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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2020年2月20日木曜日

ローマで朝散歩1


ローマではテヴェレ(Tevere)川の西岸、トラステヴェレ(Trastevere地区に宿泊。
トラステヴェレとは、テヴェレ川の向こう側という、ローマの中心地区から離れたところだが、対岸にアラ・パチスやアウグストゥス廟があって私には好都合。朝散歩で外側だけでも見ようと出掛けた。

テヴェレ川で停泊している船や水鳥が泳ぐ静かな風景。
まだ明け切らない空の下、カヴール橋(Ponte Cavour)の向こうでは、警官が大勢いて何やら物々しい。
その上たくさんの自転車が同じ方向へ走っているなと暢気に眺めていて、近づいてやっと気付いた。街中で自転車レースをしているのだ。そう言えば今日は日曜日。
自転車レースもさることながら、デモなどで交通規制が各所である。以前に来るはずのバスが来なくてローマ中を歩くはめになり、大変だった😤

アヴスタ河岸通り(Lung. in Augusta)に沿って歩けば、人も車もまばら。サン・カルロ・アル・コルソ教会(17世紀)の前に低い石垣が続いて、その先にモダンな建物が👀
地図ではこれがアラ・パチス(Ara Pacis Augustae)🦔
『世界美術大全集5』で、アラ・パチスがガラス張りの中にあることは知っていたが、こんな建物とは。
閉まっているが中に照明が灯っている。
ガラス越しに覗き込むと確かにアラ・パチスだ。Ara Pacisの読み方は、昔はアラ・パキスだったが、現在ではアラ・パチスとなっている。

『世界美術大全集5』は、この祭壇がなぜ建造されるに至ったかは、アウグストゥスの遺書ともいうべき『神君アウグストゥスの業績録』に「ヒスパニアとガリアの属州で幸運な成果をあげてローマに帰ったとき(前13年)、元老院はわたしの帰還に敬意を表し、マルス公園に「アウグストゥスの平和の祭壇」をささげることに決めた」と明記されている。
完成した平和の祭壇は中央に供義のための祭壇が設けられ、その周囲、つまり境内の輪郭に沿って高さ役4m、の周壁がほぼ正方形に巡らされた(正面11.64m、側面10.62m)という。
祭壇への正面入口は西壁中央にあり、
東壁にも同じ形の開口部があるという。 
周壁外側の腰羽目に相当する部分は、アカンサスから立ち上がる葡萄と蔦の蔓が左右対称に何本も精巧な浮彫で表され、そのところどころに蠍、蜥蜴、蛙、それに小鳥の巣を狙う蛇や蔦の上に羽を広げてとまる白鳥が配されている。白鳥はアポロの聖鳥で、アウグストゥスを意味するという。
蔓草文様は別の面にも見られるが、動物たちは見つけることができなかった。
腰羽目と周壁上端の軒飾りの間には、神話的象徴的場面と、儀式の行列場面とが表されている。正面(西面)と裏面(東面)が神話的象徴的場面で、南北側面が行列場面であるという。
上下を仕切るのはギリシア請来の卍繋文
あっ、あんなところに白鳥が👀
周壁内側の葉綱飾りの緻密なこと。その葉綱は牛の頭蓋骨に留められ、次の葉綱へと続いている。
木漏れ日がガラスに反射して、これ以上は見られない。
テヴェレ川に沿った通りに戻る。初秋の静かな朝。
でも自転車レースはまだ続いていた。

アラ・パチスの東側に回る。
アウグストゥス廟が楽しみだったが、修復中だった。
想像復元図
この上に円錐形のドームがあったという。完璧な半球ドームができるのは、ハドリアヌス帝(118-128)が再建したパンテオンからである。
説明パネルは、ローマ帝国の崩壊後、コロンナ家が要塞化したが、市民たちによって崩された。
その後、1354年、ローマの最後の護民官であるコーラ・ディ・リエンゾが、アウグストゥスの地で火葬され、墓廟に埋葬されたという。
他にも想像復元図があった。
『ローマの昔の姿と今の姿を徹底的に比較する!』は、霊廟は高さがおよそ44mで、外側が四角の台部に円筒形の本体が建てられていた。円筒部は、内部が数階になっていて、アウグストゥス帝のブロンズ像を支える柱の役目をしていたという。
それならば、これが一番近いのでは。 

フェンスの中には入れなかったが、こんな風に中が見えるようになっている。
高さ42m、直径90m。同心円状の建物に円錐形の建物だったという。
ところどころ残っている大理石の板。

盗まれてしまったのか・・・
現在復旧作業中!イタリアの歴史的建造物の歴史を紐解くVRサイトがOPENというページによると、20世紀中頃から放置されてしまったため、荒れ果てている。
現在このアウグストゥス廟の修復に取り組んでいる同国の非営利団体・Fondazione TIMは、多くの市民にその歴史を知ってもらうため、特設サイトThe History of the Mausoleum of Augustus』を開設しましたという。
通って来たカヴール橋。

かけ始めた月とまだ朝日の当たらない街。
せっかくなので上流側のレジーナ・マルゲリータ橋を渡って帰ることに。
カモメや
カモはもう目覚めている。
家屋のような船があちこちに。
いや、船ではなさそう。
通りの向こうの建物はロイヤル・ボート・クラブ
マルゲリータ橋へ。
上流側にも動かない家屋のような船が多い。

渡りきって北側の自由広場

その向こうの一風変わった建物は、ウズベキスタンの大使館だった。

              →ローマ トラヤヌス帝の市場と広場

関連項目
ローマで朝散歩2
渦巻く蔓草文はキリスト教美術にもイスラーム美術にも
円形平面から円錐ドームを架ける
パンテオンのドームができるまで

参考サイト
世界建築巡りアラ・パチス
現在復旧作業中!イタリアの歴史的建造物の歴史を紐解くVRサイトがOPEN
The History of the Mausoleum of Augustus

参考文献
「世界美術大全集第5巻 古代地中海とローマ」 1997年 小学館