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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2018年8月13日月曜日

トゥールーズでお昼を食べて


オーギュスタン美術館ではレジ係がストをしていて『Sculptures Romanes』という書物を買えなかったので、残り少ない時間でどこかの書店で本を探そうと東のその名も美術通り(Rue des Arts)に入るとまもなく書店があった。
入ってすぐにレジがあり、ロマネスク美術の本があるか訪ねると、上の階の奥にあります。階段を駆け登って奥の店員に聞くと、探してくれたがなくて、地下にあります。地下まで駆け下りて店員に聞くと、ありません。
これで時間を費やしてしまった。
集合時間は12時、あと10分しかない。リンゴ通り(R.de la Pomme)へ入る。
ポム通りの突き当たり左側の「スミレの宝物(Les Trésors de Violette)」というお店でスミレの花の砂糖漬けを購入。
スミレの花の砂糖漬けについてはこちら

左に曲がってすぐ、キャピトル広場の南にあるレ・ブラスリード・ロペラ(Les Brasserie de l’Opéra)というレストランにぎりぎりに到着すると、添乗員氏が前で待っていてくれた。すんませ~ん
雰囲気の良い広いお店で、どんどんと人が入ってきた。
最初なのでミネラルウォーターも写してしまう。これはガス入り。かなり微炭酸なので好む人も多かった。
サーモンのマリネ
前菜からしっかり量がある。
ビーフのグリル
柔らかな牛にのっているのはソテーしたタマネギ。向こうにはマッシュポテトと野菜サラダが品良く大きな皿に盛り付けてある。
40年前にいた頃のフランス料理とは全然違うやん。まるでテレビで見る今どきの料理やないの。添乗員氏は、昔のような皿にドーンと盛ってあるフランス料理ではなくなりましたという。
デザートはチョコレートケーキ・アイスクリーム・クリーム
ケーキは中がしっかり溶けて暖かい。fondant au chocolat(フォンダントショコラ、日本ではフォンダンショコラ)だった。日本ではフォンダン(溶けて)でないものが出てきたりして、期待しないことにしている。
そしてカフェ。昔はカフェといえばドゥミタスで出てくるエクスプレスだったが、今ではエスプレッソと言わなくてはならないくらいイタリア風になってしまったのが寂しい。

食後は市庁舎の東の公園の間中にある古びた建物へ。これがトゥールーズの観光局。ちゃんとした写真がないのが残念だが、裏手の市庁舎よりも古そう。

ここで、ガイドブックや絵葉書も売っているが、ガイドブックはなかった。
バルコニー(フランスではバルコンというが)の格子の色が様々
その先でモンタルディ通り(Rue Montardy)へ。自転車の置き方もおしゃれ。盗難除けだけど。
地図にも載っているパリの百貨店ギャルリー・ラファイエットの支店。
地方都市ではヌーヴェル・ギャルリーだったりするので、ギャルリー・ラファイエットがあるのはそこそこの大きな街。
バルコニーを写したら改築中の建物だった。
ウィルソン広場へ。兵士がいるとは知らずに撮ったら睨まれた😓
建物は楕円形の広場に合わせてカーブしている。それにしてもバイクが多い。
公園の植え込みにこんな花も。カタバミの葉もあったりして。
懐かしい移動式のメリーゴーラウンド。
ローズヴェルト大統領の小道(Allée Pdt.Roosevelt)の広い歩道を進んで、
その先のジャン・ジョレ(Jean Jaures)というメトロの駅のある大通りの交差点でバスに乗った。
昔パリで住んでいた近くにあったフナック(fnac)がここにも。当時は珍しく10%引きで本やレコードを売っていたが、今でもあるとわかって嬉しい。

バスはラザール・カルノ大通り(Boulvard Lazare Carnot)からメッツ通り(R.Metz)へ。オーギュスタン美術館美術館の前を通ってガロンヌ川に架かるポンヌフ(新橋、Pont Neuf)。川はサンピエール橋の先で左に流れを変える。右にブリエンヌ運河への分岐があるのだが、橋のおかげで見えにくい。
左の建物はサンジャック病院(Hôtel Dieux St.Jacques)でサンティアゴデコンポステーラへの巡礼者のために設立されたものだろう。奥のグラーヴのドームはラ・グラーヴ病院(Hôpital La Grave)のもの。
右の橋のたもとには、オーギュスタン美術館でたくさん見た柱頭があったドラド修道院の教会だけが残っているはずだが、樹木に隠れてみえなかった。
サンピエール橋の下流にあるカタラン橋(カタルニア橋、Pont des Catalan)からまた右岸へ戻る。
堰があって、右手にラ・グラーヴ病院が、左にはブリエンヌ運河の入口があるのだが。
下流側。
その先のポール・ゼジュルネ大通り(Avenue Paul SéJourné)の先がブリエンヌ運河。
信号待ちで停まった時しか街を写せない。運河沿いのブリエンヌ小道(Allées de Brienne)との角にシックな外観のパン・菓子屋のル・モンタギュ。その前にはバス停アミドニエ(Amidonnier、パンコムギ)とお店にぴったり。
左側の建物は部分的にしか見えないが、バルコニーがアールヌーボー風。地上階の窓ガラスも同じ頃の装飾かな?Google Earthで見ると、この3階建ての小さな建物は、アールヌーボー期に建造されたもので、白い金属部品が目立つ。

橋を渡って左折し、ブリエンヌ運河沿いに走った後ミディ運河を渡って、
船がたくさん停泊しているガロンヌ運河を渡った。
トゥールーズはかつてはパステル(大青)の染料で栄えた街。インディゴが発見されたために廃れ、その後ガロンヌ川を経由して大西洋に、ミディ運河を建設して地中海へと結び、物資の交易でトゥールーズだけでなく、運河に沿った町も鉄道が通るまでは栄えたという。
車窓からは片側からしかみえなかったが、3本もの運河が集合し、ガロンヌ川へつながる箇所を通っていたのだった。
その後しばらくガロンヌ運河を右に見ながら走り、高速道へ。

郊外に出ると農園の風景
平らな土地が続き、
葡萄畑も飛ぶように過ぎていった。
今回の行程図(Google Earthより)

この日の現地ガイドのかおりさんが、「アルビでも案内しますから、ガイドブックとオーギュスタン美術館のロマネスク彫刻の本も買っていきますよ」と言って下さり、おかげでこれらの記事を書くことが出来た。

オーギュスタン美術館 ロマネスク美術展示室←   →モワサック サンピエール聖堂

関連項目
トゥールーズのスミレの花の砂糖漬け


参考にしたもの
トゥールーズ観光局発行の地図