お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2021年11月23日火曜日

紅葉の閑谷学校


田上惠美子氏の個展が備前であったので、そのつづきに、久し振りに閑谷学校に行った。
国道374号線から広域農道に入って少し行くと、山に「中山サーキット」の文字が見えてきて、

カーブ手前でサーキット場がわかった。

この時はレースは行われていなかった。

この農道は、いつの間にか高くなっていて、山陽自動車道(E2)の上を通り過ぎて、国道261号線に交差して終わる、快適な道路だった。
すぐにトンネルが見え来て、その手前にも駐車場があったが、警備員がトンネル方向を指したので、トンネルを越えてすぐに左折。前方に駐車場に入る車の列が待っていた。
幸い閑谷学校よりも手前の駐車場で出て行く車があったので、そこに車を置いて歩いたが、遠いというほどでもなかった。

閑谷学校案内図

人混みの前方に校門と楷の紅葉が見えた。その上青空も見えているし、いい時期に来られてよかった。

堀のようだが、伊里川から引いた泮池


校門からは入れない。


石橋の手前に桜山というのがあって、土塁のようで防火のためだろうかなどと言いながら通り過ぎた。


その東側の門から入ったところで拝観受付を済ませる。正面奥にあるのが閑谷神社。

いつもなら講堂をまず見るのに、今回は華やかな楷の木の紅葉の次になった。

でも講堂にこんなに人がいるを見たのも初めて。


一対の楷の木の奥に孔子を祀る聖廟大成殿が隠れている。


その色につられて近づいた。
リーフレットは、聖廟前に植えられた二本の楷の木は、中国山東省曲阜の孔林から種子を持ち帰り苗に育てられた内の2本です。紅葉の季節には美しく色づく楷の木を見ることができますという。

ある写真撮影の番組で、「花は逆光で撮れ」と言っていたのを思い出し、光を通す葉を写すことにした。

楷の木
『日本の樹木』では、ウルシ科「ランシンボク 爛心木」別名カイになっている。
中国の山東省曲阜の孔子廟に植えられている木として有名。 日本には大正時代に渡来した。 高さ20-25mになる。葉は偶数または奇数羽状複葉で、小葉は5-9対。秋には美しく紅葉する。 4月頃、葉腋から円錐花序をだし、淡黄色の花を多数開く。雌雄異株。核果は直径6㎜の倒卵状球形で藍黒色という。
一対の楷は雄と雌? 花の咲く頃に来てみたい。


左手に蔵のような建物が2つ。

建物の間から楷の木の紅葉が見えた。


右手向こうが聖殿

裏山は下草が丁寧に刈られ、石垣が見えている。


説明パネルは、1684年(貞享元年)の建築と伝えられる。儒教の祖・孔子を祀った建物す。奥にある八角形の容器の中には、高さ136㎝の孔子像(1701年鋳造)が納められていますという。
説明パネルにあった釈菜の様子。孔子像が写っていた。

また内部には、備前焼の塼(タイル)を敷いた床、木部の拭き漆、天井に春慶塗(朱などの色を付けたあと透明な漆を塗る)といった上質な仕上げが施されていますという。
飛鳥時代の寺は塼が敷かれて履きものをはいたまま入ったようだが、いつの間にか日本の寺は履きものを脱いで上がるようになった。
この聖殿は、江戸時代に中国のものが採用されたので、土足のまま建物に入る中国の方式そのまま採り入れられている。
黒っぽかったり赤っぽかったりとカラフルな六角形の塼が亀甲繋文に並ぶ。塼の間になまこ壁のように盛り上がった漆喰は歩きにくくないのだろうか🤔

反対側に出た。雨で建物が傷まないように黒い玉石を巡らせてあり、丁寧に造られたものである。
備前焼の瓦が木々の緑に映える。

屋根瓦が均一の色でないのはやや奇異に感じるが・・・


葉が落ちた方の楷の木は、残っている葉は山の紅葉と同じくらいの色。赤くなるまでに葉を落とし始めるみたい。

聖殿の玄関と閑谷学校の校門は一直線になっている。
説明パネルは、聖廟の正面に位置し、閑谷学校の年間、そして聖廟の正面に位置し、閑谷学校のそして聖廟の表門でもあります。江戸時代には 門の正面には「学校」の木製扁額が掲げられていました。 建築年代は、17世紀後期から18世紀初頭と考えられます。左右に火灯窓をもつ部屋を配置し、屋根には鯱 をのせ、入り口も上端の隅を丸めるなど、中国の建造物の影響を受けた意匠となっています。門の左右に部屋を配置しているのは、廟門 (聖堂の門)  の両側に堂舎 (塾) を設けるという中国の「東西両塾の制」を模倣していると考えられますという。

葉が落ちているので、太くて立派な幹や枝がよく見えた。
楷の木は20mにもなる高木ということだが、あまり高くならず、枝が広がるように剪定されてきたのだろう。

紅葉した葉ばかり見ていたので気付かなかったが、こちらも立派な幹と枝である。

落ち葉も落ちたままになっているのもいい感じ。

光のかげんでいろんな色に見えるのも楽しい。


さて、講堂へ。
リーフレットは、講堂は入母屋造り、しころ葺きの大屋根と火頭窓が荘重な独特の外観を形作っています。創建当時は「茅葺き」でしたが、その後改築され現在の堅牢な「備前焼瓦」に葺き替えられましたという。

力強い火頭窓が柱間に一つずつあいている。


講堂の南側の小さな建物は小斎
リーフレットは、藩主が臨学の際に使用する、御成の間という。

屋根はこけら葺きで簡素な数寄屋風に作られています。現存する建造物の中では、最も古い姿を残していますという。

玄関の西側からいつも上がっていた。

石製の囲炉裏がある飲室
リーフレットは、教師と生徒たちが、湯茶を喫した休憩室。中央ののふちには「畑中炭火之外 不許」と彫り込まれており、火の使用に厳重な注意がはらわれていましたという。
囲炉裏の中には灰ではない黒いものが残っていた。

習芸斎
リーフレットは、農民たちも学んだ。教室として使われた施設。毎月と八の付く日は「五経」と「小学」朔日には農民も調することができる「文会学見が行われました」という。
円座が山と積まれていた。

習芸斎の天井(ピンボケ)

講堂へ。



講堂内部
リーフレットは、内部は10本の欅の丸柱で支えた内室と、その四方を囲む入側とで構成されています。また、拭き漆の床は生徒たちによってよく磨かれており、火灯窓から入る光をわらかく反射させていますという。

磨き上げられた床に映る紅葉。緑の葉の色もきれいなので、新緑から紅葉の時期まで楽しめそう。

人のいない間を待って、楷の木も入れて撮影。

講堂の外廊下を一周して再び撮影。見るところによって床に映る色も変化する。

外に出た。文庫の裏山は丁寧に刈り込まれた芝で、途中から石垣になっている。

それは火除山となっていて、閑谷学校は火事への備えが徹底されていたことを知った。

石塀
校地の周囲約765mをめぐる石塀は、南面と東面、西面一部で幅約1.8m、高さ約2m のかまぼこ形に築かれています。巧みに石を組み合わせた独特の塀は、全国的にも珍しいものです。 平成30年1月 岡山県教育委員会 という。

石塀の中には砂利が詰まっているようだ。

驚いたことに石塀パネルの写真で、地中に深さ2mもの石積みがあるのだった。


飲室と習芸斎、奥に講堂が見えているが、石塀の近くに井戸跡があった。

校門近くに屋根構造の説明パネルがあった。
説明パネルは、2015年から2016年にかけて実施した、校門屋根葺き替え修理の際撮影したものです。まず、小さな板を葺いた「土居葺」の上に、板 (「流し板」)を葺き、さらにその上に備前焼の瓦を葺くという三重の雨を漏らさない構造になっています。なお、旧閑谷学校の主要建造物の屋根は、校門と同様の屋根構造となっていますという。
そして、1700年の備前焼瓦の写真があった。
「試砂作」は試砂という名前の瓦師だろうか、人の名前にしては妙。 

門を出て、伊里川から泮池に流れ込ませる水路の橋を渡った。
楓の紅葉がまだ若い頃、閑谷学校の楷の木は、1本はもう散っていて、もう1本は紅葉の盛りになる。





関連項目

参考文献
「山渓カラー名鑑 日本の樹木」 1985年 山と溪谷社