お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2021年6月15日火曜日

炳霊寺石窟へ  


蘭州の街を外れて郊外へ
高速鉄道の和諧号があっという間に過ぎ去って行った。



劉家峡ダム
こんな奥地の小さな町にも高層住宅がどんどん建てられている。
『仏のきた道』は、黄河は中流で黄土高原を流れるとき、大量の黄土を削って「水1斗に泥6升」といわれるほど黄濁した流れとなるが、上流の蘭州あたりの流れはまだ青い。
蘭州市を出て西南へ75㎞、約1時間で劉家峡ダムに着く。劉家峡ダムは海抜1700mの高所で、黄河の本流をせき止めてつくられた水力発電用の大人造湖である。このあたりは永靖県と呼ばれているが、かつて五胡十六国時代に鮮卑族の乞伏氏が建国した西秦の都永靖の故地であるという。
奥地とは失礼しました😑

この時は上流が凍結していて、ダム湖の水位が下がっていたので、船は出ていなかった。やっぱり😥
「渇水期は炳霊寺石窟に近寄れない」などとガイドブックや旅行社のパンフレットに載っていたので、足を踏み外して落ちる心配の他に、炳霊寺石窟の見学ができるかどうかという不安もあったのだ。
しかし、ガイドの丁さんは言った「今はモーターボートで行くので、どんなにダムの水が少なくても炳霊寺石窟まで行けます」
とはいうものの、またバスでかなり先まで行くことになった。道路は山の間にあるので、劉家峡のダム湖は全く見えない。


乗船場は何箇所かあるらしいが、一番先の乗船場まで行った。

モーターボートに乗って、
土の堆積したダム湖の底にゴンゴンと当たりながら進んで行くのだった。
カイツブリかな?
左手にはダム湖の中に黄砂が堆積して陸ができている。
右手の方は山も見え、赤い砂浜が続いた。
モーターボートはゴンゴン飛ばしながら一目散に炳霊寺石窟へと向かって行ったが、
安定感はあったので、慣れると景色に気を取られていた。
車窓を楽しんでいるつもりでも、モーターボートがあげるしぶきでこんな風に写ってしまった😁
それでも写し続ける😆

モーターボートはできるだけ深いところを選んで進んで行く。


崖の際に近づくと迫力がある。
地層の重なりまで見えて、プチ・グレートネイチャーの世界😄

尖鋒が現れ、

同書は、途中見える両岸の風景は、一木一草もない岩山が湖面に投影し、洮河が黄河と合流するあたりでは湖の色は翡翠のような濃い緑色を見せる。やがて奇峰、怪岩が林立する小積山に入る。剣の林のような風景の中でひときわ高く聳える姉妹峰と呼ばれる岩を大きく右に曲がると炳霊寺石窟のある大寺溝の谷が見えてくるという。

ぐるりと右に回り込んで、

船が停まったのは、尖峰が門のように立ちはだかって見えるところで、これが大寺溝。


なんという景色😍
ヤマザキマリさんが出演していたNHKの番組では、この山々にチラチラと雪が積もっていて、ドローンで撮影すると、そんな山々が屏風のように幾重にも重なっていて、何とも言えない光景だった。ドローンが出来てから景色の映像が様変わりした🤗
私はずっと以前から麦積山と炳霊寺は行ってみたいところだったが、夫はこの番組を見て、特にこの山々の景色が気に入って、ツアー参加を決めたくらいだった。
『中国石窟芸術 炳霊寺』は炳霊石林と呼んでいる。それについては後日
上流側

麦積山石窟を見学した日は寒くて雪が降るくらいだったが、もっと寒いと思っていた炳霊寺は、風もなく、ポカポカと暖かかった。山に雪がかかっているのを期待してきたにもかかわらず😅

石窟まではしばらく歩くことになる。



同書は、炳霊寺は古来シルクロードに入る旅人が必ず渡らなければならない黄河の渡河点として有名であった。長安からのシルクロードは南北二路あったが、長安から渭水に沿って、天水、臨洮を経て、黄河を渡って青海省から祁連山脈を越えて河西回廊に入る路は南ルートであった。その黄河の渡河点にあったのが炳霊寺であった。かつての西秦の都永靖は炳霊寺付近であったといわれ、西秦の乞伏乾帰(きっぷくかんき)は義熙年間(405-18)に渡河点に「飛橋」をつくったといわれ、後代の人が橋の脇に「天下第一橋」と刻んだ石碑を建てたと伝えている。今はその石碑もダムの底に沈んでいるという。
そう、劉家峡ダムは黄河の本流です。

あの尖峰とこちら側の崖の間に大寺溝がある。

なにやらロシア正教会のタマネギ形の塔のような・・・ここだけ岩の色が鮮やか😃
やっぱり紅砂岩😃

炳霊寺の門をくぐり


岩壁に沿った道を行くと、先ほどの尖峰と、その奥の峰が迫ってきた。


同書は、炳霊寺石窟は黄河の北岸、小積山の大寺溝の岩壁に長さ2㎞にわたって分布している湖に浮かぶ石窟寺院である。最も石窟が密集しているのは下寺溝の西岸で、南北350m、高さ30mの岩壁に、西秦、北魏、北周、隋、唐の岩窟が184ある。大小の石仏679体、塑像が82体、壁画約900㎡が現存する。
炳霊寺は小積山の奇景の中にあるため、古来から神仙や霊異僧の住む霊地とされ、魏晋時代には「唐述窟」と呼ばれた。唐代には「龍興寺」、宋代には「霊厳寺」などと呼ばれたが、チベット族が侵入してからは、チベット語で「弥勒十万仏」あるいは「千仏」を意味する炳霊寺と呼ばれるようになった。
炳霊寺の仏像の最も大きいものは27m、最も小さいものは約20㎝ほどであるという。

参道は高低差はないものの、左右にカーブしているので、大仏がもう見えてしまった
あっけないなあ😆

それでもなかなか大仏には近づけない。

奇岩の続く崖があり、
自然にできたものなのか、人が住まうために造ったものなのか分からない。


別の支流に架かる橋を渡って、

やっと石窟の入口に着いた。


今回も麦積山石窟同様、足早に見ていくので、じっくり見たい私は遅れがち😥
窟内の情報や仏像の計測値などは『中国石窟 永靖炳霊寺』(以下『永靖炳霊寺』)より
炳霊寺石窟3-14窟 『絲綢之路石窟芸術叢書 炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

3窟 盛唐(713-766)
説明パネルは、平面方形平天井、南側の壁には上下両側の龕に仏像が安置されている。窟内中央には唐代に宝形造の屋根と木造の組物を表した石塔がある。
窟内四壁と石塔の表面に密教的な題材の壁画が描かれた。塔の背面にには「大明・・・嘉靖・・・」という題記があるという。
石塔は、盛唐期ではまだ組物が簡素であったことを示す貴重なものである。現存する唐代の寺院建築は、五台山の南禅寺大仏殿仏光寺大殿だけなので。
北壁
南壁

南壁の下側仏龕 一仏二菩薩像 盛唐


最初に見たものは、炳霊寺に対して私が持っているイメージとは全然ちがうものだった。さて、これからどんな窟があって、どのような仏像が見られるのだろうか。
対岸より見た炳霊寺石窟の入口と3窟


関連項目
炳霊石林と大寺溝
  
参考文献
「中国石窟芸術 炳霊寺」 甘粛省炳霊寺文物保護研究所編 2015年 江蘇鳳凰美術出版社
「仏のきた道 中国の仏教文化を探る」 鎌田茂雄 1997年 PHP新書
「絲綢之路石窟芸術叢書 炳霊寺石窟第169窟 西秦」 鄭炳林主編 2021年 安徽美術出版社 装丁もおしゃれ🤗