お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2020年4月13日月曜日

ローマ ドムス・アウレア2 黄金の間まで


ドムス・アウレアの平面図
黒いところはネロの黄金宮殿の、ピンクのところはトラヤヌスの浴場の遺構

いよいよ見学開始。トラヤヌス(在位98-117)浴場の遺構XⅦ室からネロ(在位54-68)の黄金宮殿36室へ。
見学の時は、ヴォールト天井が高く暗いので、写真は全滅かもと思いながら写していたが、思ったよりも撮れていた。
この壁の向こうにも同じ高さのヴォールト天井が続いている。

35室から37室へ。土が埋められたままの部屋は53室。
37室のヴォールト天井にも僅かにフレスコ画が残っている。
その下側。中途半端な壁があって奥には立ち入れない。
37室を出て、トラヤヌス浴場の遺構へ。
赤い帯の壁面装飾が。
この先は通行止め。それにしても高い天井。
突き当たりの壁の黒っぽいところに赤い直線的な帯が描かれ、右に部屋(39室か)が続いている。
赤い帯はこの照明された47室にも。
49室へと向かう。
修復中の部屋53室
番号のない室も修復中
左手の壁画
右手は赤いレンガ壁で閉じてあり、そこに映る影は修復工事の機械のもの。

50は部屋というより細長い通路。その南側には照明がない。
天井には第4様式の装飾絵
壁面には立体的に見える建物のだまし絵
一番奥の壁面。同様に、細い浮彫漆喰のラインが建物の角を思わせる。
じっくり見ると壁面はヴォールト天井部分までは達していない。

42室は、地上のオッピオ公園に生えた植物の根が貫通し、崩壊の危険があるという。
この上が柵で囲まれて、オリーブの木を壺に植えたり、芝生のような短い根の植物を植えたりしていたところだ。
説明パネルの右上の図は、丘の上で成長した樹木の根が地中深く伸びて遺構を浸食していることを表している。
左下の2つの写真は、湿度が高くて発生したバクテリアや菌類で黒ずんだ壁画とその修復後に蘇った色彩。
41室の補修状況
44室は補修材置き場?

修復中の45室へ
45室はオデュッセウスとポリュペーモスのニンファエム(泉水)。
以前あったドムス・アウレアのホームページは、最も代表的な部屋は、中庭(20)の軸線にあり、東は広大なホール(44、元は2つの柱廊に向かって開いており背後にニンファエムが控えていた)があった。オデッセウスとポリュペーモスのニンファエムは、自然の洞窟に見せかけていたという。
奥の椅子のように見えるところから水を流して、手前の楕円形または馬蹄形の水盤に水がたまるのだろうが、自然の洞窟ってどんな風になっていたのだろう。
中庭は、日光がさし、柱の並ぶホールの日陰との陰影、(最初に見たスライドより)
そして、ニンファエムの泉水の噴水まで続く、大きな場面展開の効果をねらったものだったという(最初に見たスライドより)
分かり易いように、もうなくなってしまったサイトなので、そこからコピーして彩色した画像を載せると、
手前から20:中庭 40:広いホール 45:オデッセウスとポリュペーモスのニンファエム

左壁の下部は武骨な壁龕が並んでいた。
右壁も同様
四角い穴が等間隔で並んでい。角材を渡して天井にしていたのかな。
その下の赤いフレスコ画。
屋根付きの柱廊に人物がいるような・・・

ヴォールト天井にはフレスコ画は描かれず、表面がザラザラしている。
これについては後日
次の部屋との間の壁にもフレスコ画。

70室へ。ここは変則的な形の部屋。69室への出入口が見えている。
中に入ると、71、74へと開口部が並んでいるのが見える。
70室の左手。壁画がよく残る部屋だが、天井の隅には何が?
近寄って見上げてもわからない。
壁画は途中までしか残っておらず、その下はレンガが露出して・・・床を見てびっくり。
この溝は何?天井の隅の妙な部分と関係があるのかな?

71室へ続くが、
もう少し70室の壁画を眺めてみる。いろんな区画に人物は登場する。

パエストゥムでは、画室墓(前480-470)に飛び込む男が描かれていたが、後1世紀のローマでは、天へと飛翔する人物が描かれている。

71室は壁面に植物の文様が柔らかく描かれている。
ネロにはこんな好みもあったんや。
こういうのを見ていると、壁紙の起源はこんなフレスコ画だったのではと思う。
『世界美術大全集5』は、褐色で枠取りされたいくつかのパネルのなかに鳥が描かれていることから「鳥の間」と呼ばれるこの部屋の装飾は、ストゥッコ地をそのままに残し、わずかな黄色とさまざまな褐色のみによって彩色したこの装飾壁面。
一本の茎から立ち上がりながら途中で左右に蔦を派生させている三枝の燭台のようなモティーフは、これ以前の壁面装飾には見られなかったものである。しかも左右対称に描かれておりながら、細部までその規則にこだわることはなく、筆の走るがままに流麗敏速に描かれている。
精緻かつ装飾過多ともいえるグロテスク風装飾から、余分なものをすべて取り除いた装飾であり、部屋の目的にかなうよう装飾法を使い分けている。そのことがドムス・アウレアの壁面装飾に携わった工房の造形レパートリーの大きさを証明しているのであり、それこそがこの時代のローマ美術の特徴でもあるという。

76室には珍しく青系の色が使われている。
そしてこの床の幾何学文様。正方形と菱形の組み合わせのようで、おそらく大理石の舗床モザイク(オプス・セクティレ)
拡大すると

76室を通り過ぎると、

黄金の天井の間と呼ばれる80室に入るやいなや、黒いボックス形の椅子に見学者たちはどんどん坐っていき、ゴーグルを頭部につけていく。見学の時は遅れがちな我々も慌ててあいた席を探したので、その場面の写真はありません。
そして始まったのは、かつての黄金宮殿の様子のVR。
最初は前ばかり見ていたが、後ろを振り返ると、そこにも映像が続いている。驚いている間に終わってしまったというのが還暦を過ぎたばあちゃんの正直な感想。じいちゃんの方は、メガネがゴーグルに合わず、よく見えなかったとか。ユニヴァーサルな規格だと思うが・・・それとも頭が大き過ぎるとか😎

見終わって初めて天井を見上げる。
南側の様子。
八角形広間の南側には五角形の中庭が広がっていた(見学の最初に見たスライドより)が、土砂でほぼ埋められたまま。
北側は平らな壁面


初めは白っぽく見えていたヴォールト天井だが、段々と色彩が見えてきた。
そして浮彫漆喰の繊細な凹凸も。
外縁部に並ぶ小さな半円形は以外と立体的。
味方によっては平らっぽく見える。
それぞれの区画の縁取りにも、細かな卵鏃文様が。
1538年のフランシスコ・デ・オッランデが描いた水彩画と現在の天井が説明パネルにあった。
説明パネルによると、極彩色で金箔が貼られた天井だったらしい。

ローマ ネロの黄金宮殿・ドムス・アウレア1 見学前のスライドショー
                  →ローマ ドムス・アウレア3 八角形の広間まで

関連項目
ローマ ドムス・アウレア4 出口は西の端

参考サイト
ドムス・アウレアのホームページ(現在はなくなっている)

参考文献
「世界美術大全集5 古代地中海とローマ」 1997年 小学館