お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2007年4月16日月曜日
銀閣寺の庭を見直した
今年関西で最初にソメイヨシノの開花宣言をしたのが京都だった。 近くにサクラの名所の一つ、疎水沿いに哲学の道もあるため、週末のこの日は銀閣寺も大変なにぎわいだった。
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門から見物を終えた人たちがどんどん出てくるため、前方の団体さんを追い越すのもままならない。
総門をくぐるとすぐに背の高い生け垣が迫ってくる。前回銀閣寺を訪れたのはかなり昔のことなので、この生け垣の高さにまず驚いた。こんなに高くなっているとは。
お寺のパンフレットには「銀閣寺垣 総門から中門にいたる参道の左右に設けられた約50mの生け垣。石垣、竹垣、椿の生け垣の調和が美しい」とある。かなり長い参道が人でびっしり埋まっていた。昔来た時も参拝客はたくさんいたが、それでも他の人が気になる程ではなく、ゆっくりと歩くことができた。
銀閣寺の庭は回遊式になっていて、ゆっくりと歩いて回ると、人の多さもさほど気にならなくなり、いろんなことに気がついた。例えば、この溝には箒で掃いた跡があって、今朝掃除をしたことがわかる。
そして、こちらの椿は、花が散ったまま放ってあるかのようだが、よく見るときれいな花ばかりだった。汚くなったのは取ってあるのだ。
これは、昔、大徳寺龍源院方丈の庭に、楊貴妃と名付けられた山茶花と、そのそばに燈籠があって、苔むした地面に落ちた赤い花をよく見ると、きれいなのだけ残してあったことを思い出させた。楊貴妃が枯れてしまったということで、枯山水の庭になっているが(龍源院の灯籠 )。
こんなところでも、きれいな花だけ残してある。
こちらの白侘助はもう終わりなのか、落ちた花がこれだけで、侘びし過ぎる。
ぐるりと回って錦鏡池の近くまで来ると、赤侘助の落ちた花が多すぎた。中にはきれいでないものもあった。また、このように木や苔の名前の木札もところどころにある。
左の方に箕や籠や竹箒が置かれていて、掃除はここまでであることがわかった。掃除しきれないところがあったにせよ、巡っていて気持ちの良い庭園だった。
昔来た時は全く気がつかなかった。当時は京都のお寺と言えば、建物の中から庭を眺めるという固定観念があったような気がする。年月がたって、庭が変わったのではなく、自分が変わって、自由にものを見られるようになったのかも知れない。
しかし、中門を出ると生け垣の参道も人でいっぱいで、現実にもどってしまった。総門から眺めた外界も人であふれていた。銀閣寺のパンフレットの表紙には、掃き清められ、水を打たれた総門前の石畳に朝日が差している写真がある。
いつか、誰もいない時にこのような光景を見てみたいと思うが、そのような時は、底冷えのする1月から2月頃の早朝くらいだろうなあ。