 Sultan Abdul Hamid Türbe とその時の大宰相アフメットテヴフィクパシャの墓廟 Ahmet Tevfik Paşa Türbe が立派な塀に護られて立っている。
ドスティユクユルドゥ通り Dostiuk Yurdu Sk. へ右折して、ピエールロティ通り Piyer Loti Cd.を渡った小さな広場のガラス張りの建物がテオドシウス2世(在位408-50)の地下貯水池だった。
アヤソフィアの西側の柵に沿って、狭いカフェリエ通り Kaferiye Sk.を下る。人々の往来が絶えない。
その際に灰白色のミリオンタシュ(マイルストーン Milyon Taşı)があったり、左手には遺跡があったり。
正面に聳えるミナーレ(ミナレット)は『望遠郷』によると、 フィルズ・アー・ジャミイがある。この小さなモスクは,バヤズット2世の財政を管理していたフィルズ・アーによって1491年に建てられた。イスタンブールでは珍しい初期オスマン・トルコ建築のモスクである。モスクの隣りにはフィルズ・アー廟があるという。
ところが今ではWCになっていった。
その先をしばらく行くとトラムT1号線のスルタンアフメット駅がある。写真は下って波止場のあるエミノニュ Eminönü や、新市街のカバタシュ Kabataş 方面行き乗り場。
更に前方にある機械で、今後トラムヴァイやバスなどの交通機関を利用する時の istanbul カードを購入した。
そしていよいよ地下へと階段を下りていく。小さなドームを支える円柱を上から眺められる機会は多くはない。
大きさには雲泥の差があるものの、このような建築法が後のアヤソフィアの大ドームに繋がったのだろうか。ペンデンティブはアルメニアからとも言われるが、現在のアヤソフィア以前にアルメニアで建立されたペンデンティブのドームのある聖堂は不明なのだ。
円柱は32本と少ないが、それだからこそできるプロジェクションマッピング。
動画では長々と撮影したのだが、それを文章にするのは難しい。
今でも少し水が溜まっている。
始まったが、静止画はこれだけ。トルコ共和国100周年の記念の年に訪問したことだけは記憶できそう。
ヒッタイトから始まって、アタチュルクまでのイスタンブールの歴史を15分ほど見た。円柱に、壁面に、そして水面にと、様々なものが映し出され、しかも自由に歩き回れて楽しめた。
と、ここまではホテルから歩きづめで良い運動にもなった。この後はバスがお出迎え。ギリットリという2023年のミシュラン認定のギリットリへ向かった。それもツアーならでは。後の自由行動5日間は全て自分の足と方向感覚が頼り。
ギリットリ Giritli は建物は新しいが、二階が出たオスマントルコ風の建物だった。
メゼ(前菜)さまざま
午後はゆっくりとトプカプ宮殿の見学。