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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2021年4月6日火曜日

武山水簾洞 千仏洞


朝甘谷を出発前に、ホテルの人たちから、日本人が初めて泊まったので、記念写真を撮りたいという申し出があった。この2倍以上の若い人たちがずらりと並んだ中に、年配の日本人たちが紛れ込んで撮影😊 これは準備中に写したもの。

渭川沿いの高速道路G30で武山へ。
鬆が入った柔らかそうな山肌や、
馴染みとなった段々畑が密にある山などを眺めているうちに、
高速道路を出たら鄙びた町だった。
武山へは入らずに、渭川を渡って新しそうな道路を直進し、10㎞先の水簾洞へ向かう。
人は通るが自動車が通らないことも。

ある集落では、
敦煌郊外でも見かけたことのある、中国式のハウス栽培が現れた。後ろは土壁で、陽の当たる側をビニールハウスにする。
懐かしくなって、何とかカメラに捉えようと夢中に😄

開けた土地から崖に挟まれた世界へ、やがて門の前でバスは停まった。
2019年に道路が完成し、20㎞が8㎞になったという。

ここからは同じバスで川沿いを通っていると、川の水が凍っていた(白くなっているところが凍っている)。


そして最後には河床を歩くことに👣 何故崖沿いの遊歩道ではないのかな🤔?
谷は2方向に分かれ、左手へ向かう。
その前に来し方も写しておく。

岩山の間を進んでいくと、だんだん谷が狭くなってきて、

階段をのぼっていくと、

この先は階段と石畳が交互にある参道として整備されていて、高度を稼いでいく(というほどでもありませんが😅)

そして行き止まりとなり、旗やパオがある、水簾洞という名前とはかけ離れた景観に行き着いた😮

パオを過ぎると、前方の岩の下の方に麦積山石窟のような桟道があるのが確認できた。

桟道の先には岩の間には楼閣が😧 水簾洞洞窟群第一単元(千仏洞)というプレートがあった。
現地ガイドの輩さんの説明では、千仏洞はほぼ壁画。五胡十六国の後秦(羌族、都は長安、384-417)、北魏、北周、隋、唐に造られたという。

左上方の壁画に見えたが、浮彫の仏像や千仏だった。

庇のように張り出した岩に壁画、その下の岩面に浮彫の仏像がある。
水簾洞ガイドの輩さんは、2体の立像の間には坐像の如来と両脇侍菩薩があった、その右には光背のみ残る如来立像があったという。

上の
庇部分には如来坐像が並んでいる。
右の方には如来坐像に花のようなものを捧げる天人が描かれ、その後方も如来の台座が見える
その台座の上には立体像という組み合わせ。
違う方向から

庇下には大きな仏立像が浮彫、あるいは壁に貼り付けた塑像だったようで、その光背の化仏が描かれている。水瓶を持った小さな脇侍菩薩は、大仏の腕あたりの位置に造られている。
水瓶を持った菩薩は

塑造の如来立像は剥落してしまっているが、その痕跡と描かれた光背がその大きさを示している。
輩さんは、これらの仏像群は、一時代前に流行した姿形をしているという。

桟道はといえば、どこにも取り付きの階段がないのだった。下から眺めるしかなかったので、とりあえず写真を写しまくり、後で確認していった。
全ての壁画は左に頭を向ける龍の上にあり、龍の上に獅子がいるという。

下側の桟道の下
円柱で支えられた龕楣のある浅い小龕が4つ残り、ないところには千仏が描かれている。

左上から
千仏が描かれているのだが、もっと大きな仏像も重なるように描かれている。どちらが古いのだろう。
小龕1・2
緑色は龕楣の蔓草文様、蓮の葉、中尊の光背などに使われている。小さな龕だが、円柱や柱頭なども彫り出され、丁寧な細工だ。
右下のもっと小さな龕には如来坐像が描かれ、双方とも如来は赤い着衣のよう。
小龕3
三尊像か五尊像が描かれていたらしい。

一段下がって上は千仏、下に供養者図
小龕4
一仏二弟子像のよう
小龕5
五尊像だろうか。龕楣や内側にも千仏が描かれる。

更に下に供養者図と下に小龕6
供養者は騎馬遊牧民のような服装。
龕には一仏二菩薩像が描かれ、その周囲には供養者が描かれている。

これらの右には比丘たちが大きく描かれているのは、
現在は頭部しか残っていない如来立像を向いている。
如来頭部は眉、瞳、口髭などが黒く描かれている。
頭部だけで73㎝あり、七仏の中尊だという。

如来頭部の右には如来坐像と飛天などが描かれていたようだ。

また、その左側に描かれているのも、光背は描かれるが、姿は剥落してしまった大きな仏像と相対する比丘や菩薩たち。
菩薩や比丘たちは唐代の描かれた特徴が現れている。

七尊像溝の奥のお堂は2年前に焼失したとう。それでお堂が再建されたばかりなのだった。
楼閣への斜路を進んでいくと、

先ほどとは異なる龕が見えてきた😊
仏三尊像の光背だけが残る。同心円状の円圏文の頭光だが、中尊の頭光には赤い色で蓮弁、あるいは円形の輪郭だけがかすかに見えて、蓮弁だったのか、化仏が描かれていたのか・・・こんな内側に描かれるのは蓮弁だろう🤔
蓮だけではなく、三葉の水草も描かれているが、赤い花は蓮華?
その斜め上には如来坐像とやはり蓮。自然を描いているようで、仏画としては珍しい。

斜めから眺めると、よく今まで崩れなかったものだと感心するようなつくりかた。蓮台も斜めになっているのが面白い😃

如来は細身の秀骨清像だが、後日見学した炳霊寺石窟169窟の如来立像のような通肩ではない。いつの時代に造られたのだろう。
これについてはのちほど🤗

その上の描かれた台座の上に坐っているのは如来だと思っていたが、胸飾を着けているので菩薩だった。
輩さんは思惟菩薩像だという。それなら半跏像だったのだ。

そしてこの仏頭。
低い肉髻にこの顔立ちは北周(557-581)だろう。

さて、入れるとは思ってもみなかった楼閣へ。
外観同様に内部も古いものではない。仁王の背後には十六羅漢が描かれている。
本尊?は如来というよりは布袋さんに近い😉

楼閣前から眺めた千仏洞


剥落が進んでいても、見どころの多い窟だった。


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関連項目