お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2023年5月5日金曜日

リヨン サンマルタンデネ教会 L'Église romane Saint-Martin d'Ainay 


リヨンの地図
リヨンの地図 LYON TOURISME ET CONGRÈS より


昼食後自由行動になったので、メトロに乗ろうとベルクール広場 Place Bellecour へ行ったが、降り口が見つからない。通りがかりのマダムに尋ねると、
どこまで乗るの?
一駅先のアンペール・ヴィクトルユゴ Ampère-Victor Hugo です
たった一駅なら歩きなさい。もったいない

この駅の名前は、アンペアという名称の元になった人と、作家のヴィクトルユゴーに因む。
時間が節約できるかと思ったが、それもそうだ。 
広場からオーギュストコント(社会学者)通り Auguste Compte を南へと向かった。

歩いているときは歩行者専用通りだと思ったが、写真を見ると車が結構往来している。
そしてマスクをしている人はいない。

外にテーブルを出しているカフェもあったけれど。

正面にガラス張りの建物が見えてきた。

どうもペラシュ駅 Gare de Lyon-Perrache らしい。


駅に着く前にランパ
ール・デネ(エネ城壁地帯)通り Rue des Ramparts d'Ainay で右折。アンペール広場にメトロの駅があった。
広場が終わって通りの向こうに郵便局(昔はPTT ペーテーテーと呼んでいた)があったので、絵はがき用に切手を買っておいた。

次の角で教会らしき建物が見えてきたので、東側の通り、アデライド・ペラン Rue Adélaïde Perrin から眺めた。
右の建物はゴシック様式の尖頭窓、左の建物はロマネスク様式で、後陣の窓などの開口部が半円アーチ。後陣には祭室はなさそうで、窓と窓の間の扶壁(英語ではバットレス。バットレスと聞くと北岳の岩壁を思い浮かべてしまう)。フランス語ではコントルフォール  contrefort で、建物が倒れないように支えているのがひしひしと伝わってくる。

後陣の向こうの四角い塔は十字交差部の光を取り入れるものだろうか。大抵は八角形なのだが。コンクのサントフォワ教会も八角形だったし。


その続きにはレンガ色で描いてあるのか、レンガを使って装飾してあるのか分からないようなものがあった。

その南側にも風変わりな建物が。


角を曲がるとエネ修道院通りという標識があった。


鐘楼が姿を見せたが、これもあまり見ない形だ。


半円アーチのタンパンには浮彫があるが、これは教会の入口ではない。


タンパンはロマネスク様式のものではない!



そして、バジリク・サンマルタンデネ教会 Basilique St-Martin d'Ainay の西正面
いろんなところを写しているのに、ファサードを1枚に写していなかった。

なので『LYON L'ÉGLISE SAINT-MARTIN D'AINAY』より
サンマルタンデネ教会西正面 『LYON L'ÉGLISE SAINT-MARTIN D'AINAY』より

平面図
①鐘楼付玄関廊 ②後陣 ③12世紀のタンパン(コピー) ④身廊(天井は1836年) ⑤側廊、柱頭は12世紀 ⑥光採りの塔のある交差部 ⑦内陣 ⑧後陣 ⑨聖ミカエル礼拝堂(15世紀) ⑩聖ヨゼフ礼拝堂(後陣の柱頭は12世紀) ⑫聖母礼拝堂 ⑬聖ブランディヌ礼拝堂とクリプト ⑭聖ペテロ礼拝堂 ⑮会議室の西壁
リヨン、サンマルタンデネ教会平面図 『LYON L'ÉGLISE SAINT-MARTIN D'AINAY』より

ゆっくりと見て回り、さらに、思ってもみなかったことに、3時から説明を受けながら見学(visite Guidée)した。
詳しくはこちらとこちら

 身廊はモノリス(ドラムをつないだものではない)のずんぐりした円柱が並んでいた。どれも渦巻きのある植物文を浮彫にしているが12世紀のもの。

身廊の床手前のテッセラを直線的に並べたものは凸凹になっている。この方が古そう。


 身廊両側の円柱を見ながら内陣へ
南側廊の付け柱の上には人像がある。聖人だろう。

 北側廊の付け柱の上にも人像が掲げられてる。


⑧ ロマネスク様式の時期からはだいぶ時代が下がる後陣のフレスコ画。
聖ブランディーヌ、聖クロチルド、聖ポティン、聖マルティンに囲まれるキリストと聖母 図(H. フランドリン、1855 年)

 外から見えた四角い塔の下は扁平なドームになっていて、やはり時代の下がるフレスコ画が描かれていた。ラメール(Lameire 1889年)作。

身廊と側廊のヴォールト天井のフレスコ画も古くはない。


 聖ヨセフ礼拝堂 19世紀

古風なデザインに見えるが19世紀のもの。
十字架の下のアカンサスから蔓草が渦巻くのは、アレクサンドロスが育ったマケドニアの都ペラですでに出現している。

洗礼堂 19世紀 

四隅のペンデンティフからドームを架構している。


⑬ 聖ブランディーヌ礼拝堂とクリプト(地下礼拝堂 11世紀)
午後の光で明るい。

クリプトには座り込んで熱心に祈りを捧げている人がいたので降りるのを控えた。




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参考文献
LYON L'ÉGLISE ROMANE SAINT-MARTIN D'AINAY」 2016年 Édition Lyonnaises d'Art et d'Histoire