お知らせ

イラン・フランス南西部のオクシタニー地方の旅行記に続いて、南イタリアの旅に入りました。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2008年10月27日月曜日

竹田城跡2 大手口から天守へ

北千畳から南千畳が見える。南千畳には背の高い松の木が並んでいる。
竹田城跡の図はこちら  大手口(門ではなく口というらしい)から城内へ戻っていく。左前のくぼみは、城外からの通路。 三の丸から弐の門へ。本丸の石垣に人がいる。 二の丸へ。ここの石垣の石は大きいなあ。 二の丸から本丸へ。石段ではなく、坂道になっている。
それにしても、石垣に草がたくさん生えている。閑谷学校の石垣とはえらい違いや。駐車場の説明板は、竹田城遺構の見せ場は石垣にある。この石垣は構築技法からみて、穴太(あのう)積みを採用している。穴太積みとは、近江国(現滋賀県)坂本を中心に発達した石垣構築法の総称であるが、積み方から言えば野面(のづら)積み石垣といえよう。野面積みとは、加工をほどこさない自然石をそのまま積んだもので、すき間が多く、一見して粗雑に見えるが水はけがよく、崩れを防ぐ。
竹田城の場合、石垣が築かれてから約400年経つが、一部の復元箇所を除いて当時のままの姿を今日に伝え、石積みのもつ深い味わいはたとえようもない
という。 坂を上がって本丸の裏を眺める。奧殿を通る人々や、花屋敷が見える。 やっと本丸(高見殿)に着いた。天守以外にはなにもない。 天守へは梯子で上るしかない。当時も梯子を使っていたのだろうか。 天守から北翼を眺める。思ったよりも高低差がある。そしてこちらが南翼。 竹田城の縄張りは、最高所の天守台をほぼ中央に置き、本丸以下、二の丸・三の丸・南二の丸が梯郭式に配され、大手口を防御する枡形部に沿う北千畳郭と搦手口のある南千畳を双翼とし、さらに、天守台の北西部には花屋敷と称する一郭がある。
また、城郭の周囲には現存の石垣より古い時代の遺構である竪堀(たてぼり)も確認され、複合遺構として今後の総合的な調査・保存が必要となっている。
規模は南北約400m、東西約100mである
という。古くから、要衝の地やったんやね。

※参考文献
駐車場の説明板(平成元年 和田山町観光協会)