お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2024年1月30日火曜日

テオドシウス2世の地下貯水池 ŞEREFİYE SARNICI へ


トルコ語でシェレフィイェ・サルヌチュ、他の国の人にはテオドシウスの地下貯水池と呼ばれるローマ時代の地下貯水槽が新たに公開されていて、そこに向かって現地ガイドのアイシャさんについて行った。
Google Earth より
イスタンブール旧市街中心部  Google Earth より


アヤソフィアの西側の柵に沿って、狭いカフェリエ通り Kaferiye Sk.を下る。人々の往来が絶えない。


トラムT1号線の通るアレムダール通り Alemdar Cd. に出て
下り坂を振り返ると長い行列。巨大なメドゥーサの首が円柱の下にあるので有名なイエレバタン地下貯水池 Yerebatan Sarnıcıへ入場する人たちだ。早朝でもなければ、毎日長々と行列ができていた(角を曲がって奥にも行列は続く)、とずっと思っていたが、イエレバタンは別のところだったことを今頃気がついた。行列の先で建物に入っていく人たちを見かけたことがあったが、こんなに並んで何を見に行ったのだろう。 


せっかくなので、95年にイエレバタン地下貯水池で撮影した写真を。
イエレバタンはユスティニアヌス帝(在位527-565)がつくった。
柱頭は装飾のないものもアカンサスなどさまざま

涙の円柱と呼ばれているもの


そしてメドゥーサの首は逆さにおかれたものと、


横向きのもの。キリスト教時代になると、古代の彫像は貴重な物ではなくなってしまったために、こんなところにリユースされることとなった。



赤い屋根の屋台は焼き栗や焼きトウモロコシを売っている。
IBBというマークの入った黄色い養生に囲まれているのは城壁跡のようなものだろうか。

その際に灰白色のミリオンタシュ(マイルストーン Milyon Taşı)があったり、左手には遺跡があったり。

アト・メイダヌ広場(オベリスクなどのある古代ローマの戦車競技場跡)が、トラムT1号線通りのそばから始まり、通りの名はディワン大通り Divan Cd.に変わる。
正面に聳えるミナーレ(ミナレット)は『望遠郷』によると、 フィルズ・アー・ジャミイがある。この小さなモスクは,バヤズット2世の財政を管理していたフィルズ・アーによって1491年に建てられた。イスタンブールでは珍しい初期オスマン・トルコ建築のモスクである。モスクの隣りにはフィルズ・アー廟があるという。
ところが今ではWCになっていった。


その先をしばらく行くとトラムT1号線のスルタンアフメット駅がある。写真は下って波止場のある
エミノニュ Eminönü や、新市街のカバタシュ Kabataş 方面行き乗り場。
更に前方にある機械で、今後トラムヴァイやバスなどの交通機関を利用する時の istanbul カードを購入した。

右前方に見えるのはモスクではなく、スルタンアブデュルハミド2世(在位1876-1909)の墓廟 Sultan Abdul Hamid Türbe とその時の大宰相アフメットテヴフィクパシャの墓廟 Ahmet Tevfik Paşa Türbe が立派な塀に護られて立っている。

その手前の通りへ左折して
クロドファレル通り Klodfarer Cd.へ

ドスティユクユルドゥ通り Dostiuk Yurdu Sk. へ右折して、ピエールロティ通り Piyer Loti Cd.を渡った小さな広場のガラス張りの建物がテオドシウス2世(在位408-50)の地下貯水池だった。
人の顔をして足のたくさんあるオブジェが場違いな雰囲気。

入場すると、地上階の遺構があったり、

何故か館前にあったのと色違いのオブジェが檻の中に展示されていたり、


外の遺構も見られるようになっていたりした。



そしていよいよ地下へと階段を下りていく。小さなドームを支える円柱を上から眺められる機会は多くはない。

柱頭彫刻は三段のアカンサスの葉で、全て同じ。円柱は金属の装置にがんじがらめ。



これってペンデンティブからドームを導いた、アヤソフィアのドームと同じ架構ではないの? 
大きさには雲泥の差があるものの、このような建築法が後のアヤソフィアの大ドームに繋がったのだろうか。ペンデンティブはアルメニアからとも言われるが、現在のアヤソフィア以前にアルメニアで建立されたペンデンティブのドームのある聖堂は不明なのだ。

円柱は32本と少ないが、それだからこそできるプロジェクションマッピング。


今でも少し水が溜まっている。


始まったが、静止画はこれだけ。トルコ共和国100周年の記念の年に訪問したことだけは記憶できそう。

動画では長々と撮影したのだが、それを文章にするのは難しい。
ヒッタイトから始まって、アタチュルクまでのイスタンブールの歴史を15分ほど見た。円柱に、壁面に、そして水面にと、様々なものが映し出され、しかも自由に歩き回れて楽しめた。

ここにもあのオブジェが置かれている。この施設のマスコット?


と、ここまではホテルから歩きづめで良い運動にもなった。この後はバスがお出迎え。ギリットリという2023年のミシュラン認定のギリットリへ向かった。それもツアーならでは。後の自由行動5日間は全て自分の足と方向感覚が頼り。

マルマラ海沿いの道路からローマあるいはビザンティン時代の城壁跡のトンネルをくぐって、

途中で下車。鉄道の駅があった。かつてはオリエント急行が往来した線路なのに、今ではローカルな列車をたまに見かけるだけ。


ギリットリ Giritli は建物は新しいが、二階が出たオスマントルコ風の建物だった。

メゼ(前菜)さまざま

それを自分のお皿に盛り付ける。トルコ料理が世界の三大料理だと言ったのはトルコ人だったなどと言われるが、美味しい。

続いて出てきたイカのリングフライ。日本で食べるイカとは厚さと大きさが違う。


スズキのグリルも美味しかった。


最後にドンドルマ Dondurma は植物の根の澱粉で作ったアイスクリーム。そしてチャイ。


午後はゆっくりとトプカプ宮殿の見学。

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