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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2018年9月6日木曜日

カオール サンテティエンヌ司教座聖堂


土曜市の広場の北東に⑦カオールのカテドラル(cathédrale、司教座聖堂、教区の中心となる教会で、司教の坐る椅子=司教座がある教会)がある。
最初の殉教者聖ステファノまたは聖ステファヌスに捧げられたこのカテドラルは、Visiter la Carhédrale Saint-Étienneによると、7世紀の司教聖ディディエによって奉献された。広大な建物は12世紀に再建が開始され、主祭壇はローマ教皇によって1119年に捧げられた。身廊は二つの円蓋(右側から見上げるとクーポール=coupole、外側から見るとドーム=dôme)に覆われ、仏南西部では最も大きいという。
12世紀末から、後陣と西側の支壁は、アルビジョワ十字軍の後に南仏に入り込んできたゴシック様式を用いて完成した。内部の建築は一面壁画で覆われ、13世紀末のものが西円蓋や西の支壁に残っている。
内部の改装は17-18世紀に、補強として行われ、深みの礼拝堂の祭壇画、パイプオルガン、トリビューン(階上廊)、説教壇などの目立つところにバロックの要素が入り込んだ。
1870年にグリマルディア司教の後援を受けて、内陣の装飾の修復が行われた時に、二つの円蓋の屋根組が解体されて行われた。
ルピュイからの道(via podiensisとも)で重要な宿泊地のサンテティエンヌ司教座聖堂という。
ファサードではあるが西正面の扉口は閉じられているので、南扉口から入る。
この石積みの三葉形アーチはロマネスク期のものでは。
その上にはレンガ積みによるゴシック様式の尖頭アーチ、更に上にはロマネスクの半円アーチなど、外観からも何度も改築された歴史が感じられる。
中に入って右を向くと、壁画が失われた東円蓋と後陣。
フランスの歴史的建造物 司教座聖堂St Etienne de Caorsは、建物は14世紀に直径18m、高さ32mのドームの重さで崩壊したという。
円蓋は移行部がペンブンティブ(三角曲面)で、今のところコンスタンティノープル(現トルコのイスタンブール)のアギアソフィア大聖堂(6世紀半ば、アヤソフィアとも)が最古。
後陣もゴシック様式。
その天井。ここでもまたトゥールーズの聖堂のように、切石に見えるように赤い線が引かれているのだった。
身廊と後陣を分ける横断アーチには、ステファヌスが石打ちの刑を受け、棺に入れられる様子が描かれている(ピンボケ)。
周歩廊を巡る。小祭室の一つ。
ステンドグラスは19世紀。
西円蓋には頂点にステファヌスの殉教の場面、放射状に預言者などのフレスコ画(13世紀)が残っている。
それについては後日
北側の窓には不思議なステンドグラスが。
これその西下にパイプオルガン、その奥がナルテクス(拝廊)で、西ファサードからの扉口が2つ並んでいる。
ナルテクスにも壁画は残っているが、近くで合唱隊が練習をしていたため、じっくり撮影するのに気が引けた。

回廊へは後陣南側から。

Visiter la Carhédrale Saint-Étienneは、1493-1553年に、アントワーヌ・ルゼシュ司教によって建立された。
ロマネスク期の回廊は16世紀にゴシック・フランボワイヤン様式に取って代わり、キャベツやアザミの葉の装飾で満ちているという。
天井には装飾的なリブ(肋)が曲線的に付けられ、木製の屋根が架かっただけのロマネスク期のような静謐さは求められない。
回廊と中庭はモワサックのサンピエール聖堂のものち比べると格段に小さい。柱にはロマネスク期のような柱頭彫刻はなく、リブの延長に小さな人物像を安置する装置がそこかしこにあるのだが、彫像はほとんどがルネサンス時代に取り外されたという。
運良く残った彫像。

中庭から眺める2つのドームと西構え。
木村尚三郎氏は『中世の街角で』で、回廊から眺めるかぎり、堂々たる威容を誇り、かつて13世紀に法王・国王にも金融し、ノルウェーや地中海東岸(レヴァント)にまで拠点を持った、カオール市の経済力を如実に物語っていたという。
ドーム下の窓には変わったステンドグラスが。これは後世に外から描いたものらしい。
モディヨン(軒下飾り)はロマネスク期のもの。
またしても無理なパノラマ合成。各面は3つの広い柱間を狭い柱間が両端にある5柱間(ベイ)の正方形。
屋根とアーケードの間に隙間があるが、回廊は切石かレンガ積みの交差天井なので、その上に屋根を架けている。

その西正面はゴシック様式だが、のっぺりしている。
フランスの歴史的建造物 司教座聖堂St Etienne de Caorsは、13世紀に建造された西構えはドームの重さで崩壊し、1316-24年ギヨーム・ラブルによって再建された。城館の壁に似て重い印象を受ける。狭い柱間のナルテクスの上には鐘楼が取り付けられ、三重の弧帯の扉口の上にはバラ窓がある。
司教座聖堂はカオールの中心にあって、飾り気のない外観で、要塞でもある。司教はカオールの伯爵や男爵でもあった。という。
小さなバラ窓の周囲には尖頭アーチ形の浅い壁龕が並ぶが、彫像を置くほどではない。
ここにタンパンには彫像があったのだろう。
尖頭アーチ形の窓にはステンドグラス、そして上の眉のような浅い庇には小さな人物の飾り。

食後は自由行動だったので、まずロマネスク様式の扉口は、トゥールーズのサンセルナン、コンクやモワサックと同じ系統の素晴らしいタンパンがあるカオール観光局のVisiter la Carhédrale Saint-Étienneより)という北扉口へ。
北扉口はロマネスク様式
タンパンはキリストの昇天、それとも変容?
詳しくは後日
北面上部
人形のガーグイユ(樋口)
ちゃんと穴が開いている

続いて下部。
周歩廊の小祭室の一つ。モディヨン(軒下飾り)が面白い。
詳しくは後日
東側には小さな庭園。
カオール観光局のサイトの中のLES 25 JARDINS SECRETSによると、花瓶の園と呼ばれているようで、花の色は、白と青は聖母に、赤とオレンジ色はキリストの苦難、黄色と金はキリストの復活へ敬意を表しているという。

建物に囲まれているので、どこから眺めても全体像がつかめない。ここからは後陣の屋根に阻まれて、2つのドームは全く見えない。
そのためか、庭の柵にこんな写真がかけてあった。

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関連項目
サンテティエンヌ司教座聖堂 モディヨン
サンテティエンヌ司教座聖堂 北扉口タンパン
サンテティエンヌ司教座聖堂 フレスコ画

参考サイト
カオール観光局のVisiter la Carhédrale Saint-ÉtienneLES 25 JARDINS SECRETS
フランスの歴史的建造物 司教座聖堂St Etienne de Caors

参考文献
「中世美の様式下 ロマネスク・ゴシック美術」 オフィス・ド・リーブル編 大高保二郎・岡崎文夫・安發和彰訳 1991年 連合出版
「西欧の芸術1 ロマネスク上」 アンリ・フォシヨン 1976年 鹿島出版会 SD選書
「中世の街角で」 木村尚三郎 1989年 グラフィック社