お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2023年9月29日金曜日

クレルモンフェラン ノートルダムデュポール聖堂 Basilique Notre-Dame du Port , Clermont-Ferrand 


サンネクテールで濃厚なチーズフォンデュを堪能した後、昨日通った高速道に入って、クレルモンフェランへ。


クレルモンフェラン中心の地図
中央より右下に「サンジェニデカルム聖堂」は「サンジュネデカルム教会」の間違いです(訂正するのが大変なので😅)
クレルモンフェラン中心の地図 Google Map より


街に入ってロマネスク様式のノートルダムデュポール聖堂の鐘楼が見え、


続いてゴシック様式のサンジュネデカルム教会 Église Saint-Genès des Carmes の細い塔と尖頭アーチの窓が見えた。


途中でホテルに寄ってくれたので、チーズを部屋の冷蔵庫に入れて再び出掛けた。街を外回りする道路で、ドリーユ広場 Place Delille でバスを降りた。



そしてロベルテュ通り Rue Robertus に入って向かったのは先ほど鐘楼が見えたロマネスク様式のノートルダムデュポール聖堂。
遠目では黒く見えたノートルダムデュポール聖堂の鐘楼は、ここからは割合明るい色に見えた。


この歩道橋?をくぐると、


見えたのはやっぱり後陣



今まで見学したどの教会よりも後陣と街の建物が近すぎるので、後陣の全体を把握できなかった。
でもオーヴェルニュ地方のロマネスク教会に共通するマシフ・バーロンがあったし、軒下飾り(モディヨン)や柱頭彫刻、色石のモザイクなどが満載!
後日忘れへんうちににて
ただし、八角形の鐘楼について『図説ロマネスクの教会堂』は、交差部塔はオーヴェルニュ派の定番であるが、残念ながらこの教会堂の ロマネスクの塔は15世紀の大地震で倒壊し、その後資金不足で再建されず、19世紀になって建造されたものであるという。


南翼廊には小祭室


下の大きな半円アーチと、何故かその中心を外した細長い窓。ペディメントにも色石の幾何学門文様のモザイクがある。


南側廊の外側と西ファサードの塔
後陣で感じた通り、大きな聖堂ではない。『世界史の旅 フランス・ロマネスク』(以下『フランス・ロマネスク』)がオーヴェルニュ地方の主要なロマネスク様式の教会五つの平面図を比較した図によると、二つ目に大きい。街の大きさと教会堂の大きさは比例しないということ。

身廊の途中にある入口にはタンパンに屋根が架かっている。


この聖堂で一番みたかったものがこのタンパン。楣石ではなく切り妻屋根型というか、五角形というか、これまでにも見てきた形である。
この型の楣石についてはこちら

しかしこの扉は閉まっているので、入口はこちらから。

ナルテクスに続く柱間にあるのは黒い玄武岩の扉口、ここだけゴシック様式。ここから堂内へ。


平面図
『図説ロマネスクの教会堂』は、全長50m、身廊幅 (ピアの芯々で)6.1m。身廊の高さ18m。現存するオーヴェルニュ派の教会堂の中では中程度の大きさ(最大のイソワールは全長70m、最小のサン・サチュルナンは34m)であるが、平面の形式はほとんど同じである。すなわち、4つの放射状祭室をもつ周歩廊と、東向きの小アプシスを一つずつ備えた単廊の袖廊をもつという。
翼廊は袖廊ともいう。
クレルモンフェラン ノートルダムデュポール聖堂平面図 『世界史の旅 フランス・ロマネスク』より


身廊から内陣
十字交差部のダイアフラム・アーチ(アルク・ディァフラグム arc diapgragme 横断膜) には三連アーチが開かれている。
『図説ロマネスクの教会堂』は、トリビューンをもつ広間式教会堂で、身廊には、横断アーチのないトンネルヴォールトが架かる。身廊壁面は大アーケードとトリビューンの二層構成で、クリアストーリーを欠くために間接採光にしかならず、堂内は非常に暗いという。

トリビューン(tribune 階上廊)の三連アーチと柱頭彫刻。

身廊から西ファサード側
一番上にもダイアフラム・アーチがある。
このようなアーチは、初期のキリスト教会に見られる勝利門に似ている。平天井だったので、文字通り「門」に似た形が、内陣の前に、天井とアーチによって構成されている。
初期のものではないが、ローマのサンタプラッセーデ聖堂(9世紀)にも勝利門が残っている。おそらく補強のための装置のなごりだろう。

左側廊 ものすごいピンボケ

洗礼盤


右側廊



十字交差部
四隅の扇形アーチ(トロンプ、スキンチ)
同書は、交差部はスクリーンアーチで仕切られ、スキンチのドームを載せるという。


北翼廊と南翼廊にはダイアフラム・アーチの外側に
1/4円アーチの空間がある。


そして内陣にも聖書などの場面を表した物語の柱頭彫刻が並ぶ。
同書は、内陣は放射状祭室付周歩廊内陣で、その地下にはクリュプタをもつという。
これについては後日忘れへんうちににて

周歩廊の外側はの柱頭にもアカンサス由来の葉文様の他に人物の登場する柱頭彫刻がある。


内陣の脇にはクリプトへの階段

内陣の左右に階段がある。
クリプトの天井から下がったアーチを支えるのは二本一組の細めの円柱で、それぞれアカンサス由来の葉文様が刻まれている。

南階段から入って左手には木製の柩が置かれていた。

クリプト中央祭壇にはロココ時代と思われる非常に装飾的なの聖母子像があった。

祭壇近くの円柱には柱頭はない。透彫の柵の影が壁面に映っていい感じ。



結局のところ、この聖堂も西ファサード側に回らなかった。




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参考サイト

参考文献
『世界歴史の旅 フランス・ロマネスク』 饗庭孝男 1999年 山川出版社
「図説ロマネスクの教会堂」 辻本敬子・ダーリング益代 2003年 河出書房新社