ルピュイのノートルダム司教座聖堂の辺りを散歩しようと思っていたので、8時過ぎに部屋の外を見ると、雨も上がって、明るくなっていた。
ホテルを出て最初に目に入るのはこの建物の塔、
プラネドララブ通り Rue Planet de la Rabe に入ると火山岩を使った壁の建物が現れた。
正面左のアーチの並ぶ建物はラファイエット中学校。
その道を行くと鐘楼はみえなくなったので、サンジョルジュ通り Rue St-Georges へ右折
鐘楼だった。この鐘楼はイタリアの教会で多いが、教会の外に独立して立っている。
半円アーチや三葉アーチのあるロマネスク様式のもの。
それで回廊通りを戻って、
その中に小さな扉口があった。教皇の扉口と呼ばれている。
『La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay』は、大聖堂には、正門、または教皇扉口から入るという。
同書は、この楣石には、アルファとオメガを備えたクリストグラムと、有名な初期キリスト教の碑文「SCUTARI PAPA VIVE DEO」が見られる。この言葉は「スクテール、祖国の父、神の中に生きている」と訳せるという。
そのほかに「神の手」が砲弾型と呼ばれる縦溝彫りのものを持ち上げている。
同書は、神の手がポーチ全体を支えているかのような角度になっているという。
昔ルピュイに来た時は、スペインの旅の後だったので、この白赤みのある黒の組み合わせがコルドバのメスキータの赤と白のアーチ群を思い起こされ、イスラームの影響がスペインとはかなり離れたこんなと街にも現れていることに驚いた。モサラベ様式ということを後に知った。
それらを支える柱頭は細長く葉文様も様式下されてロマネスク様式には見えない。円柱や複合柱は格子状の彫りがあるものや、本数は少ないがフルーティング(溝彫り、フランス語ではカヌレ Canelé でお菓子の名称にもなっている)、そして小円柱にはソロバン玉を縦に並べたような装飾もある。
左の建物は司教の館 Palais Episcopalで、15世紀に再建されたルネサンス様式、そし17世紀に修復され、拡張されている。
この立派なポーチには入らないで、フォル広場の脇道に入ってみた。
右の塀、左の壁、アーチの上の切石など、それぞれに使われた石が異なっている。きっと建造された時期が違うのだろう。
そしてこの通りはカルディナルドポリニャク Rue Cardinal de Polignac。
この通りの反対側に下ると、左手の最初の分かれ道があって、
曲がってすぐに要塞の門のようなものが現れた。
カルディナルドポリニャク通りを歩き続けて、左手の狭いロシュタイヤード通り Rue Rochtaillade に入っていった。
窓が縦一列に重なっている感じが面白い。
3階建て程度だが階段塔がある建物があったりして、
その先は緩い階段状の通りが扇状地のように広がり、出てきたのはソヌルリ通り Rue Saulnerie。1階は店舗、上階は住宅になった建物が出てきた。
この先にも丸い階段塔があって、それがペルージュだけの特徴ではないことを知ったが、
この通りも西側へ向かった。
ソルヌリ通りは左に曲がりながら下り坂が続き、
通りの名称はシェヌブトリ通り Rue Chènebouterie に替わって、その先の広場で朝市が立っていた。
プロ広場 Place du Plot の朝市
一般の人々が暮らす建物が、こんなにカラフルだったとは。昔来た時の記憶はない。
ここからクルリ通り Rue Courrerie を東進しいくと、
この先のマルトゥレ広場 Pl. du Martouret でも朝市が開かれていた。
しばらく歩くとホテルを出た時に見えた塔が現れた。
この塔の上の方にヴレ地域のヴェルヴァナ蒸留所兼販売所 Distillerie Magasin de Vent de la Verveine du Velay という文字が並んでいた。
ついついこの塔の方に行ってしまいそうになるが、ホテルは右手。
参考文献
「La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay」Emmanuel Gobilliard & Luc Olivier 2010 Édition du Signe