クレルモンフェラン中心の地図
中央より右下に「サンジェニデカルム聖堂」は「サンジュネデカルム教会」の間違いです(訂正するのが大変なので😅)
そしてロベルテュ通り Rue Robertus に入って向かったのは先ほど鐘楼が見えたロマネスク様式のノートルダムデュポール聖堂。
遠目では黒く見えたノートルダムデュポール聖堂の鐘楼は、ここからは割合明るい色に見えた。今まで見学したどの教会よりも後陣と街の建物が近すぎるので、後陣の全体を把握できなかった。
でもオーヴェルニュ地方のロマネスク教会に共通するマシフ・バーロンがあったし、軒下飾り(モディヨン)や柱頭彫刻、色石のモザイクなどが満載!
後日忘れへんうちににて
ただし、八角形の鐘楼について『図説ロマネスクの教会堂』は、交差部塔はオーヴェルニュ派の定番であるが、残念ながらこの教会堂の ロマネスクの塔は15世紀の大地震で倒壊し、その後資金不足で再建されず、19世紀になって建造されたものであるという。
後陣で感じた通り、大きな聖堂ではない。『世界史の旅 フランス・ロマネスク』(以下『フランス・ロマネスク』)がオーヴェルニュ地方の主要なロマネスク様式の教会五つの平面図を比較した図によると、二つ目に大きい。街の大きさと教会堂の大きさは比例しないということ。
身廊の途中にある入口にはタンパンに屋根が架かっている。
この聖堂で一番みたかったものがこのタンパン。楣石ではなく切り妻屋根型というか、五角形というか、これまでにも見てきた形である。
左側廊 ものすごいピンボケ
洗礼盤
右側廊
十字交差部
『図説ロマネスクの教会堂』は、全長50m、身廊幅 (ピアの芯々で)6.1m。身廊の高さ18m。現存するオーヴェルニュ派の教会堂の中では中程度の大きさ(最大のイソワールは全長70m、最小のサン・サチュルナンは34m)であるが、平面の形式はほとんど同じである。すなわち、4つの放射状祭室をもつ周歩廊と、東向きの小アプシスを一つずつ備えた単廊の袖廊をもつという。
翼廊は袖廊ともいう。
身廊から内陣
十字交差部のダイアフラム・アーチ(アルク・ディァフラグム arc diapgragme 横断膜) には三連アーチが開かれている。
『図説ロマネスクの教会堂』は、トリビューンをもつ広間式教会堂で、身廊には、横断アーチのないトンネルヴォールトが架かる。身廊壁面は大アーケードとトリビューンの二層構成で、クリアストーリーを欠くために間接採光にしかならず、堂内は非常に暗いという。
身廊から西ファサード側
一番上にもダイアフラム・アーチがある。
このようなアーチは、初期のキリスト教会に見られる勝利門に似ている。平天井だったので、文字通り「門」に似た形が、内陣の前に、天井とアーチによって構成されている。
十字交差部
四隅の扇形アーチ(トロンプ、スキンチ)
同書は、交差部はスクリーンアーチで仕切られ、スキンチのドームを載せるという。
そして内陣にも聖書などの場面を表した物語の柱頭彫刻が並ぶ。
同書は、内陣は放射状祭室付周歩廊内陣で、その地下にはクリュプタをもつという。
これについては後日忘れへんうちににて
周歩廊の外側はの柱頭にもアカンサス由来の葉文様の他に人物の登場する柱頭彫刻がある。
内陣の脇にはクリプトへの階段
クリプトの天井から下がったアーチを支えるのは二本一組の細めの円柱で、それぞれアカンサス由来の葉文様が刻まれている。
祭壇近くの円柱には柱頭はない。透彫の柵の影が壁面に映っていい感じ。
クリプト中央祭壇にはロココ時代と思われる非常に装飾的なの聖母子像があった。
結局のところ、この聖堂も西ファサード側に回らなかった。
ファサードの画像はフランス・ロマネスク散策 Balade dans l'Art Roman en France のバジリク・ノートル・ダム・デュ・ポール Basilique Notre-Dame-du-Port de Clermont-Ferrand にあります。
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参考サイト
フランス・ロマネスク散策 Balade dans l'Art Roman en France のバジリク・ノートル・ダム・デュ・ポール Basilique Notre-Dame-du-Port de Clermont-Ferrand
参考文献
『世界歴史の旅 フランス・ロマネスク』 饗庭孝男 1999年 山川出版社
「図説ロマネスクの教会堂」 辻本敬子・ダーリング益代 2003年 河出書房新社