お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2019年4月1日月曜日

カルカソンヌ サンナゼール聖堂


サンナゼール聖堂近くのオテル・ド・ラ・シテ(Hôtel de la Cité)は19世紀にネオ・ゴシック様式で建てられたという。
落ち着いた色調で、奥には書棚が並び、
広間の端に木製の階段があり、エレベータよりも便利だったので、何度もこの階段を上り下りした。いつも急いでいたので、タピスリ(英:タペストリー)をじっくり鑑賞することもなかったが。
二階から三階への階段。ここにもタピスリが掛けられていた。
二階の廊下の先にもタピスリ。突き当たりを右へ。
その先が外から見えた空中廊下だった。両側は斜格子の窓ガラスが入っているが、町中で見かけたガラス窓ほど古くはなさそう。
階段を降りた廊下にもタピスリが。石造りの建物は寒いので、分厚い織物を壁に掛けたという。フランスではゴブラン織りが有名だが、カルカソンヌではトリアノン織りなのだそう。
廊下にドアが見えないのは、対になった部屋の入口が窪んで作られているからだ。その切り込みに2つずつ灯りがあるのはそういった仕掛け。
部屋は広くはなかった、というよりもベッドが大き過ぎ。

本日の昼食はホテルのレストラン、バルバカヌ(Barbacane)で。
少し時間があったので、庭に出てみる。
すると、城壁の監視塔に人がいた。
手入れの行き届いた庭には、ゆったりとしたソファがそこここに置いてある。
反対方向に目を移すと、アチャ~、例のものが間近に・・・
絡まった蔦が下向きに伸びる。

何時の時代に描かれた絵だろう。監視塔には屋根がない。
頑丈な市壁の外ではアーケードのある建物が川べりに並んでいた

そろそろ食事。
シンプルな配置
屋根は梁が並び、縦線だけだが深い格天井のよう。シャンデリアは飾りではなく実用的。左のガラスのある告解室など、司教館の雰囲気が残っている。
まず運ばれてきたプレートには、アミューズが3種類
グリンピース(プティ・ポワまたはポワ・ヴェール)が旬のよう。
カニ肉と野菜のゼリー寄せ
カニの苦手な私でも食べられました。
カレイの蒸し煮黒米添え ここにもポワ・ヴェールが。
火を通しすぎず、結構でございました
赤い果実とラズベリーのソルベ
デザートは別腹に
おまけにマーブル文様のマカロンとフィナンシエまで
カフェ(エクスプレス)と共に戴きました。

その後すぐ隣のサンナゼール聖堂へ。
写真では西正面が右の高い壁。見えているのは北面

サンナゼール聖堂ロマネスク様式の教会にゴシック期に拡張された部分があるという。
『LA CITÉ DE CARCASSONNE』は、北面は、12世紀前半に遡るロマネスク期の部分(身廊と鐘楼)と1269年に建立が始まったゴシック期の部分(翼廊と内陣)を見分けることができる。この建物の集合は13世紀半ばから15世紀末まで行われ、ラデュルフ(Radulphe)司教、ピエール・ド・ロシュフォール(Pierre de Rochefort)そしてピエール・ド・ロディエ(Pierre de Rodier)の葬儀用礼拝室であるという。
平面図(教会南側の修復工事の図面より)

全体図(ヴィオレ・ル・デュクの水彩画より、1844年)

ロマネスク様式の身廊北側の扉口1
外側の飾りアーチにだけX字形と蔓草文様の浮彫
モディヨン(軒下飾り)左端から
人間とも怪物とも見分けられないような顔が並ぶ。欠失箇所のために本来の顔よりも異様に見えてしまう
続いて人間、犬かライオン、その次は蔓草のよう
舌を出す人間、動物、頭部のなくなった人間の上半身
頭部だけのものや全身がほぼ丸彫りのライオンなど
左ヴシュール(飾りアーチ)の柱頭アカンサスもあれば動物が彫られているものも
右側。アカンサスの葉の間に人が顔だけ出したり、胸から飛び出ていたり

入ったのはゴシック様式の扉口2から。二段に出っ張った様子がよくわかる。
北面には尖頭アーチの扉口とその上にバラ窓、3つの扶壁(バットレス)の間に尖頭アーチの細長い窓が2つ。
ゴシック様式ではガーグイユや、上部の透彫装飾は華やかだが、飾りアーチの柱頭は二段の植物文様となり、
一番内側の尖頭アーチは、両端に天使が現れる以外はやはり植物文様だけ。矩形の開口部の上端に彫刻がある程度。
北翼廊の扉口から入ると南のバラ窓がまず見え、狭くて身廊の奥行の記憶がないなと思っていたら、修復のためか、養生シートで覆われていた。
南翼廊のバラ窓
南翼廊の壁面に嵌め込まれている石の椅子の浅浮彫(13世紀)
同書は、おそらくアルビジョワ十字軍の戦闘場面を紫表していて、1218年のトゥールーズの椅子、あるいはシモン・ド・モンフォール(Simon de Monfort)の最初の墓の断片かも知れないという。
この旅行に行くことを決めたとき、せっかくなのでカタリ派の人々が立てこもった要塞の残る山などにも行ってみたいと思ったが、コンクなど一部の町を除いて、訪れた各所でアルビジョワ十字軍で破壊されたという話が残っていた。

ロマネスク期の身廊とゴシック期の内陣
太い円柱には円形の柱頭が、複合柱の細い円柱にはコルベイユのある柱頭がのっている。
同書は、身廊は尖頭ヴォールトで、2本の狭い側廊は正半円ヴォールトとなっているという
リブ(肋)で装飾された尖頭ヴォールトの柱間が3つ、その奥が一番奥の明るい交差ヴォールトが十字交差部にあたる。
その十字交差部から内陣方向
ステンドグラスには2種類ある。
同書は、内陣中央(この写真では右端)のステンドグラスは13世紀のもので、キリストの生涯(キリスト伝)を表している。その両側は16世紀のステンドグラスという。
南翼廊から内陣と北翼廊
小礼拝室には聖母子像、上のステンドグラスも古くなさそう。
北翼廊のステンドグラス

同じ扉口から出て後陣側に回ったが、通りが狭いので上部の様子が写せなかった。
遠望するとこんな風に見えるらしい(同書より)が、内陣の出っ張りがほとんど分からない。
南面に回ると、今度は司教たちの葬儀用礼拝室のおかげで本来の聖堂の姿がよくわからない。
翌朝の朝散歩で、コンタル城の北側にあるサンジャン広場(Place Saint-Jean)から後陣が左を向いた姿をとらえることができた。

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参考文献
「LA CITÉ DE CARCASSONNE」 François de Lannoy 2008 Éditions du patrimoine Centre des monuments nationaux