渭川沿いの高速道路G30で武山へ。
ある集落では、敦煌郊外でも見かけたことのある、中国式のハウス栽培が現れた。後ろは土壁で、陽の当たる側をビニールハウスにする。
階段をのぼっていくと、
左上方の壁画に見えたが、浮彫の仏像や千仏だった。
塑造の如来立像は剥落してしまっているが、その痕跡と描かれた光背がその大きさを示している。
鬆が入った柔らかそうな山肌や、
馴染みとなった段々畑が密にある山などを眺めているうちに、
高速道路を出たら鄙びた町だった。
武山へは入らずに、渭川を渡って新しそうな道路を直進し、10㎞先の水簾洞へ向かう。
人は通るが自動車が通らないことも。
高速道路を出たら鄙びた町だった。
武山へは入らずに、渭川を渡って新しそうな道路を直進し、10㎞先の水簾洞へ向かう。
人は通るが自動車が通らないことも。
2019年に道路が完成し、20㎞が8㎞になったという。
この先は階段と石畳が交互にある参道として整備されていて、高度を稼いでいく(というほどでもありませんが😅)
桟道の先には岩の間には楼閣が😧 水簾洞洞窟群第一単元(千仏洞)というプレートがあった。
庇のように張り出した岩に壁画、その下の岩面に浮彫の仏像がある。
水簾洞ガイドの輩さんは、2体の立像の間には坐像の如来と両脇侍菩薩があった、その右には光背のみ残る如来立像があったという。
右の方には如来坐像に花のようなものを捧げる天人が描かれ、その後方も如来の台座が見えるその台座の上には立体像という組み合わせ。
違う方向から庇下には大きな仏立像が浮彫、あるいは壁に貼り付けた塑像だったようで、その光背の化仏が描かれている。水瓶を持った小さな脇侍菩薩は、大仏の腕あたりの位置に造られている。
水瓶を持った菩薩は
輩さんは、これらの仏像群は、一時代前に流行した姿形をしているという。
下側の桟道の下
桟道はといえば、どこにも取り付きの階段がないのだった。下から眺めるしかなかったので、とりあえず写真を写しまくり、後で確認していった。
全ての壁画は左に頭を向ける龍の上にあり、龍の上に獅子がいるという。
千仏が描かれているのだが、もっと大きな仏像も重なるように描かれている。どちらが古いのだろう。
緑色は龕楣の蔓草文様、蓮の葉、中尊の光背などに使われている。小さな龕だが、円柱や柱頭なども彫り出され、丁寧な細工だ。
右下のもっと小さな龕には如来坐像が描かれ、双方とも如来は赤い着衣のよう。
小龕3
供養者は騎馬遊牧民のような服装。
龕には一仏二菩薩像が描かれ、その周囲には供養者が描かれている。
これらの右には比丘たちが大きく描かれているのは、
仏三尊像の光背だけが残る。同心円状の円圏文の頭光だが、中尊の頭光には赤い色で蓮弁、あるいは円形の輪郭だけがかすかに見えて、蓮弁だったのか、化仏が描かれていたのか・・・こんな内側に描かれるのは蓮弁だろう🤔
蓮だけではなく、三葉の水草も描かれているが、赤い花は蓮華?
その斜め上には如来坐像とやはり蓮。自然を描いているようで、仏画としては珍しい。
斜めから眺めると、よく今まで崩れなかったものだと感心するようなつくりかた。蓮台も斜めになっているのが面白い😃
如来は細身の秀骨清像だが、後日見学した炳霊寺石窟169窟の如来立像のような通肩ではない。いつの時代に造られたのだろう。
その斜め上には如来坐像とやはり蓮。自然を描いているようで、仏画としては珍しい。
斜めから眺めると、よく今まで崩れなかったものだと感心するようなつくりかた。蓮台も斜めになっているのが面白い😃
外観同様に内部も古いものではない。仁王の背後には十六羅漢が描かれている。
本尊?は如来というよりは布袋さんに近い😉
楼閣前から眺めた千仏洞
剥落が進んでいても、見どころの多い窟だった。
本尊?は如来というよりは布袋さんに近い😉
関連項目