お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2018年10月1日月曜日

サンシル・ラポピー1 


ブジエに戻ってバスでサンシル・ラポピーに向かう。

トンネルを出入りして平地に出た。ロット川に架かった鉄橋の続きの線路(廃線)
どんな風に村に入って行くのかなと思っていたら、川向こうにサンシル・ラポピーが見えてきた。
通り越したところで橋を渡る。のんびり過ごしたいような河原。

サンシル・ラポピーの高い場所にある絶壁ポイントで撮影タイム。
手前の新しそうな屋根の色が残念。
崖の下はロット川(Lot)、対岸には平地が広がる。クルーズ船の乗り場は写真の上の方角(西)
右手は絶壁の斜面にある小さな村には、現在暮らしているのは10名いるかいないかだという。しかも、古くから住んでいた人たちではなく、ほとんどが芸術家なのだとか。かつてはアンドレ・ブルトンも住んでいたという邸もあって、それは教会から下に目を降ろしたところに見えている。
地図(『Saint-Cirq-Lapopie/Pech-Merle』より)の番号に従うと、
ペイロルリ門(Porte de la Peyrolerie) 一般人の住宅(Maisons médiévaux de bourgeoisie) フルドヌの屋敷(役場と郵便局 Maison de la Fourdonne) ラポピーの岩(La roche de Lapopie) ⑤カルダイヤク城(Le château de Cardaillac) ドラの屋敷(Maison Daura) サンシル・ラポピー教会(Église Saint-Cirq-Lapopie) サンシル・ラポピー城(château de Saint-Cirq-Lapopie 16世紀) リニョ美術館(Musée Rignault) 船乗りの宿、アンドレ・ブルトンの家(L’auberge des Mariniers、 Maison d’André Breton) カロル広場(Place du Carol) ⑫船乗りの礼拝堂(La Chappelle des Mariniers) ペリサリア通り(Rue de la Pélissaria) ペリサリア門(Porte de la Pélissaria)
ペリサリア門はこのポイントからしか見えなかった。この先は船着き場になっている。
⑦サンシル・ラポピー教会の左奥には⑤城壁が残り、現在は展望台になっているが、かつては安心して暮らせる長閑な美しい村というわけではなかったことを物語っている。
再びバスで移動、サンシル・ラポピーで一番高いところが観光客の昇降場所となっている。ペイロルリ門は背後にあって石積みの一部が残っているだけだった。
下車細い道の先のルー・ボラ(Lou Bolat)で昼食。

ここで初めてアプリコット・ジュース(フランス語ではアブリコになる)が出てきた。この季節ならチェリー・ジュース(jus de cerise)があるだろうと楽しみにしていたのに、最後まで出てこなかった。
だからといってアプリコット・ジュースでがっかりということはない。この後も各地で美味しくいただきました。
大抵蓋付きで出てきて、係の人が瓶を振ってポンと音を立てて蓋を開けてくれる。それが未開封の証なのだそう。
チーズ・マッシュルーム・サラダ菜・トマト・ゆで玉子のサラダ。
各地でパンの種類は違うが、どれも美味しい。珍しく写真に撮っていた。
皮は厚いが中は柔らかい。美味しい、美味しいと次の皿が出てくるまでパンを食べていると、その料理が出てきた時にはお腹がいっぱいで食べられなくなってしまう。
テラス席だったので、待っている間に下の建物を見下ろしたり、
教会の奥に広がる景色を楽しんだ。
メインはスズキのフィレのライス付き。トマトも美味しい。
デザートはアイスクリーム

食後は下へ下へと下りながら説明を聞く。
家屋の下を通って
左折し、⑬ペイロルリ通りへ。
葡萄の蔓に見え隠れしてワイン博物館(MUSÉE DU VIN)の看板あり。
中はお店のよう。梁と漆喰の天井は参考になる。
通りの向こうの上段には観光案内所が見えてきた。
ソンブラル広場(Place du Sombral)に入ってその全貌が見えた。
反時計回りに広場の北方向。右奥に城壁が顔を出している。
左続きに西方向。
右端は石造の十字窓だが、続く2軒は木組み(コロンバージュ)で二階が張り出している。
この辺りが一般人の住宅で、『Saint-Cirq-Lapopie/Pech-Merle』は、広場に面して、13-14世紀の木組み(英語ではhalf-timbered)とアーチのある家々を見ることができる。現状の木の梁は15世紀末に行われた改築の結果である。地上階は、13世紀に市場が設けられたソンブラル広場に向かって開いているが、一番の市場があったドロワット通り(Rue Droite)または大きな道(Grande Rue)にも開かれている。もう一つの側は店舗用の平屋の家々が列をなしているという。
樹木の枝で見えない続きの家。一階はアーチの開口部を塞いだ痕跡。二階はコロンバージュ(木組み)でやっぱり張り出している。
通ってきた狭い道を挟んで古い街並みが残る。右端はソンブラルという名の宿屋


ソンブラル通りの続き。
下り坂には商店というよりは土産物屋が続いているが、この通りには入らず、
観光案内所の傍から城壁跡へ。
同冊子は、ロット渓谷と中世の村を見下ろす狭い岩稜に城塞がある。13世紀から要塞はラポピー家、カダイヤク(Cadaillac)家そしてグルドン(Gourdon)家の3領主によって共同統治されてきた。16世紀にはもっと利便性の高い場所へという家々の賛成によって放棄されたという。
城壁の上はお城。今では広々とした空き地。
正面はサンシル・ラポピー教会、その右側は監視塔かな。
左奥に進んでロット渓谷を眺める。
ここでまた無謀なパノラマ合成。ロット川が極端に蛇行してしまった。

ラポピーの岩
冊子は、オクシタニー語の岬を意味するポパ(popa)が12世紀に変更された。主塔と領主の居住区の基礎は、市壁に囲まれた防備を固めた町の門と共に残っているという。
川に張り出した崖の上がもうすぐ。
岩だけで足りない部分は切石を積んである。
不揃いな切石が積まれている。
表面の切石が剥がれたところや
切石ではなく近くにあった石で間に合わせたような箇所も。

番高い所まで来て来し方(西のブジエ方面)を写す。オミナエシに似た花、いやセリ科のフェンネルだった。
花については後日
時が止まったような現在の村。園は以後には豊かな森。
上流方面。
左にロット川の堰、中央下の方にサンシル・ラポピー閘門
堰(蛇行している?)の付近も絵本のような村が。
サンシル・ラポピー閘門も。

ちょっと下の別方向から。
ソンブラル広場に面した古い家並み
ソンブラル通りの家並みのつづき
もう少し広範囲のパノラマ合成。狭いが墓地も見えている。
少しずつ移動して写しているので、家並みも少しずつ違って見える。
十字形の窓はルネサンス期のもの。
城跡から下りて城壁に沿って教会方面へ向かう。
城跡で見た時は監視塔に見えたところ。監視塔の螺旋階段でもあったのかな。
何とかアーチ形の開口部を造っている。下の方は石が大きく、上の方は小さな切石が多いのは、古い石垣を後世高くしたということかな。
同冊子は、ロマネスク様式に倣った扶壁(バットレス)のある主塔(天守)。13世紀初頭-14世紀の要塞の以前の中庭内側に建てたもので、カルダイヤク家のものと比定されている。ルイ11世、シャルル8世そしてアンリ4世の攻撃によって徐々に放棄される以前の15世紀に改築されていたという。
もう少し下には半アーチや尖頭アーチの開口部がある。
町の方に目を移すと、ちょうど墓地があった。
そしてその続きの家並みは教会の下側にある。

やっとサンシル・ラポピー教会へ近づいた。
しかし近すぎて全体を写せない。
教会の前から町を眺める。
どのサイトだったか見つけられないが、左が15世紀のリオズュ-ヴィネルの家、地下室のうえに地上階(日本風には1階)、と一階(日本風には2階)と屋根裏部屋がある。廊下で別の新しい家と繋がっている。屋根はオーク材の骨組みで支えられ、そのトラスは桁で結合した2つの合掌と反り返った陸梁(小屋梁)でできている。一階には16世紀の縦仕切りのある窓が開かれ、石材の刳り形があるという。
中央の通りで挟まれた家は、
その先

冊子は、この教会はサンシル(Saint-Cyr、サンシル・ラポピーという地名の起源)とその母聖ジュリト(Sainte Julitte)に奉献されている。聖シルはキリスト教徒で最も幼い殉教者(3歳くらい)である。聖アマドゥールはその遺物をフランスにもたらした。
ゴシック様式の教会堂は、以前のロマネスク様式の小教区教会の上に1522年から建てられ始めた。13世紀の壁面の残存部分と共にアカンサスの葉が残っているという。
wikipediaは、聖ジュリト(ジュリエットとも)はカッパドキアカエサリア(現カイセリ)出身で、子供とキリキアのタルソスで4世紀に殉教したという。


南扉口
入ってすぐに洗礼盤。足は何を借用したものだろう。
北(川側)に後陣
右の小礼拝室は変則的な造り。
小冊子は、小礼拝堂の一つは聖カトリーヌ、木材旋盤工の守護聖人に捧げられているという。
wikipediaは、アレクサンドリアのカタリナは4世紀初頭に、ローマ皇帝マクセンティウスによって殉教したという。
なるほど、その後陣にはロマネスク様式らしい半円アーチの窓がひらかれていて、付け柱の頂部にアカンサスの柱頭が残っている。
半ドームには壁画が残っているが、天使らしき者が2名いるくらいにしかわからない。下の文様帯には人物の登場する絵もあるようだ。
もう一つの祭室。
目を引くものはないが、リブの起拱点に人面などの装飾があった。
教会の東側に回ると、先ほどの東小礼拝室が出っ張っていた。
ここからはロット川と右端にサンシル・ラポピー閘門が見えた。
次のクルーズ船は方向転換してブジエへと戻るところ。
レストランのランチョンマットに城跡から教会にかけての写真があった。

ブジエからサンシル・ラポピーへクルーズ←     →サンシル・ラポピー2

関連項目
サンシル・ラポピーで咲いていた花

参考にしたもの
「Saint-Cirq-Lapopie/Pech-Merle Great Tourist Sites in Midi-Pyrénées」という冊子