お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2023年6月2日金曜日

ルピュイ Le Puy-en-Velay 朝散歩1


朝食会場

手早く食べて散歩に出たい、と思ったが、やっぱりもっと食べた。
牛乳の右にあるのはフロマージュブラン Fromage Blanc 


地図(Google Map に加筆)
ルピュイ カテドラル付近の地図 Google Map に加筆


ルピュイのノートルダム司教座聖堂の辺りを散歩しようと思っていたので、8時過ぎに部屋の外を見ると、雨も上がって、明るくなっていた。


ホテルを出て最初に目に入るのはこの建物の塔、

近くのカドラード広場 Place Cadelade は朝市の準備中。


左側の建物の間の狭いサンタガタ通り Rue Ste-Agatha へ。


プラネドララブ通り Rue Planet de la Rabe に入ると火山岩を使った壁の建物が現れた。 

この狭い道には入らないで、ヴェルダン通り Rue Verdin へ左折。


ヴェルダン通りを突っ切ると、


ちょっと広いジェネラルラファイエット通り Rue Général Lafayette に出た。
正面左のアーチの並ぶ建物はラファイエット中学校。

通りから石垣の手前の聖フランシスレジ通り Rue Françis Régis へ。
 

そこは店舗もない居住区で、


続いて7本の剣通り7 épées へ
  

7本の剣通りを行く。

突き当たりのようだが左へ続いていた。


ジュールヴァレ通り Rue Jules Vallès から


狭いジェネラルムートンドュヴェルネ通り Rue 
Général  Mouton Duvernet へ。

道路が割石で舗装され、しかも青の区画や赤の区画に塗られている。その道に導かれて


もっと狭い古い博物館の裏
通り Rue  Derrière L'Andien Musée のアーチをくぐると

円塔のある建物があって右手はどんつき。

その建物と左の建物の間にも道は続いているので行ってみることにした。


するとヴィエンヌ通り Rue de Vienne に繋がっていた。左手を見ると、あっ、ノートルダムデュピュイ司教座聖堂の鐘楼が見えた!



その道を行くと鐘楼はみえなくなったので、サンジョルジュ通り Rue St-Georges へ右折

アーチが並んで宗教施設の外に出てしまうのではと思ったが、


鉄の聖母子像が正面に見えた。


右手は行き止まりだったので、左を向くと鐘楼が。


ここもまだサンジョルジュ通り


トンネルの先にあるのは


鐘楼だった。この鐘楼はイタリアの教会で多いが、教会の外に独立して立っている。
半円アーチや三葉アーチのあるロマネスク様式のもの。

通りを進むと司教座聖堂の扉口から右へと回廊通り Rue de Cloître へと名前が替わった。


左の建物から回廊に入ることができる。

そしてその先には聖母子像。柵があってそれ以上は進めなかった。


それで回廊通りを戻って、

再び鐘楼を眺める。


サンジョルジュ通りのトンネルの手前右手に道がある。それはマネカントリ(聖歌隊席)通りだった。


途中に見えたステンドグラス


その先には



入って見上げると、鐘楼とは違う建物、フォルの玄関 Porche du For 。

その中に小さな扉口があった。教皇の扉口と呼ばれている。
『La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay』は、大聖堂には、正門、または教皇扉口から入るという。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂フォルの玄関の教皇の門 La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay より

同書は、この楣石には、アルファとオメガを備えたクリストグラムと、有名な初期キリスト教の碑文「SCUTARI PAPA VIVE DEO」が見られる。この言葉は「スクテール、祖国の父、神の中に生きている」と訳せるという。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂フォルの玄関の教皇の門 La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay より

そのほかに「神の手」が砲弾型と呼ばれる縦溝彫りのものを持ち上げている。
同書は、神の手がポーチ全体を支えているかのような角度になっているという。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂フォルの玄関飾り La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay より

この建物は、尖頭アーチの内側にはステンドグラスがはめ込まれていたり、柱頭彫刻は植物文様の形骸化したものというゴシック様式。軒下飾り、モディヨンは人や動物の頭部になっていて、ロマネスク様式という、ゴシック様式への移行期のものだろうか。


その先はフォル広場 Place du For。先の低い塀まで行くと、ルピュイの町が見晴らせた。

後ろを振り返ると、フォルの玄関の左にカテドラルの南翼廊、その背後にドーム、そしてカテドラルとは独立した鐘楼。
昔ルピュイに来た時は、スペインの旅の後だったので、この白赤みのある黒の組み合わせがコルドバのメスキータの赤と白のアーチ群を思い起こされ、イスラームの影響がスペインとはかなり離れたこんなと街にも現れていることに驚いた。モサラベ様式ということを後に知った。

内側は3本のリブのある交差天井、外側の飾り迫縁(アーキヴォールト )は半円アーチの弧帯(ヴシュール voussure)がひしめきあっている。

小さな花の浮彫が所々に配される。それよりも外側のアーチを頭を横にして支えているこの人は? アトラス?


それらを支える柱頭は細長く葉文様も様式下されてロマネスク様式には見えない。円柱や複合柱は格子状の彫りがあるものや、本数は少ないがフルーティング(溝彫り、フランス語ではカヌレ Canelé でお菓子の名称にもなっている)、そして小円柱にはソロバン玉を縦に並べたような装飾もある。
左の建物は司教の館 Palais Episcopalで、15世紀に再建されたルネサンス様式、そし17世紀に修復され、拡張されている。


この立派なポーチには入らないで、フォル広場の脇道に入ってみた。
右の塀、左の壁、アーチの上の切石など、それぞれに使われた石が異なっている。きっと建造された時期が違うのだろう。

どこに出るのかやや不安だったが、


カテドラルの聖域内には違いない。


このトンネルを通ると、最後にカラフルな建物が見えてきた。


私が通ってきた狭い通路はモンテデュクロワトル Montée du Cloître 回廊への上り口という名があった。通りのここそこにちゃんと名称のプレートがあるので、地図があれば自分の位置がわかる。
そしてこの通りはカルディナルドポリニャク Rue Cardinal de Polignac。

この通りの反対側に下ると、左手の最初の分かれ道があって、


曲がってすぐに要塞の門のようなものが現れた。



カルディナルドポリニャク通りを歩き続けて、左手の狭いロシュタイヤード通り Rue Rochtaillade に入っていった。
窓が縦一列に重なっている感じが面白い。

3階建て程度だが階段塔がある建物があったりして、


その先は緩い階段状の通りが扇状地のように広がり、出てきたのはソヌルリ通り Rue Saulnerie。1階は店舗、上階は住宅になった建物が出てきた。
この先にも丸い階段塔があって、それがペルージュだけの特徴ではないことを知ったが、  

ロシュタイヤード通りの西側は窓の木の扉や店舗に古びた木製のものが残っていて和む。

この通りも西側へ向かった。


ソルヌリ通りは左に曲がりながら下り坂が続き、


通りの名称はシェヌブトリ通り Rue Chènebouterie に替わって、その先の広場で朝市が立っていた。


プロ広場 Place du Plot の朝市
一般の人々が暮らす建物が、こんなにカラフルだったとは。昔来た時の記憶はない。


ここからクルリ通り Rue Courrerie を東進しいくと、

この先のマルトゥレ広場 Pl. du Martouret でも朝市が開かれていた。

その左奥の4階建ての建物は観光案内所

広場の先はショサード通り Rue Cahussade 


しばらく歩くとホテルを出た時に見えた塔が現れた。

この塔の上の方にヴレ地域のヴェルヴァナ蒸留所兼販売所 Distillerie Magasin de Vent de la Verveine du Velay という文字が並んでいた。
ついついこの塔の方に行ってしまいそうになるが、ホテルは右手。

40分弱の散歩だったが、最後は出発時刻の9時が迫って焦った、いつものことだけど😅



参考文献
「La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay」Emmanuel Gobilliard & Luc Olivier 2010 Édition du Signe